脱隊
それから僕たちは、毎日依頼をこなす日々を送った。
冒険者証のランクこそDランクまで上がったものの、生活は相変わらずその日暮らしのままだ。
ミレイアは相変わらずポンコツだったが、身体能力と土壇場の逃げ足だけは異常に高いため、奇跡的に大きな怪我を負わずに済んでいる。
一方、僕の魔物への説得行為は「依頼遂行の邪魔になる」という理由でエドガーとローラに厳しく禁じられてしまった。そのため、戦闘で役に立たない僕は、倒した魔物から素材を剥ぎ取るだけの作業員に徹していた。
宿屋に泊まる金すらない僕たちは、ギルドの談話室の硬いベンチで寝泊まりする日々を送っている。
思っていた冒険者生活と違う。
もっとこう、英雄としてチヤホヤされる華やかな生活を夢見ていたのに。
僕には僕なりの戦い方があるんだ。今日こそ、あいつらにガツンと言ってやる。
「僕は、自分の戦い方が認められないなら、このパーティを抜けるつもりだ」
「まあ、勝手にすれば?」
ローラが果物を齧りながらそっけなく言った。
……もうちょっと引き留めてくれてもよくないか?
「ローラ、ちょっと冷たいんじゃないか?」
エドガーは僕たちのパーティの良心だ。きっと僕の切実な気持ちを理解してくれるに違いない。
「たしかに、ユエンさんは最近、剥ぎ取りくらいしかしていませんし……」
ミレイア、それは僕を馬鹿にしているのか? 君の失敗を僕の言葉でフォローした回数を覚えているか?
「はぁ……。とにかく、僕は一人でやっていくから!」
僕は勢いよく立ち上がり、ギルドの談話室を後にした。
背後で「行っちゃいました」「まあ、そのうちお腹を空かせて屁理屈をこねながら戻ってくるさ」という声が聞こえた気がしたが、僕はあえて無視した。
ふん。あんなパーティ、抜けて正解だ。ここからは僕一人で伝説を作ってやる。
……とりあえず、依頼を受けよう。できれば報酬の高いやつがいい。
掲示板を眺めていると、一枚の依頼書が目に留まった。
「ダイアウルフの群れの討伐」
報酬は金貨一枚。受注条件はDランク以上。まさに今の僕にうってつけだ。
「リンさん。この依頼、受けてもいいかな?」
「承知しました。ダイアウルフの群れの討伐ですね。ユエンさんたちのパーティなら、もうこのくらいの依頼も問題なさそうですね!」
「……あ、うん。行ってくる」
わざわざ「もうパーティを抜けました」と説明するのも面倒なので、僕はそのまま受付を後にした。
*
見渡す限り草むらが広がる平原。
ここがダイアウルフの生息地か。街道に発生した群れが、商人たちを襲う事件が多発しているらしい。
……頭に血が上った勢いでここまで来てしまったが、どうやって倒せばいいんだ?
まあ、出てきてから考えればいいか。
その時だった。草むらが大きく揺れ、野太い遠吠えが平原に響き渡る。
周囲を見渡すと、いつの間にか二十頭を超える巨大な灰色の狼――ダイアウルフに完全に囲まれていた。
剣を抜くか?
いや、全適性Eの僕の腕で太刀打ちできる相手ではない。
なんでこんなことになったんだ。後先を考えなさすぎた。
……いや、待てよ。
ダイアウルフは知能の低い魔物ではなく、明確な群れの社会性を持つ魔獣だ。
言葉の細かい意味までは理解できずとも、群れの上下関係や感情の機微には鋭いはず。それに、よく見ると大きな犬じゃないか。
僕は実家で犬を五匹飼っていた。体格差のある犬種を統率するための『動物行動学に基づく支配技術』なら体に叩き込まれている。
言葉だけでなく、身体言語による心理的マウント。
そうだ。これこそが、僕の戦い方だ!
「おい、お前たちのリーダーはどれだ!」
僕が威厳を込めて叫ぶと、群れの中心から一番大きな傷だらけの個体が低く唸りながら前へ出てきた。鋭い牙が覗き、殺気が皮膚を刺す。
ここで怯えて目を逸らしたら終わりだ。犬科の社会において、視線を外すことは『服従』を意味する。
僕は背筋を伸ばし、顎を引いてリーダー狼の目直前を真っ直ぐ見つめ返した。一切瞬きをせず、両腕を大きく広げて自分の体躯を大きく見せる。
「よく聞け! お前たちが人間を襲うのは、狩りの成功率が低く、常に飢餓のリスクに晒されているからだ! だが人間を襲えば冒険者に討伐されるリスクが発生する! これは極めてハイリスク・ローリターンの愚行だ!」
リーダー狼がウーッと低く唸り、今にも飛びかからんばかりに重心を低くした。殺意のボディーランゲージだ。
だが僕は逃げない。あえて一歩、相手の懐に向かって踏み込んだ。
自分の間合いを壊されたリーダー狼が一瞬、困惑して耳を伏せる。
「そこで提案だ! 僕に従い、愛玩動物としての価値を提示しろ! さすれば無駄な争いを避け、安定した食料供給のルートを確保できる!」
僕はポケットから昨日酒場でもらった干し肉を取り出し、リーダー狼の視線の上、ジャンプしないと届かない位置へ高く掲げた。
高所にエサを置くことで、視線を強制的に上げさせ、攻撃の体制を解除させる技術だ。
芳醇な肉の匂いに、リーダー狼の鼻先がピクピクと動く。
視線は干し肉に釘付けだ。だが、まだプライドが邪魔をして僕を睨みつけている。
ここで最後の押しだ。僕は右手で干し肉を持ちながら、左手をすっと伸ばし、リーダー狼の鼻先の上から圧力をかけるようにゆっくりと下へ押し下げた。
群れのボスが下位の者を制する時の動作――マズルコントロール。
「お座り!」
肉への欲望、僕が放つ威圧感、そして鼻先を押さえられたことによる本能的な服従本能。
三重の心理的・物理的プレッシャーを受けたリーダー狼は、葛藤の末に……ハァハァと息を荒げながら、地面にドスンとお尻をつけた。
「よし! いい子だ、ポチ!」
すかさず干し肉を口元へ与え、顎の下を素早く撫でまわして成功体験を記憶させる。
ボスが屈したのを見た周囲の二十頭も、次々とその場にペタリとお座りを始めた。
*
「ユエンがダイアウルフの群れの討伐に一人で向かったんですか!?」
ミレイアの悲鳴がギルド中に響き渡った。
「はい。てっきり皆さんと一緒に行かれるものかと……」
「あいつ、一人で勝てるわけないだろ!」
「今すぐ追いかけるわよ!」
三人は武器を手に取ると、なりふり構わず平原へ向かって飛び出した。
*
三人が現地にたどり着いた時、あたりは静まり返っていた。
「……遅かったのか。俺が、無理にでも止めていれば……」
エドガーが拳を握りしめ、地面に膝をつく。ミレイアは今にも泣き出しそうな顔で口元を覆い、ローラは悲惨な光景を見たくないのか下を向いていた。
その時だった。
「そうそう! 上手だなシロ! 次はポチ、お手!」
「ウォン!」
「よし、いい子だ。ほら、ご褒美だぞ」
三人が恐る恐る声のした方へ目を向けると、そこには優雅に微笑むユエンの姿があった。
そして彼の周囲には、お行儀よくお座りをし、尻尾を千切れんばかりに振る二十頭のダイアウルフの群れ。
ユエンはポケットのジャーキーを小さくちぎり、一頭ずつ手移しで与えていた。どうやら全頭に名前までつけているらしい。
「……ユエン……なのか?」
エドガーの声が裏返る。
「ん? なんだみんな、そんな悲しそうな顔をして。それより見てくれよこいつら。すごく賢くて可愛いんだ」
凶暴な魔獣であるダイアウルフを手懐けたなど、冒険者の歴史上聞いたこともない。だが目の前の光景を前に、誰も否定の言葉を挟めなかった。
「とはいえ、こいつらを養う金も場所もないからな……。可哀想だけど、遠くの山へ逃がすしかないか。ほら、もう人間を襲うんじゃないぞ! 行った行った!」
ユエンが手を叩くと、ダイアウルフたちは名残惜しそうに振り返りながら、平原の彼方へ駆け去っていった。
「金貨一枚は欲しかったけど、さすがに自分の飼い犬を売るような真似はできないからな」
その言葉に、三人は言葉を失った。そもそも犬ではないのだが、ツッコミを入れる体力すら残っていない。
その時、ユエンは群れから一頭だけ取り残された小さな子狼に気づいた。
ほかのダイアウルフが灰色の毛並みをしているのに対し、その子だけは全身が真っ黒だった。
「あれ? クロじゃないか。みんなと一緒に行かないのか?」
子狼はくぅんと切ない声を上げ、ユエンの足元にすり寄ってきた。
「参ったな。ギルドってペットの持ち込みはOKだったっけ?」
ユエンはクロを両手で抱き上げると、ポカンと口を開けている三人の方を振り返った。
「よし。今日からクロの世話はみんなで分担するからな」
「ユエン、色々ありすぎて頭の整理が追いつかないんだが……。とりあえず、まず言うことがあるんじゃないか?」
呆れ返ったエドガーが尋ねる。言うこと? 何かあっただろうか。
「よくわからないけど、とりあえず帰らないか? もう暗くなってきたし」
「もう、ユエンってば……心配ばっかりかけて」
ローラが諦めたように深くため息をついた。
「……パーティに戻るってことでいいのね?」
「ユエンさんー!」
ミレイアが涙を拭いながらユエンに抱きつこうとし、抱えられたクロにウーと威嚇されて慌てて跳びのいた。
「ちなみに、僕はクロの給餌担当だからな」
「……お前、パーティを抜けるんじゃなかったのか?」
エドガーの問いに、僕はしれっと答えた。
「もちろん、パーティは抜けたままだ」
「は? なんでだよ」
「これは復帰ではない。クロの餌代という共通の利害関係に基づく、一時的な業務提携および合同タスクフォースの結成だ」
「意味がわからねえよ! 普通にパーティに戻ってくれ!」
「勘違いするな。僕は独立したフリーランスの冒険者だ。たまたま利益が一致したから一緒に依頼を受けるだけに過ぎない」
「それを世間ではパーティに戻ったって言うんだよ!」
夕暮れの平原に、エドガーの絶叫が虚しくこだました。こうして僕は、パーティを脱退したままパーティに居座ることになったのだった。




