第32話 領都ヴァルハイト
聖光の慈雨のメンバーは、昨日の僕の激変について何も尋ねては来なかった。
おそらく、両親や村の人々を一度に亡くした悲しみが、今になって一気に訪れたのだろうと、彼らなりに解釈して気を使ってくれているのだと思う。
その無言の優しさが、今の僕にはとてもありがたかった。
リコルやリーノ、フィーネも、あの日以来何も言ってこなかった。
僕が何に対して絶望したのか、彼女たちは的確につかんでいると思う。
けれど、こればかりは他人が簡単に声をかけられる問題ではない。
結局は、僕自身がこの世界で生きていく中で、自分なりの答えを見つけ、解決していかなければならない問題なのだ。
道中、宿場町のような場所で食糧を確保した僕たちは、そこでは宿泊せず、あえて次の休憩所での野宿を選んだ。
メンバー全員が、「早く収納魔法を使えるようになりたい」「もっと魔法を勉強したい」「剣の稽古をしたい」と言うのが本音で、満場一致での野宿決定だった。
それから二日間の野宿を通じて、お互いのことをかなり深く話し合えたおかげで、彼らとはもう気兼ねなく話せるようになっていた。
だが、楽しかったこの馬車の旅も。もう僅かで終わりを告げようとしている。
(心のどこかにぽっかりと穴が開いたような気がする。そう、ここは地球じゃない。でも、新しい街に行くんだ。これからは、この世界を全力で楽しむことを考えよう)
そう自分に言い聞かせていると、不意に、木で作られた頑丈な柵と、その向こう側に広がる広大な畑が目に入ってきた。
ガイスさんは道路の脇にある詰め所の横で馬車を止めると、中から出てきた兵士へと、親しげに笑って声をかける。
「よお、ザック! 今日もご苦労なこったな。また酒で問題でも起こしたのか?」
「お前に言われたくないぞ、ガイス。ところで今回は大活躍だったみたいじゃないか。まあ、おまえ以外のメンバーが……だろうがな」
「うるさい。”今回は”じゃなくて”今回も”だ! それに俺も十分に活躍したっつうの!」
言い合いながらもガイスさんは嬉しそうに冒険者証を提示する。
馬車から顔を出したギルさん、アンナさん、セルフィーさんも、ザックと呼ばれた兵士に声をかけながら、それぞれ冒険者証を見せた。
馬車の中を覗き込んだ兵士に対し、ギルさんが僕とリコルのことを説明しようとしたが、それを手で遮り、ザックさんは白い歯を見せて笑った。
「大丈夫だ、ギル。グリアードの街からすでに連絡が来ている。二人の通行税は必要ないとの指示も出てるよ。――ようこそ、ヴァルハイトの街へ」
ザックさんは、僕とリコルへ優しく声をかけてくれた。
馬車が再び動き出す。車窓から外を眺めると、これほど広大な農地が広がっているにもかかわらず、不思議と”農地で暮らす人たちの住む農家”がどこにも見当たらなかった。
僕が首を傾げていると、ギルさんが隣から声をかけてきた。
「広い農地だろう、ここはみんな領主様の土地でね。貧困者を救済するための作業場でもある。また万が一、邪怪がこの街を襲ってきたときの”非常食”を生産するための場所でもあるんだ」
「これだけ広い場所が、全部非常食なの?」
リコルが驚いて身を乗り出す。
「ああ。邪怪が襲ってきた時に一番恐ろしいのは、街の人間の飢えや恐怖から生み出される”マイナスの感情”なんだ。食糧の不安をなくすことは、邪怪を呼び寄せないためにも絶対に必要不可欠なんだよ」
ギルさんの言葉に、僕はなるほどと納得しつつ、馬車の窓から外の景色を観察した。
確かに、これだけ広い農地があれば、籠城戦になっても簡単には飢えないだろう。だが、僕が本当に異様だと感じたのは、その農地の”配置”だった。
この広大な畑と頑丈な木の柵の外側には、ゆったりと水を湛えた大きな川が流れている。
人工的に整えられた川の護岸……これは自然の川ではなく、外敵を防ぐための巨大な”外堀”なんだろう。
そして、その内側に広がる畑を通り抜けた先――そびえ立つ外壁の手前にも、さらにもう一条、幅の広い川が流れている。そう”内堀”が掘られていたのだ。
つまり、この街は二重の水堀によって厳重に守られているのだ。
それだけではない。二重の堀に挟まれた広大な農地には、倉庫らしき頑丈な建物こそあれど、小作人たちが暮らすような”普通の民家”がただの一軒も見当たらない。
(徹底している……。外壁と外側の柵の間に、これほど広い空間を作っているのは、単に畑にするためだけじゃない)
前世の歴史知識が、僕の頭の中で警鐘を鳴らす。
これは軍事用語で言うところの「キルゾーン(障害物をなくし外敵を攻撃するための空間)」だ。
もし邪怪が外側の柵と外堀を突破してきたとしても、外壁に到達するまでには、遮蔽物のないだだっ広い畑を延々と突き進まなければならない。
その間に、外壁の上に並んだ防衛戦力から一方的に狙い撃ちにされる。そのための、恐るべき防衛構造なのだ。
グリアードの町は、美しく豊かな大自然と共生しているような佇まいだった。
けれど、この領都ヴァルハイトは違う。
大自然の象徴である”水(川)”を力ずくでお堀へと作り変え、外壁の前に巨大な空白地帯を設けることで、絶対に邪怪を近づけないという強い意志を感じる。
それは、この世界の人類が邪怪に対して抱いている狂気にも似た恐怖と、生き残ることの苛烈さを的確に表していた。
やがて馬車は、内堀に架かる跳ね橋を渡り、そびえ立つ外壁の直前へと到達した。
近くで見上げるそれは、グリアードの防壁とは比べ物にならないほどの高さを誇っている。
まるで巨人が立ち塞がっているかのような威圧感で、僕たちの視界を遮るようにそびえ立っていた。




