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司教

 離宮に戻ると、アッシュはノアにノイエン伯爵領で仕入れた情報を報告させた。

「伯爵の評判を聞くのはえらい苦労しました。ずいぶん領民から恐れられているようです。

 領民は皆声を口をそろえて『伯爵様は素晴らしい方だ』って言うんですよ」

 ノアはうんざりした表情で話を続けた。

「裏町のアングラな奴らがやっと話をしてくれましたが、伯爵に逆らったものはどこかに消されてしまうようです」

 アッシュは眉を顰めた。

「ノイエン伯爵はそこまで好き勝手にやっていたのか……」


 アッシュが顎に手を当てて思考に沈んでいる所に、執務室の扉が叩かれ、執事のジェイコブさんが入ってきた。

「失礼いたします。エリィ様宛にお手紙が届いております」

 ジェイコブさんが差し出したトレーには、封蝋で閉じられた封書と美しく彫刻をされたペーパーナイフが置かれていた。

「ありがとうございます」

 封書とペーパーナイフを受け取るが、この離宮に手紙をくれる人など全く心当たりがない。


「開けてみろ」

 アッシュに促され開封してみると、それは意外な人物からの手紙だった。

「ネヴィル司教から観劇のお誘いをいただきました」

「行く必要はない」

 アッシュは速攻そう答えたが、まだまだネヴィル司教の情報は足りない。

「いえ、よい機会なので探ってきましょう」

「さんせーい。面白そうじゃないですか!」

 ノアは目をキラッとさせて賛同したが、アッシュは眉間にシワがよったままだった。






 週末になり、ネヴィル司教と共に訪れたのは王都の中に建つ立派な石造の劇場だった。馬車からネヴィル司教にエスコートされて降りると、そこには見事な彫刻に囲まれた劇場の入り口がそびえ立っていた。

 ネヴィル司教は今日は司祭の服ではなくグレーのジャケットを着ており、落ち着いた紳士の装いだった。エリィも急ぎ用意したローズ色のシンプルなドレスを着て、久しぶりに女性らしい柔らかな気分になった。

 劇場の中は豪奢なシャンデリアが薄暗がりを照らし、開幕を期待する人々のささやき声が満ちている。二階のボックス席に入ると、そこには暗がりの中にワインレッドのベルベットの椅子が置かれていた。


 席に着き煌めく劇場内を見渡すと、向こう側の三階席に見たことのある黒髪の男の二人が座っていた。

(まさかあれは……髪色を変えたアッシュ殿下とノア様……)

 思わず額に手を当て考える人のポーズを取りたくなったが、なんとか表情を変えずに視線をステージに戻した。


 劇はヒストリカルな悲劇物で、反乱軍の主人公が滅亡の王国から姫を救い出すストーリーだった。オーケストラによる生演奏が素晴らしく、エリィはネヴィル司祭のことも忘れ演劇に見入った。


 劇が終わり、ネヴィル司祭に誘われて向かったのは、座席間隔の広い間接照明の美しいレストランだった。

 まさか、ここまでは着いてこないだろうと思っていたのだが、ネヴィル司教の死角の席にアッシュとノアが着席したのが見えた。

(レストランまで来たんかい……)

 非常に落ち着かないが、無視してネヴィル司教と穏やかに会話を弾ませるしかない。


 運ばれてきた宝石のように美しく盛り付けられた前菜を食べ、シャンパンの繊細な刺激を舌で楽しむ。このような会食は公爵令嬢だった時以来だ。

「悲しいお話でしたね。主人公が最後に姫を守って死んでしまうとは」

 美しい所作でナイフとフォークを持つネヴィル司教に話しかけた。

「彼は幸せだったのだと思いますよ。

 自分の理想を実現し、愛する人に見守られて死ねるのなら」

 ネヴィル司教は落ち着いたまなざしでこちらを見た。この人は、理想のためならば王族を傀儡にすることも厭わないだろうか。

「ネヴィル様は、ステア教のためなら殉死も厭わないですか?」

「ふふ。司教としての私の素質を問われているのですか?」

「めっそうもございません。

 ただなかなかに、命に替えても良いと思える使命を持つ方など一握りであろうと思いまして」

「私は、教会に救われた人間ですので」

 そう言って穏やかに微笑むネヴィル司教は、どこか手に届かない遠くに存在するように感じられた。


 レストランでの食事を終えると、ネヴィル司教は馬車にてエリィを離宮まで送ってくれた。

「今日はお誘いいただき、ありがとうございました。とても楽しかったです」

 正直、観劇もレストランも非の打ち所がないセレクトだった。ネヴィル司教も穏やかで紳士な方だった。

「エリィ嬢に来ていただけて本当によかったです。またお誘いしてもよろしいでしょうか?」

「ありがとうございます。楽しみにしております」

 エリィが完璧なる笑みを返すと、ネヴィルはエリィの手の甲に口付けた。

 




 

 まだ光が灯る離宮の執務室に行くと、レストランで見かけた姿のままのアッシュとノアがソファーでくつろいでいた。

「アッシュ殿下とノア様、劇場にもレストランにもいらっしゃいましたね……」

 演技の仮面が取れそうになったではないか、とエリィは若干苦情を込めた表情で言った。


「いやぁ、殿下がエリィの事が心配だ心配だとうるさくて」

 ノアは笑って、不機嫌そうな顔をしているアッシュに目をやった。


「ネヴィル司教は、今日はあまり具体的に怪しい所を見つけることはできませんでした。

 あえて言うならば、理想の実現のためならばどんな事も厭わないというタイプの方かもしれません。

 教義の執行のためならば、王侯貴族を呪う可能性もあるかと思います」

 ネヴィル司教からアッシュのことを探るような言動はなかった。今回のお誘いは、純粋にエリィと観劇を楽しむためだけのように感じられた。しかし、潔癖そうな意思の強さに危ういものも感じる。


「わかった。ご苦労だった。部屋に帰って休め」

 アッシュはニコリともせず、エリィを下がらせた。






 離宮の浴場にて緊張しっぱなしだった一日の疲れを取り、ドレスから楽な服装に着替えてエリィは自室のバルコニーで一息ついていた。

 バルコニーの手すりに腕をかけ、シーテリアの美しい星空を見上げる。

 ネヴィル司教はなぜ私を観劇に誘ったのだろうか? どうやら私はネヴィル司教の母親に似ているらしい。幼い頃に亡くした母親への慕情の延長線上にあるのだろうか……


 そんな事を考えていると、ふと後ろに人の気配を感じ、ふわっと後ろから熱い腕がエリィを包み込んだ。

 首元からアッシュの少し掠れた声がする。

「今日は楽しそうにしていたな」

 心臓がトクンと鳴って、振り返ることができない。


「君が司教に笑いかけると、(ひど)く腹が立つ。

 エリィは私だけの護衛なのに……」

 アッシュの気落ちした声が背骨に響き、頭にもやがかかっていく。

 エリィは痺れる心の中で、切れ切れの自分の声を聞いた。


 ああ、私はアッシュ殿下のことが好きなんだ……



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