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7.自ら死地に赴く愚王子


 エルディア魔導王国――王城。

 白亜の大尖塔が崩落して、三日。

 王城の半分は瓦礫に埋もれ、王都の経済は完全に麻痺していた。

 国庫は空。

 魔力石の供給は、止まった。

 商業区では、毎日のように暴徒が略奪に押し寄せている。

 王宮の謁見の間では、老国王が玉座から立ち上がり、息子に向かって吠えていた。


「ユリウスッ! すべてお前の責任である!」


 国王の声は、もはや王の威厳すらなく、ただの怒れる老人のものだった。


「魔法省の連中が、ようやく確かめおったわ! 結界の崩壊も、尖塔の崩落も、原因は『あの女の不在』だと――!」

「ち、父上、それは……」

「黙れ!」


 王笏が、玉座の脇に叩きつけられた。

 大理石が、ぱきりと罅割れる。


「どうにかしてエララを連れ戻せ! お前が捨てたあの娘を、お前自身の手で連れ戻してこい! さもなくば、この国は滅ぶ!」


(こ、この私に、頭を下げに行けと……?)

(この、神に愛された天才王子の、私が……?)


 ユリウスの顔が、屈辱と恐怖で歪んだ。

 しかし、ヴァルスから受け取った最後通牒の文言が、脳裏で響き渡る。


『次なる無礼があれば――エルディア魔導王国は、地図から消える』


(……いや、待て)

(私は、頭を下げに行くのではない)


 彼は、震える唇を、無理やり吊り上げた。


「父上! ご安心くださいませ!」


 ユリウスは、芝居がかった仕草で、胸を張った。


「これは、不当な拉致なのです! ガルディナ帝国は、我が国の令嬢を、不法に幽閉している!」

「……何だと?」

「私は、正式な外交使節として、帝国へ乗り込みます! この『神に愛された王子』の偉大さを見せつけ、エララを王国に取り返してご覧に入れましょう!」


 謁見の間が、しん、と静まり返った。

 大臣たちは、互いに顔を見合わせる。

 言葉は、出てこなかった。

 ただ、誰もが同じ表情を浮かべていた。


(こいつ、もう、駄目だ)


 しかし、現実から完全に目を背けたユリウスにとって、その沈黙は「畏敬」と映った。


「すぐに支度を! 聖女ミレーヌも同行させる! 帝国の蛮族どもに、我が国の格の違いを思い知らせてやろうぞ!」





 数日後――ガルディナ帝国、国境関所。

 エルディアの王家紋章を掲げた、きらびやかな馬車隊が、堂々と進入してきた。

 先頭の馬車から、ユリウスが、鼻高々に降り立つ。


「私はエルディア魔導王国第一王子、ユリウス・エルディアである! 即刻、皇帝への謁見を要求する!」


 しかし――。

 彼を出迎えたのは、楽団の演奏でも、赤い絨毯でもなかった。

 無言。

 ただの、冷たい無言。

 関所を、漆黒の鎧の帝国騎士たちが、ぐるりと取り囲んでいた。

 その数、およそ三百騎。

 全員が、片手に抜き身の長槍を握っている。

 穂先は、すべてユリウス一行へと、向けられていた。


「な、なんだ、貴様ら! 無礼であろう!」


 悲鳴混じりの叫びに、誰一人、答えなかった。

 代わりに、騎士団長らしき男が、無感動に顎をしゃくる。

 ユリウスとミレーヌは、押し黙ったまま、馬車を引き離された。

 使節団の従者たちは、武装解除のうえ、別の馬車へ。

 二人だけが、装飾のない無蓋の輸送車に押し込まれた。


「こ、これは外交だぞ!? 貴様ら、王族に対して何たる扱いを――!」

「黙って座っておれ」


 騎士団長が、初めて口を開いた。


「貴様らに与えられているのは、罪人としての席である」


(罪、人……?)


 隣で、ミレーヌが、ふらりと膝を折った。

 彼女が誇った『光の聖女』の華やかさは、もはや痩せ細った頬の白粉だけに、残っていた。

 帝都までの三日間、ユリウスは無言の槍に囲まれ、屈辱の冷たい風に晒され続けた。

 現実逃避を続けても、足元の地面は、容赦なく彼を引きずって行った。





 ガルディナ帝国――皇城、謁見の間。

 高い天井に金箔が踊り、両脇を埋め尽くす帝国貴族たちの視線が、入ってくる愚か者を待っていた。

 巨大な扉が、ぎぃ、と重く開かれる。

 ユリウスは、弾かれたように顔を上げ――息を、呑んだ。


(……は?)


 はるか先の、玉座。

 そこに、座っているのは、二人。

 漆黒の髪に、真紅の双眸。

 立っているだけで空間を圧する、絶対者の体躯。

 大陸最強と謳われる、若き竜帝レオンハルト。

 その隣の、ひと回り小さな玉座に。

 月明かりのような銀髪を、繊細な金細工の髪飾りで結い上げ、白を基調とした神々しいドレスに身を包む、一人の女性。

 澄み切ったアメジストの瞳が、まっすぐに、ユリウスを見つめていた。


(……あれが、エララ、だと?)


 ユリウスの脳が、追いつかなかった。

 いつも俯き、地味で、陰気だと罵っていた、あの女。

 その面影は、もはや、どこにもない。

 代わりにそこに在ったのは、磨き抜かれた一輪の宝石のような、神聖ガルディナ帝国皇妃。

 貴族たちが、ひそやかに囁き交わしている。


「あれが、噂の『真の幸運の女神』様か」

「……陛下のあの優しい横顔、初めて拝見する」


 謁見の間の空気そのものが、彼女を中心に回っていた。

 全員が、認めていた。

 彼女こそが、帝国の真の主人なのだと。


(……ば、馬鹿な)

(嘘だ。あれは、私の……私の婚約者の、はず……)


 ユリウスは、目の前の現実が、信じられなかった。

 いや、信じたくなかった。

 だから――彼は、笑った。

 引きつった、無理な笑顔で。


「エララ! この私が、直々に迎えに来てやったぞ! 光栄に思い、喜べ!」


 ユリウスは、両手を広げた。


「帝国に騙されていたのだろう、可哀想に! 大丈夫だ、すぐに王国へ連れ帰ってやる! お前にふさわしい場所は、私の隣だ!」


 謁見の間が――。

 一瞬、しん、と静まり返った。

 次の瞬間。


「く、くくっ……」

「ふふ、ふっ……」

「あの男、本気で言っているのか……?」


 ぞっと寒くなるような、冷笑のさざ波が、貴族たちの間を伝っていく。

 扇の陰から漏れる、抑えきれぬ嘲笑。

 ある女性貴族は、堪えきれずに、肩を震わせていた。

 帝国の中枢を埋め尽くす、数百の冷ややかな視線。

 その全てが、たった一言を、共有していた。


(哀れ)


 玉座のレオンハルトは、僅かに、片眉を上げた。

 その隣でエララは、優雅に微笑んだまま――一言も、発さなかった。


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― 新着の感想 ―
父王からしてこの期に及んであの女扱いだから似た者親子だよな。
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