第2話「握手会は戦場より怖い」
登場人物はすべてオリジナルです。
一 勝ったわけじゃない
ハレノヒ・サミットから三日。
スマイルイーターは、ぼんやり光る七本のペンライトを睨み、「……出直します」とだけ言い残して消えた。勝ったのではない。吸えるものがなくて、気味悪がられただけだ。
サンライズの五人はまだ入院中で、倒れた観客たちも少しずつ光を取り戻している最中だった。橘みかんも「陽の気の療養中」で、事務所の簡易ベッドで毛布にくるまっている。
そして今日は、デビューシングル『ニセモノのひかり』の発売記念握手会だった。
「世界の危機でも、握手会は開催されるんですね」 搬入口で、綴木ことはが呟いた。
「中止にすると違約金が出ます」 蜜原ゆずが即答した。
「現実的」
「現実の話は、得意です」
二 六秒の戦場
会議室を改装した会場に、七つのレーンが並んでいる。みかんのレーンには「お休み中」の札が立ち、そこだけ静かだった。
握手は一人、六秒。時間が来ると、スタッフが「お時間でーす」と声をかける。
七人は、それぞれの六秒を戦っていた。
あかりのレーンでは、元気の押し売りが続いている。
「今日もありがとう! 元気、出た?」
「出ました! あかりさんの笑顔で一週間いけます」
「でしょ! 一週間分、置いていくね!」
笑顔を渡し、また笑顔を渡す。そのたびに、自分の中の何かが、少しずつ減っていく。
ゆずは、うつむいた青年の手を両手で包んでいた。
「ぼ、僕なんかが、握手してもらって……」
「『僕なんか』は禁止でーす♡ はい、ゆずを好きになっちゃえ♡」
青年は真っ赤になって去っていく。ゆずは手帳に素早く書き込んだ。『上目遣い、角度十五度、反応良好』。計算だ。計算だが、青年の背中は、来たときより少し伸びていた。
ちさとは、一拍遅れていた。
「ちさとさん、今日の衣装、すごく……」
「…………」 (脳内ではいま、衣装を褒められた少女が運命の人と出会う第三章が始まっている)
「……ありがとう、似合ってる?」
「え、あ、はい、あの、いま会話が一周遅れで」
「え?」
ファンは、なぜか幸せそうだった。
ふわりは、握った手を離さなかった。
「お姉さんですからね、元気を分けてあげます」
「ありがとうございます……」
「もうちょっとだけ」
「お時間でーす」
「あと、ちょっとだけ……」
引きはがされるのは、いつもふわりの方だった。
夜凪るりは、朝十時の光の下で、魂が半分抜けていた。
「眠そうですね」
「……うん。でも、あなたが来たから、起きた」
ファンが息を呑んで固まる。るりは小声でつぶやいた。
「今のセリフ、夜ならもっと言えた」
ことはの机には、台本の代わりに小さなノートが置いてあった。ファンの名前、前回の話題、呼ばれたい呼び方。握手会に台本は使えない。だから彼女は、徹夜で全員分の「事前準備」をしてきた。
みおは、三人目で泣いた。
「昨日、仕事で、ひどく怒られて……」
話の途中なのに、みおの目から涙がこぼれる。
「ご、ごめんなさい、泣かせてしまって……」
「ううん、わたし、もらい泣きしやすくて……」
握手の手は、二人でしばらく濡れていた。
三 笑顔チェック
異変は、窓際の列から始まった。
見慣れない黄色の腕章のスタッフが、列の人に声をかけて回っている。
「笑顔チェックにご協力くださーい」
スタッフが手にしているのは、笑顔の度数を測る「笑顔スコアカード」だった。
「笑顔の足りない方は、握手会にご参加いただけません」
列の空気が、ぴんと凍った。
ことはのレーンには、小柄な青年が並んでいた。窓辺さん。先週が初めての握手会で、六秒の間、ひとことも話せなかった人だ。ことはのノートには「窓辺さん・猫が好き(話せなかった)」と書いてある。
窓辺さんは、必死に笑おうとした。口の端が引きつり、冷や汗が出る。
「スコア、ゼロ」
腕章のスタッフがそう言うと、窓辺さんの顔に、白い仮面がぴたりと貼りついた。
「……ノルマ兵」
あかりが低くつぶやく。声は、いつもの元気ではなかった。
「みんな、ペンライト」
四 ニセモノの変身、ニセモノの戦い
「せーの、で笑うよ」
「本当は、ちょっと、こわいけど」
「笑って、ラフ、ラフ——力を抜いて! ラフ・チェンジ!」
ぼんやりした光が、会場に広がった。眩しくない光だった。だから会場の人々は、目を閉じることなく、そのまま事態を見ていられた。
腕章のスタッフが、仮面の兵士に変わって襲いかかる。数は十数体。
「笑顔スコアを提出しなさい!」
「はーい♡ わたしの笑顔、百点満点でーす♡」 ゆずがあざとい笑顔で前に出る。兵たちの標的が、いっせいにゆずへ向いた。ぶりっ子ガード。ヘイトを集めるのは、いつだってあざとい子の役目だ。
「提出……笑顔スコア、提出……」
「はい、こちらどうぞ」 あかりが、突然の全力変顔を披露した。眉、頬、口、すべてを使った、人類に許された最大限の変顔。
「何点ですか!?」 兵の仮面にエラー音が走る。「測定……不能」。空元気スラッシュ。笑いは、敵の初撃を逸らす。
「ごめんね、ちょっと甘い夢見てて」 ちさとの脳内ロマンス劇場が展開し、兵の一団が、なぜか恋愛ドラマの第一話に見入って動かなくなった。
ふわりは、巻き込まれた来場者に「ぎゅーっと回復」を連発している。
るりの影の奇襲は、朝だったので威力が半分だった。半分の影は、兵の一体を転ばせたあと、「……ごめん、眠い」と言ってそのまま床に座り込んだ。
そしてことはは、窓辺さんの前に立っていた。台本は、ない。だがノートは、ある。
五 六秒の沈黙
仮面を貼りつけられた窓辺さんは、声が出なかった。いや、もともと出なかったのだ。この人はずっと、「ちゃんと話さなきゃ」と思って、話せなくなっていた。
「……窓辺さん」 ことはの声は、震えていた。
「先週、握手のあと、ずっと考えてました。猫が、お好きなんですよね」
窓辺さんの肩が、小さく動いた。
「わたしも、人と話すの、ずっと苦手で。だから、準備して、ノートを書いて、それでようやく、ここに座っています」
ことはは、ノートを閉じた。
「話さなくて、いいです。六秒、一緒に黙ってましょう」
沈黙が、始まった。
一秒。二秒。三秒。
窓辺さんの仮面に、ひびが入っていく。
四秒、五秒。
「……ね、猫の、名前、は」
かすれた声が、出た。
「……ミルクです」
「ミルクちゃん」
ことはが笑った。ニセモノではなく、本当に笑っていた。
六秒が、終わった。仮面は、音もなく砕けた。
同時に、兵たちも次々と崩れ、床には空っぽの制服と、割れた仮面のかけらだけが残った。そのかけらのひとつに、みおが、そっと触れた。
その瞬間、仮面の奥から、感情が流れ込んでくる。ずっと笑っていなさい。笑えない者は要らない。笑え。笑え。笑え。
「……つらかったね」 みおは、泣きながら、膝をついた。
「みお!」 あかりが、駆け寄る。支える腕が、少し震えていた。
「大丈夫」
「大丈夫じゃないでしょ」
「……うん、大丈夫じゃない」
みおの声は、どこか、すっきりしていた。
六 戦場より怖いもの
握手会は、三十分遅れで再開された。
窓辺さんは、もう一度ことはのレーンに並んだ。今度は、何も話さなかった。ただ、手を握った。静かな六秒だった。
終わったあと、窓辺さんは小さく頭を下げた。笑顔ではなかった。でも、顔の力が、抜けていた。
「戦場より、握手会のほうが、怖いね」 みおが、涙の跡を拭きながら言った。
「だって敵は、わかりやすいもん。握手会は、六秒のなかに、その人の人生が来るから」
「……うん」 あかりは、少しだけ、本当の声で答えた。
「でも、逃げないよね」
「逃げません。違約金が出ます」
「ゆず」
「冗談です。半分」
ポーチのスマホが震えた。みかんからのメッセージだった。 『みんなおつかれさま!! 次の握手会、わたしも出る!! 絶対!!』
ふわりが画面を覗き込み、そっと笑った。
「……みかんが来たら、きっと、眩しすぎるね」
「ね」
そのころ、会場の外。ビルの屋上から、スマイルイーターが握手会の窓を見下ろしていた。背後の暗がりで、もっと大きな影が、静かにつぶやく。
「陽の気を吸えない者たち、か。ならば、陽を与えてやればいい。拒めぬほど、たっぷりと」




