第15話 治療
大樹の家の中に入り、まずは連れてこられている少女のための部屋を用意することにした。
『少女のための部屋を』と大樹にそっと願うと、まるで生き物のように幹の内部が滑らかに形を変え、あっという間に新しく綺麗な個室が生まれ出た。この家の便利さにはいつも驚かされる。
「そうだわ。ヤノス、あなたこの大樹を登った時に、幹と枝の境目のあたりに、大きな葉をつけた宿り木を見なかった?」
「ああ、見たよ。いつもその横で、ひとやす――いや必死になって息を整えていたからね」
「すぐに上っていってその葉を一枚、できるだけ大きいものをとってきてくれない?」
「わかった。すぐに行ってくる!」
リーノとフィーネが忙しく、これから運ばれてくる少女を迎えるための準備をしているのを横目に、僕は大樹の家を飛び出した。そして、勝手知ったる我が家の幹を、丁寧に、だが1年前とは比べ物にならないスピードで少しずつ登り始めた。
いつも一休みしている大枝の上。そこにある宿り木の葉の中から、一番生き生きとしていいて大きな葉を、執念で一枚もぎ取る。
さあ、あとは木の幹を伝って降りる準備をするだけ――となった、その瞬間だった。
(……え? ちょっと待って。僕、こんな大きな葉を持ったままじゃ、両手が塞がって降りられないよね……!?)
あの真冬の特訓で「降り方がわからない!」と涙目で絶叫した恐怖の記憶が、一瞬にして脳裏に蘇る。
しばらく考えた末、僕はもぎ取った大きな葉を、自分の服と肌の隙間にしっかりと挟み込んだ。これで両手は自由になる。
慎重に、慎重に大樹の幹を降りていく。
下に落ちたときに、いつも衝撃を軽くしてくれるリーノやフィーネが今はそばにいないのだ。いつになく緊張感を持って足場を選び、どうにか無事に家の中へと戻ることができた。
だが、いつものリビングに入っても、そこには誰もいない。
『ねえ、リーノ。フィーネ。どこにいるの?』
こんな時は念話が便利だ。どんなに離れていても、声が届きにくい様な場所にいても、念話だったら確実に思いを届けてくれる。
『ちょっと待っててね。今そっちに行くわ』
フィーネの声が頭に響いた直後、ただの木の壁だったところが音もなくドアの形に開き、中からフィーネが姿を現した。
「声をかけてくれて良かったわ。先ほど女の子が運ばれてきたんだけど、今は魔素が全く存在しない、強い結界で遮断された専用の部屋に寝かせているのよ。大樹の森の魔素は濃すぎるから、衰弱したあの子には刺激が強すぎるの」
「彼女の様態はどうなの?」
「彼女は大丈夫よ。それとね、彼女のいる部屋に入る時は、手前の小部屋で体にバリアを張り、まとわりついている外部の魔素を取り去ってから入らないといけないの」
「そ、そんなことまでしないとダメなんだ……。大樹の森の魔素が強すぎるから、あえて魔素が1ミリもない部屋を作って、彼女の体がショックを起こさないように守っているんだね」
「用心には越したことないからね。それより、とってきてくれた葉をちょうだい。早く処理をしたいわ。その大葉には大量の魔素が含まれているから、このまま一度に与えたら、今のあの子の体には強すぎて逆に”毒”になってしまうの。だから、すぐに細かく刻んで乾燥させ、粉末にして少しずつ飲ませるのよ」
「なるほど、だからわざわざ大きな葉が必要だったんだね」
そう言って、服の内側から取り出した大きな葉を受け取ると、フィーネは違う部屋への入り口を音もなく開けて、一人で中へと入っていった。
(……この家って、一体いくつの部屋があるんだろう)
一人リビングに取り残された僕は、なんだか心細くて仕方がなかったが、意を決してリーノに呼びかけることにした。
『ねえ。リーノ、運ばれてきた女の子に会いたいんだけど、どこからどうやって入ったら良いの?』
呼びかけてしばらく経った後、またしても壁にスライド式の扉が現れ、そこからリーノが顔を出した。
『こっち』
手招きするリーノに従い、僕は彼女が出てきた部屋へと足を踏み入れていく。そこは、大人が数人もいれば身動きがとれなくなるような、狭くて何も無い真っ白な小部屋だった。まるで前線基地の消毒室のようだ。
「《バリア》を唱える」
リーノが短く声をかけると、彼女の体を何か透明な膜のようなものが優しく包み込んでいく。
僕もそれに見習い、《バリア》と声に出して唱えると、自分の体を何かが薄い膜となって覆い尽くしていく感覚があった。
「《魔素浄化》を唱える」
リーノが言い終わるより早く、彼女の周りに薄く漂っていた、七色に輝く神秘的な魔素の粒子が、霧が晴れるように綺麗に消え去っていった。
「《魔素浄化》」
言われた通りに僕も魔法を唱えると、目の前にあった、自分の体から出た白いもやっとした魔素の残滓が、パッと掻き消えるように消滅した。
「行く」
リーノがそう言うと、今度は正面にある壁が音もなく扉の形に変化し、ゆっくりと中へと開いていった。
リーノに続いて部屋の中に入った瞬間、僕は思わず息をのんだ。
そこは、ベッドが一つポツンと置かれた、大樹の緑のぬくもりに包まれた丸い部屋だった。ベッドの上には、先ほど【フェンリル】の背に乗せて運ばれてきた少女が横たわっている。
だが、その姿は遠目から見ても、今すぐにでもその小さな命が零れ落ちてしまいそうなほど、ひどく衰弱しきっていた。
リーノと二人で何も声に出すことはせず、じっとその少女を見つめていると、先ほど入ってきたところがまた扉の形に変わり、フィーネが入ってきた。
フィーネの右手には透明な瓶が握られており、その瓶の中には深緑色をした粉が入っていた。
「あなたが取ってきてくれた、先ほどの葉っぱよ。温風の魔法で乾燥させ、粉にしてきたの。そこの小さなテーブルの上にある吸い飲みに、水を入れてちょうだい」
テーブルの上にちょうど病気の時に横になったまま飲むことができる、吸い飲みのような形をしたものがあった。僕は魔法を使って、指先から静かに水を生み出し、その入れ物へと注いだ。
するとフィーネは、水が注がれた吸い飲みの中に、瓶の中の粉を耳かきより小さいものの先でほんのわずかにすくい取り、そっと粉を落とし込んで、少女の口元へと運んだ。
「安心して飲んでね。これを飲んだら体調が良くなるわ。そしてゆっくり休むの。明日、陽が昇る頃には元気になるはずよ」
フィーネは優しくそう語りかけながら、吸い飲みの中の薬水を、少しずつ少女の口の中へ含ませていくのだった。




