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呪い

 アッシュとノア、そしてエリィはステア教本部の廊下を白い祭服の人に案内され歩いていた。

 まさかアッシュが「ネヴィル司教に会いに行ってみる」と言い出すとは思っていなかった。この人は直球ど真ん中しか投げないピッチャーか、と頭を抱えた。

 ノアとエリィはもっと色々調べてからにしようと説得を試みたが、確かにアッシュの言う通り、これ以上のネヴィル司教の突っ込んだ情報は直接教会本部に行って確かめないと入手できないというのも一理あった。


 埃ひとつ落ちていない廊下を進むと、金とブルーグレーの文様に縁取られた大きな白い扉の前に案内された。

 案内の人が扉を叩き、「司教様、アッシュ殿下がいらっしゃいました」と告げた。


 司教の部屋は、祭壇と司教の机のみの殺風景なまでに物がない空間で、ネヴィル司教が昨日会った時のままの穏やかな表情で出迎えた。

「アッシュ殿下、ようこそおいでくださいました。私の方からお伺いしましたのに」

「いや、こちらの都合なので構わない」

 アッシュは立ったまま話を続けた。

「折り入って司教にご相談がありまして……

 兄上がどうやら呪いをかけられているようなのです」

 アッシュはじっとネヴィル司教を見た。


 ネヴィル司教はふっと微笑んだ。

「私もアッシュ殿下にお伺いしたいことがあるのです。

 なぜあなたには呪いが効かないのでしょうか」

 ネヴィル司教の何を隠すでもない言葉に、ノアとエリィは息を飲んだ。


「あなたでしたか……」

 アッシュは剣の塚に手を当てた。


「わざわざお越しいただけるとは、手間が省けました」

 ネヴィル司教は口角を上げると、右手の中指にはめている大きなルビーが嵌め込まれた指輪に触れた。

 指輪は突然赤い強烈な光を放ち、司教の部屋一面が赤く照らされた。赤い光が収まると、エリィの心は静かな青白い空間にいるように波打たなくなっていた。


 アッシュが剣を抜くと、ネヴィル司教は少し距離をとり、ニヤリと笑った。

「後ろをご覧なさい」

 アッシュが剣を構えたまま後ろを確認すると、そこには瞳の輝きを失って自分の喉に剣を突き立てているエリィが立っていた。

「卑怯な……」

 アッシュの顔に焦りが滲んだ。


「そこの魔術師、アッシュ殿下をこれで柱につなぎなさい」

 ネヴィル司教は懐から手錠を取り出すと、焦点も定まらず立っているノアに投げてよこした。


 アッシュはノアにされるがまま、腕を後ろ手にして柱につながれた。

「ノア! エリィ! 目を覚ませ!」

 アッシュがこちらに向かって叫んでいる。だけど、それは青白く色のない世界の出来事のようで、冷たく静かな心は行動の動機を与えなかった。


 エリィはネヴィル司教のそばに呼ばれると、自分に突き立てていた剣をネヴィル司教に手渡した。

「部屋を血で汚したくはないのですが……」

 そう言いながら、ネヴィルは剣を手にしてアッシュの目の前まで来た。


「なぜ、このようなことを」

 アッシュがネヴィルを見上げた。

「あなた達の政治では、民は救われません」

 ネヴィル司教が冷たくアッシュを見下ろした。


「確かに。ノイエン伯爵のような領主をのさばらせていたのは、我々の落ち度だ……

 やり直す機会を、与えてはくれないか」

「いえ、あなたはここで殺さないと危険だ」

 ネヴィル司教がそう言って剣を握りなおした時、アッシュは目を獣の瞳に変え、獣の咆哮を上げた。


 今まで景色が青白く見えていたのに、アッシュの咆哮を聞いたとたんに世界は元の温かい光に照らし出され、心臓が熱い血を送り出した。

 アッシュに剣を向けるネヴィル司教に駆け寄り、右手の指輪に手をかける。その刹那、ドンという鈍い衝撃と、焼けるような痛みが肩に走った。見るとネヴィル司教の持った剣が自分の肩に刺さっている。

 それでもまだ動く腕でネヴィル司教の手から指輪を抜き取り、ノアの方へ床を滑らせて投げた。

「ノア、指輪を私の口に!」

 アッシュはノアに指輪を拾わせると、それを咥え、狼のような犬歯でガリと噛み砕いた。


 それは、一種の呪い返しのような物だったのかもしれない。

 ネヴィル司教は目を見開き、苦しそうに頭を抱え、金切音のような悲鳴を上げるとその場に倒れた。


 すぐ横で倒れこんだネヴィル司教を呆然と見ていると、ノアに拘束を解かせたアッシュが駆け寄ってきた。

「エリィ、すまない……」

 アッシュは涙のこぼれ落ちそうな目でエリィの肩の剣を抜き、自分のマントを取って傷を押さえこんだ。

(間に合った……)

 アッシュが殺されるかと思った。緊張の糸がぷつりと切れ、エリィはアッシュの温かい腕の中にほっと体を預けた。






 アッシュがネヴィル司教の指輪を破壊して以降、オーウェン皇太子がアッシュに切りかかってくることはなくなった。

 オーウェン皇太子はアッシュを殺そうとした記憶をおぼろげながら覚えているらしく、アッシュに深く謝罪した。アッシュはそれを気に留めることもなく、再び優しい兄を取り戻したことを喜んだ。

 ネヴィル司教の謀反は、アッシュとオーウェン皇太子とごく一部の官僚だけの知るところにされ、公表はされなかった。


 ネヴィル司教は指輪を砕かれて以来、感情の起伏がなくなり、自らの意思主張も無くなってしまったらしい。肉体的には何も問題なく日常生活も送れるので、司教の座を降り、町の小さな教会で神父を助けながら生活を送っているらしい。


 エリィの肩の傷は深く、しばらくはアッシュの護衛にもつけないでいた。王宮内はかなり安全を取り戻したため、アッシュはたびたびエリィをつけずに王宮の会議に出るようになっていた。

 そんな折、プルシェンテ王国からステラ姫とアッシュの婚約の打診が来た。



 エリィは離宮の庭にて一人、だいぶ動かせるようになってきた右手を握ったり開いたりしながら一人物思いにふけっていた。


(もう私がここに居る必要は無くなってしまった……)


 元々は、アッシュに『王宮に味方が少ないから一緒にきてほしい』と言われてここに来たのだ。アッシュを脅かすものは去り、実際のところ最近はエリィの護衛なしでアッシュは色々動いている。

 きっと、アッシュとステラ姫の結婚を目の前で見ているのは辛い。アッシュが自分のことをかなり気に入ってくれているのは分かっているが、思い返してみれば、アッシュがステラ姫に会うのに同行するのは辛かった。もうあの頃からアッシュを独占したい気持ちが芽生えていたのだろう。


(私はアッシュ殿下のことを好きになり過ぎた……)


 エリィは大きくため息をつくと、アッシュが戻ってきたら護衛を辞める旨伝えようと心を決めた。

 

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