第31話 異郷の月
いつも作品をお読みいただき、温かい応援を本当にありがとうございます!
昨日の前書きでもお知らせいたしましたが、物語を長く、そして万全の体制で皆様にお届けしていくため、
本日(8月16日)より「1日1話(毎朝7時投稿)」
の更新ペースとさせていただきます。
本日からは18時の投稿はありませんので、毎朝の更新を楽しみにお待ちいただければ幸いです。
ペースは少し落ち着きますが、これからも楽しんでいただけるよう気合を入れて書いていきます!
今後とも『精霊冒険抄 〜頼もしい仲間とともに世界の過去と未来をひらく旅〜』をよろしくお願いいたします!
夜の帳がすっかり下り、周囲には静寂が広がっていた。
僕たちは赤々と燃える焚き火を囲み、スープを口に運んでいる。だが、食べている間も質問攻めが止むことはなかった。
「ヤノス君、本当にその剣は誰に習ったんだい? 基礎が完璧すぎる……」
「何よあの剣さばき。あり得ないんだけど、普通君の年齢であんな動きはできないわよ」
スプーンを片手に悔しそうに唸るガイスさんとアンナさん。
すると、それまで黙ってスープを飲んでいたセルフィーさんが、ぴしゃりと二人の言葉を遮った。
「剣の話はそこまでよ。今は魔法の話を聞く時よ。ヤノス君、リコルさん、どうすれば無詠唱で魔法が使えるのか、早く教えてちょうだい」
セルフィーさんの鋭い眼光と、リーダーであるギルさんの期待に満ちた熱い視線に、僕とリコルは思わずたじろいだ。
「いや、まずは収納魔法でしょう。それが使えれば、冒険者として移動効率が劇的に上がる。魔獣との戦いでも圧倒的に有利だ」
ギルさんの冷静な指摘に、みんなが「「「賛成!」」」と声を揃えた。どうやら、まずは収納魔法の基本を教えることになったらしい。
『リーノ、フィーネ、念話でサポートをお願い。リコルは僕の説明で足りないところを補ってね』
『『『解った(わ)』』』
頭の中に響く頼もしい精霊たちの声を聴きながら、僕は深く息を吐き、魔法の本質について伝えることにした。
「……分かりました。では、まず質問です。皆さんは、なぜ詠唱や魔法陣を使えば、魔法が使えるのだと思いますか?」
「え? 収納魔法を習うのに、そんな基礎的な話から……?」
疑問を口にしたアンナさんを、セルフィーさんが一言で制する。
「余計な疑問はいいから、まずはヤノス君の話を聞きましょう」
さすが一級の魔法使い、何かを感じ取っているようだ。
「まずは、なぜ詠唱や魔法陣があれば、魔法が使えるのだと思いますか」
「今私たちが使っている詠唱や魔法陣は、学者が長年研究して、魔法が使えるようにと体系化されたものよ。詠唱を唱え、魔法陣を展開することで、体内の魔力が魔法という現象に変換される……本にはそう書いてあったわ。それが何か関係あるの?」
セルフィーさんが、自身の知識を整理するように語る。
「では、それは“なぜ魔法が使えるのか”の、根本的な答えになっていませんよね?」
僕の問いかけに、セルフィーさんはハッとしたように黙り込んだ。
魔法使いにとって、「魔法=詠唱、魔法陣、そして魔力」というのは、疑う余地のない世界のルールそのものだったからだ。
「それでは、その”魔力”とは一体何ですか?」
「”魔力”は、魔法を使うときに体から引き出される魔法の源のようなもので、私たちの周囲にも満ちているもの……と言われているけれど。改めて聞かれると、確かに漠然としていて、正体が何なのか分からないわね」
「ギルさんやセルフィーさんは、その魔力というものを、自分の体内に“感じた”ことはありますか?」
「魔力を感じる……? そんなこと、できるの?」
『ヤノス、あなたの知識として話すと不自然よ。精霊から教わっている風を装って、誰かの声に耳を傾ける仕草をして話しなさい』
フィーネの冷静なアドバイスに、僕は内心で冷や汗をかいた。確かに、ただの子供がこんな深淵な技術を知っているのは不自然極まりない。
僕はすっと目を閉じ、少し頭を傾げて、虚空からの声に耳を澄ますポーズを取った。
「……精霊さんたちが教えてくれました。ギルさんやセルフィーさんが詠唱や魔法陣を使う時、周囲にいる”意思を持たない下級精霊”が、お二人の体内にある魔素や、自然界の魔素を使って、機械的に魔法を発現させてくれているそうです」
「精霊が……? でも、精霊の加護を得た魔法は、生き物を直接攻撃できないというのが魔術師の常識よ?」
「人に加護を与えるのは”中級以上の、意思を持つ精霊”です。確かに、彼らは他者を傷つけることを嫌います。ですが、意思を持たない低級の精霊には、そんな倫理観はありません。ただ詠唱や魔法陣という“命令”に従って、機械的に魔法を発現させているだけなんです」
ギルさんもセルフィーさんも、完全に言葉を失っていた。これまでの人生で培ってきた魔法の常識が、根本から覆されたのだ。
『リコル、いつもの魔力訓練、見せてくれる?』
『それがいいね。言葉で説明するより、実際に見せた方が早いわ』
リコルとの念話による会話に、僕は深く頷いた。
「リコル、お願いできる?」
「うん、おにぃ」
リコルは愛らしい笑みを浮かべ、そっと手のひらを上に向けて突き出した。
次の瞬間、彼女の手のひらの上に、白く揺らめく”もや”のような光の球体が出現した。
「な、何だ、それは……!?」
ギルさんとセルフィーさんが、文字通り椅子から転げ落ちんばかりに身を乗り出す。
「今、リコルの手の上にあるのは、体内の魔素をそのまま体外へ出現させたものです。このように、体内の魔素を己の意志でコントロールする力を、精霊さんたちは“魔力”と呼んでいます。自然界には、マナとオドと呼ばれる魔素が存在していて……」
リコルの実演を交えた、この世界の魔法体系を根底から揺るがす僕たちの「講義」。
それは【聖光の慈雨】のメンバーにとって、あまりにも衝撃的すぎる内容だった。
説明が終わった後も、ギルさんとセルフィーさんは放心したように、ただパチパチとはぜる焚き火を見つめていた。
◇ ◇ ◇
「一つ聞きたいことがあるのですがいいですか?」
以前より気になっていたことがあり、この場で質問することにした。
「何でもいいわよ。私たちで応えられることなら、何でも答えてあげるわ」
優しくセルフィーさんが応じてくれた。
「あのですね。アナエル様は正式にはアナエル・グリアード様でしょう。ご主人はグリアム・グリアード様。【聖光の慈雨】の皆さんには家名 (名字)はないのですか?」
僕たちには”ネクサス”というファミリーネームがあるが、冒険者ギルドに登録するときに、家名まで記入した方がいいのか迷っていたのでここで聞いてみたのだ。
「家名のことね。私たち【聖光の慈雨】のメンバーには、貴族出身がいないから、みんな家名は持たないわ。それがどうしたの?」
「僕はヤノス。妹はリコルだけど、その……皆さんの家名を聞いたことが無かったので。グリアム様達にはその家名? があったので少し気になって、お聞きしたのです」
「私はアンナ。そして、セルフィーにガイスに、ギル! みんな家名ないから、安心していいよ」
僕が家名が無いことを気にしているのだろうと考えたアンナさんが、笑顔で応えてくれた。
心のどこかで引っかかっていたことが解決し、僕はふぅと大きなため息をついた。
心地よい疲労感と安堵の中、僕は大きく背伸びをして、何気なく夜空を見上げた。
この世界に来てから、初めて、ゆっくりと見上げる夜空だった。
――その瞬間、僕の思考は完全に凍りついた。
「あ……」
声にならなかった。
ここが、地球では無いことは、理解していた。そう、知識としては理解していた。
しかし、僕の心の奥底――意識の外に残っていたほんの僅かな”希望”が、今無残にも粉々に砕かれたのだ。
僕の視線の先、暗紺色の美しい夜空には。
――2つの月が、並んで冷ややかに輝いていた。
「あ、あああ……っ!!」
言葉にならない掠れた声が、口元から溢れ出る。
目からは、止めどもなく涙があふれ落ちていく。
心は空白になり、何事も考えられない。
ただ、だた、呆然と空を眺めることしかできない。
突然の激しい変貌に、ギルさんやガイスさんたちは何事かと武器を手に取り、リーノやフィーネさえも呆然として、かける言葉を失っていた。
なぜ、ヤノスがこれほどまでに絶望しているのか、誰にも理解できなかった。
ただ一人、リコルだけが、僕が見上げた空を見た。
そこには、夜空に浮かぶ二つの月を目にした瞬間、彼女の目からも大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
「わたしも……わたしも、そうだったの……! 初めてこれを見たとき、病院の窓から見た、あの桜と、たった一つの月を思い出したの……っ! おにぃもあの時見てたんだよね」
リコルは泣き叫ぶ僕の背中に、すがりつくように覆いかぶさった。
「おにぃ……おにぃ……! 初めて、見たんだね……!」
声を押し殺し、僕の背中を涙で濡らすリコル。
姿を隠しているリーノとフィーネの脳裏には、ヤノスがこの世界に転生してきた時に共有した、彼の”最後の記憶”が浮かんでいた。
病室の窓。優しく舞い散る夜桜。そして、夜空にぽつりと浮かぶ、優しく静かな、たった一つの美しい月。
何が起きているのか分からず、オロオロと空を見上げる冒険者たちの目に――
この世界では当たり前の、いつもの見慣れた二つの月が、今日も優しく輝いていた。




