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私のいる場所

 黄昏時の空が静かに広がる頃、王宮からアッシュとノアが帰ってきた。

 二人がいる離宮の執務室の扉をノックして開けると、アッシュとノアが穏やかな笑顔でこちらを見た。

「アッシュ殿下、ノア様、おかえりなさいませ」

 エリィは二人に向かって頭を下げた。

「エリィ、肩の調子はどうだ?」

 アッシュの優しい声に心臓がトクンと鳴る。

「もう動かしても問題ありません」

 一瞬気を取られた顔を引き締めて顔を上げた。

「よかった。完全に治るまでゆっくりしていていいぞ」

 アッシュはいつもそう言ってくれるが、負傷休暇ももう三週間ほどいただいた。そろそろ暇すぎて働きたい。


「アッシュ殿下、ご相談があるのですが今よろしいでしょうか?」

「ああ、大丈夫だ」

 アッシュがにこやかに向かいのソファーに促してくれる。

 仕事を辞めるなど言いにくいな……と、エリィは顔を緊張させて一息に話し始めた。

「オーウェン様の呪いの件も無事解決しましたので、王宮での護衛の仕事を辞め、ロックランに戻ろうかと思います」

 アッシュはエリィを見たまま顔をこわばらせた。

「えー! エリィ、それは寂しいよぉ」

 ノアは眉をハの字にして口を尖らせている。


 アッシュは硬い顔のまま立ち上がると、

「少し二人で話をしよう」と言って、執務室の扉から出て行った。



 アッシュの後を追い離宮のテラスに出ると、まだ薄明かりの残る空に星が光り始めていた。

 手の届きそうな距離に立ったアッシュが、強張った顔をこちらに向けた。

「なぜここを去る?」

 なぜ? アッシュの綺麗な金色の瞳に見入る。それは、私以外の人にその瞳が微笑むのを見ていられないから……などと情を乞うようなことは言いたくない。

「王宮内にも、アッシュ殿下の信頼のおける者が増えてきたかと思いますので」


 アッシュは揺れる瞳でエリィの肩に手を置いた。

「私は、エリィにここにいてほしい」

 ……アッシュの声が好きだ。もっと聞いていたい。今、手を伸ばせば触れることができるところにアッシュがいる。最後にその頬に触れたい……けど……

 エリィは目線を下に外し、理性の言葉を吐き出した。

「……申し訳ありません。王宮には居たくありません……」


「いやだ……」

 アッシュはそう言うと、もう片方の手でエリィの頭を支え、そっと口付けた。

 アッシュの吐息がかかる。アッシュの柔らかくて温かい唇がゆっくりと動く。

 あぁ、アッシュのことが好きだ……でも……


「なぜ泣くのだ」

 唇を離したアッシュがエリィの頬に落ちる涙をぬぐった。

 心の底にある何かが勝手に溢れて、意思が危うげに揺らぐ。


「私はエリィの笑顔を見ていたい」

 すがるような瞳で見下ろすアッシュからエリィは目をそらし、高速で回転しながら結局何も考えられない頭で声を絞り出した。

「申し訳ありません……」






 数日後、離宮の門には執事のジェイコブさん、侍女のアドリアーヌさん、ノアが見送りにきてくれた。

 これまでの報酬と馬まで一頭いただき、懐が温かい。


「エリィさん、本当によく殿下をお守りしてくださいました」

 いつも気然としている執事のジェイコブさんが、今日はおじいちゃんの顔をしている。

「エリィさん、とても寂しいです。どうぞお元気で」

 侍女のアドリアーヌさんが、その豊満な体でぎゅっと抱きしめてくれた。

「エリィ、またね〜」

 ノアはいつもの調子だ。なんだか笑える。

 アッシュ殿下に最後に一目お会いしたかった……


「本当にお世話になりました。

 皆さまもどうぞお元気で」

 頭を下げ、手綱を引いて歩き出す。

 振り返り、こちらを見ている皆さんに手をふると、緑溢れる離宮は木漏れ日がキラキラと輝いていた。ここでの日々は幸せな思い出ばかりだ。


 アドリアーヌさんの料理は美味しかったなぁ。バルコニーから見上げる星はこぼれ落ちそうで、そんな星空をアッシュと一緒に見ながら話をした。

 ふと首にかけたアッシュからもらった琥珀のペンダントに服の上から手を当てる。

(このペンダントがあれば、いつでも思い出せる……)


 エリィは王宮の敷地を出て、馬に乗り一路南へ進み始めた。

 まず、数ヶ月ぶりにロックランに戻ろう。ギルドにも何も言わずに出てきてしまったので心配しているだろう。

 そのあと、一人でデンバーの港にまた行ってみようか。アッシュの護衛で行った時は、あの海の見えるレストランでお酒を飲み損ねたから……

 この旅では色々な所に行った。こんなにも全ての思い出がキラキラしているのは、アッシュがいたからなのだろう。



 王都から続く街道はよく踏み鳴らされた道幅三メートル程はある道で、緩やかにカーブしながら平原の中に続いていた。

 百メートル程先に、よく茂った大きな木と、木陰に繋がれた黒い馬が見えた。

 木のそばまで行くと、幹にもたれて座っていた旅人がこちらを見上げた。


 エリィはこちらを見上げた旅人のその金色の瞳に息を飲んだ。

「アッシュ殿下……」


 馬を降りると、アッシュが無言でこちらを見つめた。

 アッシュは立ち尽くすエリィを恐る恐る抱きしめて、つぶやいた。

「エリィ、私は君がいる場所に居たい」


 旅人の姿でそんなことを言わないでほしい。全てを放り出すと言うのか……

 エリィは腕でアッシュの体を離し、アッシュを見上げた。

「アッシュ殿下にはやるべき事がたくさんあるではないですか……」

 声が震えてしまうのは、押し込めようとする理性に何かが歯向かっているからだろうか。

 ダメだ。アッシュのことは好きだが、アッシュの隣は私が幸せになれる場所ではない。私はもっと自由に、私が本当にいるべき場所を探して……


 アッシュは逃げ腰のエリィの両肩を必死につかんだ。

「君がいなければ、全ては()だるくぼんやりとした日々だ。

 私に生きながら死ねと言うのか」

 アッシュの強い瞳に射竦(いすく)められる。

 アッシュには、だれよりも輝いて生きて欲しい。

 あなたの人生が輝いていれば、それをそばで見ていられるのならば……たとえ苦しいことが多いとしても、私は幸せなのだろうか……


「殿下にはかないませんね」

 ふっと笑みがこぼれる。

「殿下のそばにいます」

 そう答えると、アッシュの手に背中を引き寄せられ、温かい胸の中に顔をうずめた。

 


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