ゴブリンより厄介な女
森の中は思ったよりも静かだった。先ほどまで戦っていたゴブリンは、すっかり姿を消している。
「……本当に逃げたな」
エドガーが呆れたように呟く。
「だから言ったろ。話し合いで解決したんだ」
「お前、さっきまで棍棒で叩き潰されかけてただろ」
「あれは交渉における初期投資だ」
「命をコストにするな」
ローラが冷ややかな目を向けてくる。まったく、こいつらは分かっていない。暴力に暴力で返すのは野蛮人のすることだ。論理で相手の存在理由を否定し、戦意を根底から砕く。これぞ詭弁師の神髄。
……まあ、さっきのは半分くらいハタリと出た偶然だが。
「とにかく、残りのゴブリンを探すぞ。三体討伐の依頼なんだからな」
森の奥へ進むと、茂みの向こうから甲高い悲鳴が聞こえてきた。
「い、いやああああ! 来ないでえええ!」
「ギャギャギャ!」
「剣を持ってるの! 立派な鉄の剣を持ってるのよ!? ほら、怖いでしょ!? 近寄らないでぇ!」
「ギャッ!?」
……何をしているんだ、あの人は。
茂みをかき分けると、黒髪ポニーテールに軽装の鎧を纏った女性が、ゴブリン三体に追いかけ回されていた。腰には立派な長剣が刺さっているのに、本人は半泣きで木の周りをグルグル旋回している。
「助けてえええ! お金なら払うからあああ!」
その言葉を、僕は聞き逃さなかった。
「エドガー、救出だ!」
「おう!」
エドガーが飛び出し、一体目の棍棒を剣で叩き切る。ローラも火球を放ち、二体目を牽制した。
僕は女性の前に悠然と立ちふさがる。
「もう大丈夫だ。ところで、さっき『お金なら払う』と言っていたな?」
「ひっ……え? た、助かりました……!」
「礼には及ばない。では、救助費用についての契約手続きに入ろう。僕たちの介入によって君の生存確率はほぼ100%へと引き上げられた。これは『緊急避難的成果報酬契約』の黙示の成立とみなせる」
「ちょっと待ってください!? 助けてもらった直後にお金の話契約の話!?」
「善意と経済活動は明確に分離されるべきだ。助けられた側が対価を支払うのは市場原理の基本だが?」
「うわあああ! 命の恩人がヤミ金みたいな理屈こねてきたあああ!」
女性は泣きながら財布をひっくり返した。ボロボロと転がり落ちたのは、銅貨がたったの三枚。
「……これだけ?」
「は、はい……」
「どうやって今まで生きてきたんだ?」
「依頼を受けて……でも魔物が怖くて達成できなくて……」
名前はミレイア。話を聞けば、剣の才能はあるものの、超絶怒涛のビビりらしく、実戦になると恐怖でパニックを起こして依頼失敗を繰り返しているらしい。
「まあいい。金がないなら後払いでいいが……ミレイア、そこにちょうどいいリハビリ相手がいるぞ」
草むらから、逃げ遅れたゴブリンが二体、ギロリとこちらを睨みつけていた。
「む、無理無理無理! ゴブリンとか絶対無理です!」
「落ち着けミレイア。ゴブリンが怖いのは、君が奴らを『脅威』と誤認識しているからだ。僕が奴らの本質を暴いてやる」
僕は一歩前に出ると、ゴブリン二体を深紅の指で指さした。
「おい、そこの緑色の! お前たち、なぜ二人で行動している?」
「ギャ?」
「一見すると『仲間思い』に見えるが、それは大間違いだ! お前たちは『一人では何もできない弱者』であることを自ら証明しているに過ぎない! 群れることでしかアイデンティティを保てない同調圧力の奴隷どもめ!」
「ギャ、ギャギャ!?」
ゴブリンたちがショックを受けたようにガタガタと震え始めた。
「さらに言えば、二人で一人の女性を囲むその卑劣さ! それは『一対一では勝つ自信がない』という敗北宣言と同義だ! お前たちの自尊心はそれで満足なのか!? ええ!?」
「ギャモォ……?」
ゴブリンたちが膝をつき、精神的ダメージで棍棒を落とした。敵の『メンタル(戦意)』が著しく低下している!
「今だミレイア! 概念的に敗北した奴らを叩け!」
「ええい、もうヤケクソです! 秘剣・ゴブリン斬りぃぃぃ!」
目をつむったミレイアがヤケクソで振り抜いた一撃が、凄まじい風切り音とともにゴブリンの棍棒を粉砕した!
「ギャアアア!?」と悲鳴を上げ、自尊心をズタズタにされたゴブリンたちは涙目で森の奥へと逃走していった。
「……あれ? 私……追い払った……?」
「そうだ。君の勝利だ」
「やった……やったあああ! 私、勝てました! もう思い残すことはありません、冒険者辞めます!」
「なんでだよ! 勝ったんだから続けろよ!」
ずっこける僕たち。
結局、ゴブリン三体はすべて「精神攻撃による逃亡」という結末を迎え、僕たちの初依頼は『討伐数ゼロ(捕獲・討伐証明部位なし)』により失敗に終わった。
ギルドへの帰り道。夕暮れの森で、ミレイアが照れくさそうに呟く。
「あの……私、お二人……じゃなくて三人についていってもいいですか? ユエンさんの変な屁理屈があれば、私、もう少し戦える気がして……」
「変なとは失礼な。だが歓迎するぞ、後払いの救助代金も回収しなきゃいけないからな」
「やっぱりお金ですか!?」
そんなやり取りの最中、ビビり癖の抜けないミレイアは、暗がりに浮かぶ「ただの木の切り株」をゴブリンと見間違えた。
「そこ動くな! 秘剣・ゴブリン斬りぃぃぃ!!」
ドガァァン! と盛大な音を立てて絶命(破壊)する可哀想な切り株。
「……ふぅ。倒しました……!」
「切り株だよ!」
「勝った……!」
「何にだよ!!」
僕のツッコミが、夕暮れの森に虚しく響き渡るのだった。




