第21話 無人の漁村
絶望へとつながる階段だとわかっていても、降りていかなければならない。優しくリコルを見やると、必死に作った笑顔で僕に応えてくれた。
「おにぃ。行こう」
「おう!」
そう、大樹の森を出ることが決まったとき、これからは二人で”兄妹”として過ごす方が自然だということになったのだ。
それ以来、リコルは僕のことを「おにぃ」と呼んでいる。
地球にいた頃も「お兄ちゃんがいてくれたら」と何度も願っていたそうで、彼女にとっては長年の念願の呼び方らしい。
一歩一歩、所々が階段状になった坂道を降りていく。
途中で横に伸びる小道を見つけては、一軒一軒民家を確認していった。
机上には飲みかけのお茶。
流しには洗いかけの食器。
ついさっきまでそこに人がいたことを示しており、確かな生活の温もりが伝わってくる。
――なのに家の中には人一人いなかった。
一番下まで降りると、そこは想像通りの小さな漁港だった。
漁網を修理していた最中だったのか、大きく広げられた網のすぐ横に、修理道具のようなものがそのまま転がっていた。
『『人が来る(わ)』』
リーノとフィーネから同時に緊迫した念話が届く。
『いいわね、先ほど民家を調べていたときに見つけた、あの場所に隠れているのよ!』
偶然見つけておいた、民家の隠し部屋に潜めという指示だ。
「リコル、行こう!」
リコルへ声をかけ、急いで階段を駆け上った。
先ほど調べた無人の民家へ飛び込み、戸棚の下にある隠し扉を押し込む。現れた狭い空間へと、二人で滑り込むように身を潜めた。
『害意は感じられないけど、どんな人間か分からないわ。フィーネと二人で様子を探ってくるから、それまでは絶対に音を立てずに潜んでいるのよ』
『『解った』』
僕とリコルが念話で答えた瞬間、今まで身近に感じていたリーノとフィーネの気配が、即座に完全に消え去った。
とたんに、狭くて暗い空間の中で、じわじわと冷たい孤独感が押し寄せてくる。
一寸先も見えない暗闇の中。
きっと僕と同じ不安を感じているはずのリコルの手をそっと握った。
手のひらから伝わってくる、確かなぬくもりから、じわじわと大きな安心感がもたらされた。
❖ ❖ ❖
【第三者視点】
「多分この先に、右に行く道が現れるはずだ」
「やっぱり、この先の村を一番先に訪れた方が良かったんじゃないか?」
「邪獣から一人でも多く助けるためと……、それは冒険者ギルドで話し合ったはずだわ」
「そうなんだけどよ」
「それが気になるのは仕方ないが、今は心を落ち着かせて村に入ることだ。みんな、いいな」
「「「わかった(わ)」」」
声を掛け合い、平常心を保とうとしながらも、いつ襲ってくるか解らない邪獣に常に神経を研ぎ澄ませている四人の男女。
彼らは村の入り口で馬を下りると、慣れた手つきで柵につないでいた。
一人が残り、馬の近くの水場で水をあげたりして世話をし、残りの三人が階段を降りて民家を一軒一軒調べ始めている。
『フィーネ、この四人、冒険者みたい』
リーノが上空から彼らを見下ろし、念話を送る。
『冒険者で間違いないよ。朝のあの邪気に関係して、ここへ調査に来たのだと思う』
『そのようね。平常心を装ってはいるけど、異常に周囲を警戒しているわ。緊張しきってるもの』
疑問に思ったフィーネが、リーノに尋ねる。
『ねえリーノ! この冒険者たちはサーチを使えないの? もしかして、人間はサーチを使えないの?』
『解らない』
リーノの少し困ったような返事に、何かを感じたフィーネが言葉を続けた。
『リーノ、あなたって――』
言いかけて、フィーネはハッと息をのんだ。
これ以上は彼女の”過去”に触れてしまう。
――危ういところで、その言葉を喉の奥へと引っ込めた。
『……ううん、まあいいわ。私たちって人間社会に入ってもわからないことばかりでしょう? だから、この人たちにヤノスとリコルを託してみてはどうかしら。私たちはこの状態のまま、姿を消した状態で見守ってあげてたらいいわけだし』
『うん、信頼できそう。まかせよう!』
リーノも冒険者たちの様子を見て納得したようだ。
『リーノは引き続き、この冒険者達をもっと観ていて。私がこのことを、隠れている二人に伝えてくるわ』
『わかった』
❖ ❖ ❖
【ヤノス視点】
『おにぃ リーノ達戻ってこないね。悪い人たちだったのかな?』
『大丈夫だよ。もうすぐ戻ってきてくれるよ』
暗い場所で何もせずに待っていると時間が過ぎるのがもの凄く遅く感じる。
じっと息を潜めていたそのとき、聞き慣れた念話の声が頭の中に返ってきた。
『戻ってきたわよ。何もなかった?』
『『大丈夫だよ(です)』』
待ちわびていた声に、僕とリコルが同時に返事をする。
『二人に話があるの……聞いてくれる?』
無言が肯定の返事であると理解したフィーネが先を続ける。
『先ほど感じた気配は、やはり人間だったわ。四人の冒険者よ。どうも、邪獣が出現したとの知らせがあって、このあたりの村を回っているみたい』
『邪獣が出たんだね』
『そうみたい。それでね、リーノと話し合ったんだけど――、ヤノスとリコルは、今この村を見回っているその四人の冒険者とともに、人間の世界へと入っていった方が良くないだろうかって……』
『そんな……。フィーネとリーノは、一緒に来てくれないの?』
リコルが心配そうに尋ねる。
『もちろんついて行くわよ。姿を消して――だけどね』
『もうすぐ、冒険者、そっちに行く』
リーノからの念話が届く。
『いい? 私とリーノが一緒にいるのに、人間社会の生活に不慣れなのは不自然でしょう』
フィーネは僕たちの置かれた状況を、言い含めるように丁寧に説明してくれる。
『でも、あなたたち子供二人だと、生活に不慣れでも、そこまで不自然には感じられないはず。姿を消しているとはいえ、私たちはいつもすぐ近くにいるし、念話で話しかけてくれたら会話もできる。いいわね?』
フィーネが言っている理由は、頭では十分に理解できる。
だけど――これから本当に未知の人間社会へ踏み出すのだと思おうと、やっぱり不安で仕方がなかった。
『もうすぐ、冒険者達が来るわ。彼らが家の中を調べているときに、恐怖を感じて無意識に動いて音を出してしまった……。そういうことにして、その音で見つけてもらうのよ』
フィーネの作戦が頭に響く。
その直後から、家の中をゆっくりと歩き回る足音が聞こえ始めた。
おそらく彼らは邪獣を極度に警戒しているのだろう。
できるだけ音を殺しながら部屋を調べているようだが、時折、どうしても殺しきれなかったかすかな床鳴りが響いてくる。
『おにぃ』
リコルの心配そうな声が、念話で届けられる。
『大丈夫だよ』
冒険者へは聞こえるはずの無い念話だけど、無意識のうちに小声でリコルを勇気づける。
近づいてくる相手が冒険者だとリーノたちから聞いて分かっているはずなの、正体の見えない恐怖がじわじわと背筋を這い上がってくる。
(……あ、まずい)
そう思ったときは遅かった。
強張った足が、無意識に隠し部屋の壁をコツンと蹴ってしまったのだ。
静まりかえった民家の中に、乾いた音が響く。
結果だけを見れば、フィーネの言ったとおりの”自然なアクシデント”として受け取ってもらえそうな展開になった。
だけど、自分の未熟さのせいで音を出してしまったことが、僕としてはどうにも納得がいかなかった。
「ここかな。この辺から音がしたよ」
「アンナ。隠れられるような場所がないか探ってくれ」
「あいよ!」
壁のすぐ向こう側で、緊迫した会話が交わされる。
「確かに、今のは床下からの音ではなかったと思いますわ」
「だが、低い位置からきこえましたな」
トントン、と壁を叩くような音が響く。
僕とリコルは、狭い空間の中でじっと息を殺し、彼らが僕たちを見つけ出してくれるのをただ待つしかなかった。
ガガガ……。
突如、目の前の隠し壁が横へとスライドし、暗闇の中に眩しい光が差し込んできた。
あまりの眩しさに思わず目を細める。
「いたよ。子供が二人!」
先ほど「あいよ」と答えていた女性――アンナらしき人の声が、驚きを帯びて響いた。
暗闇の恐怖からようやく解放され、僕は心の底から、そっと安堵のため息を漏らした。




