第16話 二人目の転生者
サーチの魔法を習っていたら、大樹の森の縁に倒れている少女を見つけた。その少女が、今は隣の部屋で寝ている。
体外へ出ている魔素を取り除くと共に、体から魔素が出ないようにする前室を少し広げることにした。
そこを、ベッドで意識なく眠り込んでいる少女の看護を交代したあとに、休むための臨時の部屋にしていた。
今、その部屋のベッドの上で目を覚ました。
「あー……」
と声を出しながら思い切りのびをしそうになり、慌てて手で口を押さえて声を止めた。
隣のベッドを見ると。そこにはリーノが静かに眠っている。
(……こうやって見ていると、優しそうで可愛く見えるんだけどな。中身はあのオニ教官なんだよなぁ)
小さく首を横に振り、お約束のように浮かんだ雑念を頭の隅へと追い出した。
バリアは張ったままなので、念のために魔素浄化の魔法を自分にかける。
少女が寝ている部屋への扉が開くことを頭の中でイメージすると、壁の一部が滑らかに変化し扉が現れ、ゆっくりと開かれた。
ベッドで眠る少女の隣で、椅子に座っているフィーネが、こちらに気づいて振り返る。
『ゆっくり眠れた?』
『ありがとう。たまりにたまった訓練の疲れも、おかげさまで十分に取らせてもらったよ。……ところで、精霊って眠りが必要なのかい?』
心地よい眠りに落ちているリーノを見て、ふと気になった疑問をぶつけてみる。
『必要ないわよ。でもね、ヤノスと暮らすようになって、ヤノスが気持ちよさそうに眠っているのを見てから、なんだか眠ることに興味が沸いてきちゃって。一度試しに眠ってみたら、翌日がとても気持ちよかったの。……あ、そうだわ。ほんの少し前に魔素を含んだ水を飲ませたから、しばらくは飲ませなくても大丈夫よ』
交代のためにすれ違いざま、フィーネは僕に向かって楽しそうにウインクを送ると、隣の部屋へと入っていった。
助けた直後は二人がかりで付き添うようにしていたが、倒れてからもう三日目になり、今では交代で一人が付き添うようにしている。
隣の部屋との出入り口が再び壁へ戻ろうと変わりかけたまさにそのとき、僕は緊張した声でフィーネを呼び止めた。
「フィーネ! リーノを起こしてきてくれ。この子、眠りから覚めるみたいだ!」
少女のまぶたの下で、眼球がかすかに動いているのが見えた。同時に、頭や手がびくりと動き出す。
「う、うー……」
少女が小さな声を漏らし始める頃には、リーノを起こしに行ったフィーネと、目をこすりながら眠そうにするリーノがベッドのそばにやってきた。ちょうどそのとき、少女はゆっくりと目を開き、戸惑うように僕たちを見つめた。
「具合はどうかしら。気分が悪いとか、体の調子で悪いところはあるかしら」
目をパチックリとさせた少女は、僕たち三人(一人と二柱?)を一人一人ゆっくりと見つめると、
「ここはどこ……?」
と、か細い声で尋ねてきた。
『まずは一安心ね』
フィーネが、ほっとしたように念話を飛ばしてくる。心の底から同意する。
「ここはどこ? どこなの? ……私を助けてくれて、ずっと一緒だった、あの小さな精霊さんたちは?」
少女の口から出た「小さな精霊」という言葉に、隣のフィーネとリーノが一瞬だけハッとしたように顔を見合わせた。
「君はこの精霊の森の、ちょうど境界に当たるところに気絶して倒れていたんだ。それを見つけた聖獣と聖鳥が君を守っているところを、僕たちが発見して、この大樹の家へ運んでお薬を飲ませていたんだよ」
「たいじゅの、もり……?」
不思議そうに言葉を反芻する彼女に、今度はフィーネが、何かを察したような優しい声音で問いかけた。
「気を失うまでのことを覚えているかしら? どんなことでもいいの、覚えていることがあったら私たちに教えてもらえるかしら? 言葉に出さないで、頭に描いてもらえればこちらに伝わると思うわ」
少女はそっと目を閉じ、頭の中の記憶を一生懸命に整理しているような様子を示した。
それから、ぽつり、ぽつりと、過去の記憶を必死に手繰り寄せるようにして、少女は少しずつ今までのことを念話で僕たちに伝えだした。
『私は、生まれながら身体に異常があったみたいなの。物心がついた頃には身体には異物が沢山つけられ、いろいろな機械に囲まれたベッドの中だったの。病院を出たことはなく、手術を受けては少し良くなり、しばらくするとまた体調が悪くなる。そして、また手術を受けることの繰り返しだったの』
病院とか手術などリーノやフィーネがわからないだろうと思う言葉は、その都度念話で説明した。途切れ途切れに念話が送られてくるので、説明する時間は十分にとれた。
『そんなある春の日、気分が良くてベッドを起こし、窓越しに見える公園を眺めていたの。満開に咲き誇る桜の花と、夜空に凜として輝く満月に見とれていたの……。よく見ると、一人の男の人が、公園のベンチに座り何かを飲みながら、同じように桜と月を見ていたの』
(え……? そ、それって)
『(私も外に出て、桜と月を近くで眺めたいな)と思ったら、目の前が真っ白になったの。次に目が覚めたら大きな木の下で、私の周りをたくさんの小さな羽の生えた精霊が飛び回っていたの』
そのことが話されたとき、一斉にリーノとフィーネが驚いた様子で僕を見る。
(……嘘だろ。あの春の日、僕が雷に打たれたあの日……。あのベンチにいた僕を、窓から見つめていた女の子……!?)
魂が激しく揺さぶられ、僕は何も返すことができなかった。
『見たこともない場所にいるし、勇気を出して立ち上がってみると、自分の足で立てたの。それに、息苦しくもないの。もう嬉しくって。飛び回る精霊を追いかけて、大きな木がある森の中を思いっきり駆け回ったの』
少女の顔から、満面の笑みがこぼれ落ちる。
『身体が元気になっているし、精霊さんたちもいる。だから、病院で読んでいた本の世界、ここは異世界だと思ったの』
沢山の精霊と戯れる彼女の様子が、何の抵抗もなく頭に浮かんでくる。
『季節が変わり、暑くなり、寒くなり、だんだんと暖かくなってきたと感じた頃だったの。森の遠くから、とてもいやな気持ちになる何かがいることに気付いたの。活動できる範囲が狭くなってきて、森の中心にある大きな木からあまり遠くへ行くことができなくなって……』
(嫌な気持ちになる何かが”邪気”なのだろうか?)
リーノとフィーネの顔を見ると、暗く真剣な表情をしている。
『だんだんと体が重くなってきて、動く力も動こうとする気力も無くなってきて……。気付いたら、このベッドの上だったの』
彼女の話を静かに聞き届けると、フィーネは深く、がっかりしたようなため息をついた。
「……あの子たち、やっぱり人間が”食事”を必要とすることに気づかなかったのね。大気に満ちる魔素ばかりを彼女に与えて、安心しきっていたんだわ。悪気がないとはいえ、本当に困った子たちね……」
フィーネの言葉に、隣のリーノも呆れたように小さく肩をすくめている。
深く息を吐いた後、おもむろにフィーネが少女に質問をした。
「一つ聞いてもいいかしら……あなたの名前を教えてもらえる?」
少女は少し緊張したようにコクンと、うなずき次の瞬間、首をかしげていた。
その光景を見つめながら、僕の脳裏には、かつて自分がこの世界で目を覚まし、フィーネたちから初めて「ヤノス」という名前を認めてもらった、あの時の記憶が優しくフィードバックしていた。
あの時、名前を通じて自分の魂が世界に受け入れられたような、なんとも言えない温かい感覚。今まさに、目の前の彼女も同じように、この世界へ新しく受け入れられようとしているのだ。
大精霊の優しい眼差しに見守られながら、少女は戸惑いながら小さな声で呟いた。
「名前? 名前って……何……?」
その予期せぬ言葉に、僕もフィーネも、リーノさえも思わずポカンと固まってしまった。
(……え? 名前がわからない? ――あ、そうか! 僕がそうだったように、彼女も転生時の衝撃で前世の名前を失ってしまったんだ……!)
「はぁ……あの子たちったら、いくら人間界での生活を知らないとはいえ、名前くらい付けてあげれば良いのに。まあ、精霊にとっては念話で直接心を通わせるから、必要ないと言えばそれまでなんでしょうけど、はぁ……」
うなだれながら大きなため息をつくフィーネ。
かつての自分と全く同じ、世界に取り残されたような迷子のような瞳で見つめ返してくる彼女。名前のない少女を前にして、僕たちの新しい運命の歯車が、静かに、だが確実に動き出そうとしていた――。




