第18話 新たな第一歩
前日一日かかって準備を終え、この世界に来て二年間を過ごした大樹の森を出る当日を迎えた。
なぜそんなに時間を取ったかというと、まず一つ目は、持っていくものを収納するスペースを得るための魔法を練習することにあった。異世界アニメでよく主人公が便利な魔法として使う、必要魔法第一位に輝くだろう《収納》の魔法だ。
ただものを収納するスペースを得るのはすぐに習得できた。大変だったのは、収納したものを整理したり、欲しいものを瞬時に手元に出現させたりすることだった。
アニメの主人公が瞬時にできていたのに、収納したスペース内で、ものを種類ごとに整理したり、同じものをまとめたり、必要なものを感じ取って手元に出すコントロールを身につけるのには、何度も何度も失敗してやっと習得できたのだ。
二つ目は、持ち出す武器や防具の選定。これらの武器は、長い年月の間に大樹の森への侵入を試みた者たちを懲らしめ、武装解除し、記憶を書き換えて森の外に放り出した時に取り上げた武器や防具だそうだ。
三つ目が一番時間を取ったもので、僕達がこの森を離れると知ったフェンとファルが『連れて行け!』と言って絶対に言うことを聞かなかったことだ。
ほぼこの二年の間、訓練に付き合い、よくボロボロになった体を治療して来た聖獣と聖鳥。リコルが来てからは聖鳥の治療の担当はリコルが行ってきた。
多くの時間を共にする中で、自分たちにも名前がほしいとねだられたため、聖獣の【フェンリル】には、僕がフェンと名前を付けた。また、鷲と言っていた聖鳥が【グリフォン】であることもわかり、リコルがファルと名前を付けていた。
そのようなことを思い出していたら、フェンとファルが大きな声で騒いでいるのを聞きつけた森に住む動物たちが、大樹へと駆けつけてきた。そこで、僕たちが森を出て行くことを知って騒ぎだし。さらにその騒ぎに気付いた動物たちが、またもや集まり騒ぎが大きくなり、最後は収拾がつかなくなりはじめた。
「待った!」
フィーネの声があたりを一面に響き渡り、その瞬間、今までの騒ぎが嘘のように静まりかえる。
「いい! 私達がもうこの森に帰ってこないわけじゃない。近いうちにまた戻ってくるし、みんなの怪我や病気を診てくれるものをちゃんと用意してある。これ以上騒ぎを大きくするともう戻ってこないぞ!」
言葉を聞いた動物たちは一匹、一羽と肩を落とし、名残惜しそうに森へと帰っていった。最後まで残ったのがフェンとファル。悲しそうな姿で何度も何度も振り返り、寂しげに森へと帰っていった。
◇ ◇ ◇
まだ夜が明けきらないとはいえ、様々な声が行き交う中、フィーネのお声が放たれる。
「さあ、出発するよ」
今いるのは、いつも大樹から出入りしている出入り口とは真裏に当たる場所だ。そこも変わらず圧倒されるほどの広さをたたえている大樹の傘の下だが、今日は一輪の花も見ることができないほど、動物たちが押し寄せていた。
「はい、道を空けてね。今から通るからね」
動物たちの間に道ができ、その間を通り過ぎるたびに、
『元気でね』
『また帰ってきてね』
『病気とか怪我には気をつけてね』
と動物たちからの念話が届く。
大樹の傘の縁にたどり着いた僕たちは振り返って、見送りに集まっている無数と思える動物たちに、
「「「「いってきます!!!!」」」」
と声をかけると
『『『『『『『『『『『『『『『『いってらっしゃい』』』』』』』』』』』』』』』』
と、地鳴りのようなたくさんの念話が優しく返ってきた。
いつものように森へ入ると、木から木へと飛び移って移動する。森の縁にたどり着いた僕とリコルは、眼前前に立ち塞がるものを見上げ呆然とするしかなかった。
少しずつ空は明るくなってきているが、まだ日が差し込むほどではない。とはいえ、そこに広がっていたのは、ゴツゴツとした岩が激しく飛び出し、超高層ビルも負けるほどの高さを誇る崖であった。
(……う、嘘だろ。森の外に出る最初の一歩が、こんな絶望的な崖登りなわけ!? リーノが僕にやらせていた、あの地獄の大樹登りの特訓。もしかして、最初からこの崖を自力で登りきらせるために仕組まれていたものだったのか……!?)
「さあ、登るわよ」
「登る」
と声をかけると、重力を無視したようにすいすいと登り出すリーノとフィーネ。
「……ねえ、リーノもフィーネも、普通に飛べるんじゃなかったの?」
呆れて僕が下から尋ねると、二人の声が同時に返ってきた。
「この登る感じが楽しいからよ!」
「楽しい」
楽しそうに笑う二人を見上げながら、僕はふと、これまでの地獄の特訓の日々を思い出していた。
リーノやフィーネを相手に剣や体術の訓練をしていたとき、打ち込みが信じられないほど重く感じたかと思えば、体重が無いのではと思えるほどアクロバティックな動きで空中から攻撃を仕掛けられ、こちらの攻撃をひらりとかわされたことが何度もあったのだ。
常々、この二人には体重があってもないようなもの――、いや、体内の魔素を使って、自身の”肉体の質量”を増減させているのではないかと内心思っていた。
そして今、完全に確信した、あいつら、今は体重を極端にゼロ近くまで減らして、ただの壁歩きみたいに登っているはずだ、と。
心の中で盛大に愚痴をこぼしつつも、仕方が無いのでリコルと顔を見合わせ、お互いに頷き合ってから、僕たちはその大崖を一歩一歩慎重に登り始めた。
リコルも去年の秋頃から大樹を登る訓練を始めていたので、時々僕が様子を見るものの、前世の登山知識である”三点支持”をしっかり守り、危なげなく登っている。やはり、地獄の特訓の成果は二人とも本物になっていた。
時々、岩場のように突き出した安全な足場で腰を下ろして休んだりしながら、僕たちは順調に崖の中程までたどり着き、今は岩のくぼみでふぅと一休みしているところだ。
今までは急傾斜とはいえ、傾斜があった。だが、これからはほぼ垂直な、まるで”壁”のような崖になっている。
ふと振り返ると、二年間を過ごしてきた大樹の森が、木々に覆われた美しい樹海となって眼下に広がっていた。その遙か先、今いる場所よりも高くそびえる大樹の脇から、太陽がゆっくりと昇り始めるのが見えた。
まるで、大樹の森を出でる僕達を祝福してくれているように思える。その美しい朝日に元気を取り戻し、僕はまた壁に食らいついて登り始めることにした。
横目でリコルを見ると、僕と同じようにその絶景に深く感動しているようだった。
「リーノ! フィーネ! 朝日がすごく綺麗だよ!」
そう叫んで元気いっぱいに、壁と呼べるほどの最後の難所を登っていく。
先に登り始めたリーノとフィーネだったが、いつの間にか、僕達のすぐ下で、万が一の滑落に備えてそっと手を差し伸べるように待機してくれていた。相変わらず、不器用で温かい精霊たちだ。
(……あと少し。あと少しだ。慎重に、慎重に……)
心の中で自分を鼓舞しながら、一歩一歩、確実に登っていく。
すると、手の先に石や土の感触が無い、何もない空間へと手が突き抜けた。一瞬、心がフワリと不安であふれかえりそうになった次の瞬間、ここが”頂上”だと気づき、体全体が心地よい達成感と喜びに包まれる。
(――いや、ダメだ。ここが一番大切だ。最後の一歩こそ、慎重に慎重を期さなくては!)
大樹の木登りで心と身体に深く刻み込まれたリーノの原則が頭に浮かぶ。
最後のひと登りに全神経を集中させて、ガチリと大地の縁を掴んだ。
「やったー」と大声を上げたいところだが、……リコルがまだだ!
振り返って辺りを見回すと、リコルの手が必死に掴む場所を探して彷徨っているのが見えた。
「リコル、ここが頂上だよ! 手を出して、ゆっくりと引き上げるからね!」
そう言って、僕はリコルの両手を自分の手でしっかりと掴み、ぐっと力を込めてゆっくりと引き上げた。
リコルもとうとう崖を登り切り、ふたりで並んで地面へと大の字に倒れ込む。
「やったー……!」
「やったね……!」
僕達が叫んでいると、すぐ下で見守ってくれていたリーノとフィーネがふわりと飛んで来て、僕とリコルの前に着地した。
「よくやったわね」
「よくやった」
二人の温かい言葉に、僕とリコルは呼吸を整えながら満面の笑顔を浮かべた。
地獄の特訓を乗り越えた僕たちの視界の先に――ついに、これまで見たこともない広大な”外の世界”の景色が、朝日に照らされながらどこまでもどこまでも、美しく広がっていたのだった。




