第11話 進化する訓練3
季節の移り変わりは早いもので、僕がこの世界に転生して初めての”冬”が、ついにその牙を剥き始めていた。
大樹の森に吹き付ける風は日ごとに冷たさを増し、じっとしているだけで手足の感覚がなくなっていく。
だが、そんな極寒の環境であっても、大精霊たちのスパルタな訓練が立ち止まってくれるはずもなかった。
むしろ、寒さで身体が縮こまる分だけ、訓練の過酷さは何倍にも跳ね上がっている。
リーノから加えられる武器が大剣であったり槍であったり、フィーネからの攻撃も弓であったり、猿が石を投げてきたりと、彼らの波状攻撃は多彩を極めてきた。
だが最近では、意識せずとも自分にくわえられる”害意”の気配をわずかながら感じられるようになっていた。
十回に数回は攻撃を躱せるようになり、たとえ躱せない時でも、まともに喰らわずに剣の腹で威力を受け、流すことができるようになっていた。
おかげで、大けがをすることは劇的に少なくなっている。
訓練の内容も濃いものとなったが、時間的には短くなり、油断はできないものの、ゆったりとした時間が持てるようになり、心にゆとりも出てきたようだ。
そんな、少し寒さを感じるようになり、冬が近づいてきていることを実感していたときのことである。
リーノ、フィーネとともに、いつも見上げているわが家でもある大樹の木の根元に来ている。
「大樹 上る」
リーノが幹を指さした。
「はあ? この巨木を上れって?」
「うん」
お、初めて返事をしてくれた。とはいっても、喜んではいられない。もう、「言われたことは絶対にやらなければならない」と、骨身にしみて理解しているからだ。
幹の表面はゴツゴツとしており、足場になりそうな引っかかりは多い。上れないこともなさそうではあるが、見上げれば目が眩むほどの高さだ。
「ねえ、落ちたらどうするのさ」
「死なない たすける」
ため息しか出ない。今までの地獄のしごきのおかげで、多少のことでは壊れない頑丈な体(主にメンタルと、少し引き締まった少年の肉体)になっている自覚はあるが、それでも本能的な恐怖が心を掴んで離さない。
「恐怖だめ 平常心」
リーノにそう釘を刺され、僕はハッと我に返った。
「そうだった。平常心、だよね」
こんな無茶な巨木登りを求めておいて、平常心だなんて無理を言うな! と思わないわけではない。
だが、フィーネから聞いた、まだ見ぬ恐ろしい世界の闇――【邪気】や【邪怪】の存在を頭に思い浮かべた。負の感情は邪気を呼び寄せる。
そう自分に言い聞かせることで、どうにか恐怖をねじ伏せ、冷静さを取り戻す。
冷静な目で見ると、ちょっとした引っかかりを見つけることができた。
たしか前世でテレビの登山番組で見たと思うのだけど、このようなとき【三点支持】とか言って、手と足の三カ所で体を支え、残りの手足を動かして進むのが基本だ。
ゴツゴツとした大樹の皮に、小さな両手と両足を力強く引っ掛けた。
慎重に少しずつ上を目指して上っていく。
(……よし。たしか手の保持力なんて、足の筋力に比べたら微々たるものだ。手はあくまできっかけを掴み、バランスを取るためだけに使う。基本は足の力で、下からぐっと体を押し上げて上っていく感じだったはずだ!)
何度も足を滑らせ、そのたびに落ちて痛い思いをしては、また壁に食らいついて上っていく。
途中でコツを掴み、調子よくかなりの高さまで上ることができた。だが、それでも最初の巨大な木の枝にすら、まだ到底到達できない。
ほんの一瞬、第一目標の枝が見えた気がしてふっと気を抜いた瞬間――身体が宙に浮いていた。
(あ、これ、やばいんじゃない……!?)
心の中で絶叫が響く。この高さから地面に叩きつけられたら、いくら頑丈になった体でもただでは済まない。
恐怖に目を瞑った瞬間、地面の直前でフワッと身体が浮いた状態になった。
(助かった……!)
と、安堵の息を漏らした次の瞬間。
ドシン!!! と、したたかに背中を地面へ打ち付けられた。
「うぐっ!? 痛いっ……!!」
(どうせ魔法で助けてくれるんだったら、最後までもっと優しく下ろしてよ!)と文句の一つでも言いたくなったが、ぐっと堪えてやめておいた。
(どうせ言っても無駄だ、これが彼女らのやり方なんだから)と、これまでの地獄の経験が僕にブレーキをかける。
痛む体をさすりながら這い起きると、目の前にリーノが立っていた。
「痛い思い 大切 痛い いや 用心する」
一語一語、不器用に言葉を紡ぐリーノ。
その言葉の真意が、僕の頭の中にストンと落ちてきた。
ただの意地悪で落としたんじゃない。痛みを嫌だと思うその本能こそが、外の世界に出たときに油断を無くし、自分の身を守る最大の武器(用心)になるのだと、身をもって教えてくれているんだ。
いつもは冷徹に僕を睨みつけてくるリーノの瞳の奥に、静かな優しさと、僕を死なせまいとする大精霊としての強い責任感が宿っているのが見えた。初めて触れたリーノの温かさに、僕は胸の奥がじんわりと熱くなるのを覚える。
「……そっか。うん、わかったよ、リーノ」
僕は小さく笑うと、お尻についた土をパンパンと叩いて立ち上がった。
「さあ、もう一回頑張るか!」
見上げる大樹はどこまでも高かったが、今の僕の心には、先ほどまでの恐怖はもう微塵も残っていなかった。
◇ ◇ ◇
冬もまっただ中に入った。
手がかじかむように寒い毎日だが、体内の魔素を体中で循環させて暖かくなるイメージを教えてもらい、寒さも大分平気になった。魔法の力というのは、本当に便利で不思議なものだ。
今日も一日の最後の訓練である”大樹登り”に挑む。
昨日はあと少しのところで、一番最初の枝に到達できると安心した瞬間、足が滑って落ちてしまった。
地面につく瞬間、身体がフワリと浮いたように感じたものの、そのあと容赦なく地面にたたきつけられた。
魔法でかなり衝撃を軽減されているとは思うが、あまりの痛さにしばらく転げ回ったのは苦い思い出だ。
(今日こそは、絶対に登り切ってやる……!)
今日も(平常心 平常心)と心で唱えながら、三点支持を心がけ上っていく。
最初の枝とはいえ、木の根元とから見上げると、四階から五階建てのビルの屋根ほどの高さほどある。
木の根元があまりにも太いため距離感が狂っているが、実際は目もくらむような高さなのかもしれない。
(雑念はだめだ 平常心 平常心)
心で唱えながら、一歩一歩慎重に上っていく。
そう自分に言い聞かせ、時々交互に片手を休めながら、僕はひたすら上り続けた。
見上げてもこの先が何処まであるのか想像もつかない巨大な幹を登り、ようやく最初の大きな枝のところまで来た。気持ちを落ち着かせ、枝の横を通り過ぎて斜めに上ることで、ついに大枝の上に到達する。
上ばかりを見つめて上ってきたが、この時初めて下を見てみることにした。
幹と大枝が交わる巨大な根元(付け根)は、一人住まいの部屋が丸ごと入るほどの圧倒的な大きさがある。その真ん中のあたりには、団扇より大きな宿り木の葉が、大きな鱗を幾重にも重ねたような姿で、その圧倒的な存在感を誇示していた。
大枝の安定した場所に足を下ろすと同時に、今までの疲れが一度に押し寄せ、身体を大きく伸ばしてその場に横たわってしまった。
真冬の極寒の中であったが、大樹が体をそっと暖かく包んでくれているような穏やかな心地よさに、心の底から安らぎのため息が漏れた。
「休まない おりてくる」
鬼のような声が、はるか下から突き上げてくる。
慌てて起き上がると、立派な宿り木の葉に「また来るね」と労うように撫でてやり、やっとの思いで登り着いた最初の枝から下りることにした。
――が、そこで初めて気がついた。
(……あれ? ちょっと待って。僕、いままで”自力で降りたこと”なんて一度もなかったよね……!?)
いつも足を滑らせて落下し、リーノの魔法で(ドシンと容赦なく)回収されていたため、自力での降り方を一ミリも習っていないという致命的な事実に、今さら気づいてしまったのだ。
「リーノぉぉぉ! 降り方がわからないよぉぉぉ!!」
遥か眼下の鬼コーチに向かって、僕の涙目の絶叫が、冬の森に虚しく響き渡るのだった。
読んでいただきありがとうございます!
次回は、新たな展開が待っています。
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