第2話 精霊
遠くで鳥の声が聞こえる。
様々な鳥が幸せを伝えるが如くさえずっていた。
頭の中は靄がかかっているようで、何も考えられない。ゆっくりと目を開けると、そこは木の中だった。
丸太を積み重ねて作られたウッドハウスではない。巨木の中をくりぬいたような、不思議な空間。壁と天井が継ぎ目ひとつなくなめらかに連続していて、綺麗な木の中にできた空洞に寝ているにだとわかった。
『目が覚めたみたいですね。痛みはどう? まだ痛むかしら?』
耳元で囁かれている様なのに、首を振って見ても周囲には誰もいない。
(体の痛み? 身体中の全ての細胞が悲鳴をあげるような激痛があったことは覚えているけれど……そういえば、今は全く痛みがないな)
心の中でそう思った、まさにその時だった。
『痛みが消えてよかったですね』
(ええっ!? い、今、考えていることが伝わっているのか・・・・!?)
『はい、念話といいます。前に目覚めた時にも、私たちの声が聞こえていたでしょう。あれも、念話だったのよ。体を起こせるかな? 私たちを見ることができますよ』
ベッドの上に寝ていたのだと思うが、起きあがろうとしてもなかなか体が思う様に動かない。
すると、全身が暖かい何かにふんわりと包まれ、吸い寄せられているようにベッドの上に座ることができた。
視線を上げると、目の前に綺麗な女性と女の子がそこにいた。
『私は森の大精霊フィーネ。世界中の森を管理しているの。よろしくね』
目の前の緑色の長い髪をした精霊から頭の中に直接、心地よい念話が届く。
その隣にいる、七色に染まるショートカットの女の子に視線を移すと、ぽつりと短い念話が返ってきた。
『リーノ』
それだけだった。
『リーノは精霊女王なの。ちょっと無愛想かもしれないけど、根は優しい子だからよろしくね。それと、今は人の姿で羽を消しているわ。その方があなたにとっては自然で親しみやすいでしょう?』
と苦笑を交えながら、森の大精霊のフィーネが補足してくれた。
(念話というのは、考えてることが二人に全て伝わってしまうのか。なんだか怖いよ。プライバシーも何もあったものじゃないな……)
心の中で冷や汗をかいていると、フィーネが困ったように微笑んだ。
『プライバシー? それがなんのことなのかわからないけど、慣れないとそうよね。考えが筒抜けになるわ。今のあなたは、思考がみんなへと伝わる念話となっていて、全部外部に放たれている状態なの。うーん。そうね・・・・』
僕のために真剣に悩んでくれているようだ。
『まず頭の中で四方にしっかり壁を描くの。そうすれば思考が漏れなくなるわ。念話を送るときは、その壁の向こうへ想いを解き放つのよ。全体に広げれば私たち精霊全員に、特定の誰かを強く意識して飛ばせば、その人だけに届くわ』
そのアドバイスを受け、頑丈な壁をイメージした。
前、右、後ろ、左。頭の周りを完全に閉ざすように、重厚な鉄板でぐるりと囲んでいく。
(よし、これでどうだ……?)
『あのー、聞こえますか。聞こえたら返事してください』
閉ざされた壁の中で、想いが外に出ないように慎重にコントロールしてみる。
まずは二人に向けて、声をかけるように意識を集中させた。
『あの――、聞こえますか。聞こえたら返事してください』
……しん、と静まりかえる。
二人の精霊(二柱、と言うべきだろうか?)からのリアクションはない。どうやら完璧に遮断できているようだ。
(成功だ。じゃあ、今度はこの壁を突き破るように、外に広く伝えるイメージで……!)
『今度は聞こえますか。聞こえたら返事をしてください』
思いを載せて、外へと解き放つ。すると――。
『念話の制御、上手くできたみたいね』
フィーネからの安堵したような返事が返ってきた。
『ところで一つ聞きたいことがあるのだけど。ここに来る直前の出来事を覚えているかしら。覚えていたら、その時の様子を聞かせてくもらえないかしら』
ここに来る前のこと。公園のベンチ、満開の桜、そして――雷。
思い浮かべながら、実際に口を開いて伝えようとした。
「えぇと……、し、しご……しぎょとぅ……っ?」
頭の中では解っているのに、なぜか舌がうまく回らない。まるで自分の体ではないかのように、声が掠れて変な発音になってしまう。
『疲れているようだから、言葉に出さなくて考えるだけでいいわ。あなたが見てきた景色も合わせて念話で伝わってくるから、声に出さなくてもいいのよ』
声に出すと変だったので、ほっとして、覚えている限りの記憶を頭の中に思い浮かべていく。
『やっと仕事が一段落して……、久々に終電前の電車に間に合ったんだった。地下鉄を降りた後、そう、コンビニに寄ってコーヒーと夕食の弁当を買って……。公園の横を通ったら、一本の満開の桜の木が目に入って……』
『地下鉄……? まあ、良いわ続けて』
『そう……あの桜。それに、あの月。とても綺麗だった。その木の下のベンチに座ってコーヒーを飲もうとしたら……そ、そうだ! 急に目の前が真っ白になったと思ったら、すごい音がして……。覚えているのそこまで……かな』
すると精霊の二人――二柱は、顔を見合わせて頷きあう。
『わからない単語があるけど、思い浮かべている情景は伝わってきて、おおよそのことは解ったわ。ありがとうね。それと、もう一つ質問していいかな。あなたの名前を聞かせてもらえるかしら』
『僕は――』
そう答えようとして唖然とした。
少しずつ記憶を辿ることはできるのだ。自分が社会人として働いていたこと、その日常の風景、それらは確かにそこにある。なのに、たった一つだけ、ぽっかりと穴が開いていた。
自分の名前が、全く思い出せないのだ。
『え、ぼ、僕は誰なんだ。名前! 名前が思い出せない! なぜ、なぜ名前だけが思い出せないんだ!?』
頭の中が真っ白になり、半ばパニックに陥りかけていた、その時だった。
『心配しなくて大丈夫よ。私たちが想像していることが正解だったら……ほぼ間違い無く正解でしょうけど、名前は思い出せないはずだから。今の質問は、私たちの想像が正解かどうかを確かめるために質問させてもらったのですから』
『……っ……』
『ここに来る前のあなたの記憶は、言葉と共に映像としても私たちに伝わってきたわ。あなたは、どうもこことは違う世界からこの世界へ来たようね。前回目覚めた時の全身の痛みは、魂と体が一体となろうとしていた時の痛みだと思うの』
「痛み」と聞くだけで、またあの痛みが襲ってきそうな気がする。
『名前が思い出せないのは、違う世界で生まれ、魂が違う体に宿ったために、前の世界の記憶は魂の中に残ることができても、魂と体に刻まれた名前は、新しい体には受け継がれなかった、と言うことだと思うわ』
フィーネの語る言葉はあまりにも非現実的で、すぐには納得がいかない。
こんな家、こんな部屋……確かにあり得ないことばかりだ。だが――。
ふと、自分の手を視界に入れて、僕は戦慄した。
大人の手では、決してあり得ない。
そこにあったのは、小学生の高学年くらいにまで縮んでしまった、小さな子供の手だった。
慌てて布団をはぎ、足を見る。やはり、記憶にあるものより遥かに短い子供の足だった。
自分の顔を、両手で恐る恐る触ってみる。
いつもなら触れるはずの、ざらざらとした無精髭の感触はどこにもない。そこにあったのは、ただただスベスベとした、幼い肌の手触りだけだった。




