貴族の館
アッシュはステラ姫を連れて、王都から馬車で二日ほどかかるイーダス地方に向かっていた。ステラ姫から「パレルモ神殿遺跡を見学してみたい」と要望があったためだ。
パレルモ神殿遺跡に近いノイエン伯爵邸に宿泊することとなったのだが、ノイエン伯爵邸は、歓迎式典でエリィに話しかけてきたネヴィル司教の生家だ。ネヴィル司教もオーウェン皇太子に呪いをかけた疑いのある人物の一人である考えていたアッシュは、そんな折ちょうどよくステラ姫からあった誘いに応じたのであった。
一行がノイエン伯爵邸に着いたのは昼もかなり過ぎた頃であったが、ノアは早速伯爵邸の侍女達と仲良くなるために出かけて行った。ネヴィル司教に関する噂話をたくさん仕入れて来るためらしいが、その物おじしない性格には恐れ入る。
夕食前に二階の廊下に出たとき、ノアは一枚の女性の絵の前でアッシュとエリィの足を止めさせた。
「この女性がネヴィル司教の母親だそうです」
周りの絵画に比べだいぶ小さいその絵には、艶やかな金髪に緑がかった青い瞳の若い女性が描かれていた。
「エリィに少し似ているな……」
アッシュは絵画をじっと見つめた。
ノアは一段声をひそめて話し始めた。
「平民出身で婚約者がいたそうですが、ノイエン伯爵の目に留まり無理矢理手籠にされたようです。
ネヴィル司教が六歳の時に自殺しています。母親の死後ネヴィル司教は教会に預けられたそうです」
「酷いな……」
アッシュは眉をひそめた。
「ノア、よく調べてくれた。
ノイエン伯爵の市中での評判も調べてくれるか」
「承知いたしました」
ノアはアッシュに頭を下げると、階段の下へ降りて行った。
晩餐の席は、ノイエン伯爵の贅を凝らした品々がテーブルに並べられていた。食器や調度品、部屋を飾る名画なども重厚かつ煌びやかだ。
アッシュとステラ姫が並んで座る向かいにいるノイエン伯爵は、でっぷりとした太く短い指に大ぶりな指輪をつけている。
ノイエン伯爵のちらほらと自慢話の入る晩餐を終えると、アッシュはステラ姫に晩餐後のワインを誘われた。貴賓室の毛足の長い絨毯の上に置かれた丸テーブルで、ワインクーラーに入った白ワインをアッシュがステラ姫のグラスに注いだ。
「明日のパレルモ神殿遺跡、たいへん楽しみですわ」
グラスを片手にアッシュに向けるステラ姫の笑顔は、プルシェンテでは見たことがない親しみが滲んでいる。
ステラ姫はプルシェンテ王国では、アルル皇太子やそのご学友達の妹的存在だった。あの頃の笑顔はどこか妖精のようで、特定の誰かに興味関心などが向けられることはなかった。
「姫は古代史にご興味が?」
斜め後ろからしか見えないが、アッシュも笑顔のようだ。
「はい。失われたものって、ロマンチックですよね」
ふと、ステラ姫の手がアッシュの手に添えられた。
主人の恋路など見ていたくないなと思い、エリィはその手から視線を外した。
楽しげに会話は弾み、ワインが一本空く頃、ステラ姫のアッシュに向ける瞳は潤んで少し焦点がぼんやりとなっていた。
「少しワインを飲み過ぎました。わたくしはここら辺でお暇いたします」
席を立とうとしたステラ姫が少しよろめいた所を、アッシュがその肩を支えた。
「お部屋までお送りいたしましょう」
アッシュはゆっくりとした足取りでステラ姫を彼女の部屋まで支えて歩いた。
アッシュはドアの前で一度立ち止まるも、クタっとしているステラ姫を支え侍女が開けたドアの中に入って行った。
侍女がゆっくりと部屋のドアを閉めると、エリィは部屋の外に一人取り残されてしまった。
アッシュはステラ姫の部屋からなかなか出てこなかった。
(もしかして、朝まで出てこないなんてことはあるのだろうか……)
エリィがそんな事を思い浮かべた時、アッシュがドアから出てきた。
アッシュはエリィを少し棘のある目で見ると、何も言わず少し早い足取りで部屋に戻って行く。
その背を急ぎ追いながら、(さっきまで楽しそうにしていたのに……)とアッシュの浮き沈みの激しさにエリィは戸惑った。
アッシュの部屋に戻り上着を受け取ると、アッシュは不機嫌そうな目で言った。
「あのような場面では、部屋のドアは開けたままにしておけ」
「申し訳ございませんでした」
(流石に婚約前に二人きりにさせるのは醜聞になりかねないか……)
エリィは、このような事には融通を利かせない方が良いというアッシュのスタンスを頭に叩きこんだ。
翌日パレルモ神殿遺跡に向かい再びノエイン伯爵邸に再び戻ってきた時には、空は見事なオレンジとピンクの夕焼けに染まっていた。
アッシュは夕食前の一時、部屋のバルコニーに腕をもたれ夕焼けに染まる空を見ていた。
「パレルモ神殿遺跡は素晴らしいところでしたね」
エリィは白い朽ちた柱や壁が、生い茂る蔦に埋もれた幻想的な景色を思い出した。
「気に入ったか。よかった」
アッシュが後ろに控えるエリィを振り返った。
「エリィ、友人の指輪は今も身につけているのか?」
突然なんの話だ? と思いつつも、そういえば寝起きにアッシュが隣に居た時も、そのようなことを気にしていた。
「はい」
エリィが答えると、アッシュはエリィの首もとに手をやり、するすると革紐にくくられたエメラルドの指輪を取り出した。
「これは、大事にしまっておけ」
アッシュはエリィからペンダントを外し、手に持たせた。
「替わりにこれを」
アッシュは服から取り出したペンダントをエリィの首にかけた。
それは、金の台座に涙型の琥珀をはめこんだペンダントだった。
「ありがとうございます」
琥珀を手に取り、夕焼けの光に照らしてみる。透き通る金色の輝きは、アッシュの瞳のように美しい。
「大切にいたします」
ペンダントヘッドの上から胸に手を当てお礼を言うと、アッシュは満足そうな笑みを浮かべて部屋に戻って行った。
アッシュ殿下からペンダントをいただけるなんて、嬉しい。ペンダントヘッドの辺りから胸にふわっとお日様のような暖かさが広がった。
視界の端にふと人影を感じてバルコニーの外を見ると、庭園にステラ姫が立っていた。
ステラ姫はこちらに鋭い一瞥をくべると、振り返り去って行った。
(え? 怒っている? アッシュ殿下にペンダントなんていただいてしまったから……)
ステラ姫の意外な激しい一面を見てしまい、エリィは気まずい思いでペンダントを服の中にしまった。




