第3話「決戦と浄化」
登場人物はすべてオリジナルです。
一 みかん、復帰
三日後の朝、橘みかんは、事務所のドアを勢いよく開けた。
「おはよーございまーす! 橘みかん、完全復活です!」
七人がいっせいに振り向く。ふわりが反射でみかんの袖をつまみかけて、慌てて手を引っ込んだ。
「おかえり」
「ただいまっ!」
いつも通りの、まぶしい笑顔だった。ただ、みおだけが気づいた。まぶしさの縁が、ほんの少しだけ揺れている。
「みかん、ちゃんと寝られた?」
「ぐっすり!」
「……そっか」
みおは追及しなかった。聞き役は、待つのも仕事だ。
みかんの頭の中では、倒れているあいだ聞いた言葉が、ずっと響いていた。みんな、かっこいい。七つのぼんやりした光の輪。そこに、自分だけが入れなかった。
二 全国同時ハッピー放送
その夜、街じゅうの画面が、同時に光った。
『みなさん、こんばんは。全員笑顔連盟の総帥、ミンナです』
駅の電光掲示板も、スマホも、街頭ビジョンも、コンビニのレジ画面も。すべてに、顔のない巨人の笑顔が映っていた。
『みんな、笑っています。だから、笑っていないあなたは、いりません』
放送の光が人々の頬に触れるたび、白い仮面が貼りついていく。笑顔のまま立ち尽くす人。笑顔のまま、涙を流す人。仮面の下の悲鳴は、音にならない。
事務所のテレビの前で、八人は黙って立っていた。みおは、画面の中の人たちの涙を見て、もう泣き始めていた。
『ラフライトの皆さんは、特別にご招待します。夜明けまでに、中央タワーへ。笑えないのなら、世界ごと、笑顔にして差し上げます』
三 決戦前夜
出発前、事務所の屋上に八人が集まった。街の灯りはどれも、不自然なほど明るい。
「……ねえ」 あかりが、フェンスを握りしめたまま言った。
「こわい」
風の音だけが、しばらく続いた。
「ほんとは、ずっとこわかった。握手会も、ライブも、みんなの前で笑うのも。元気なふりして、元気が減っていくのも」
誰もすぐには何も言わなかった。それから、みおが、あかりの手を握った。
「うん。知ってた」
「みおは、いつも知ってる」
「聞き役ですから。でも、言ってくれて、うれしい」
ゆずが手帳を閉じた。 「こわいときの対処法。一、一人で抱えない。二、全員で抱える。以上です」
「計算じゃないね」
「たまには、非計算です」
ちさとが「これは最終章前夜の名シーン……」とつぶやきかけて、「あ、現実だった」と自分で気づいて笑う。るりは「夜は、わたしの時間だから」と静かに言った。ことはは、決戦用の口上が書かれた台本を、胸に強く抱えていた。
ふわりが、みかんの袖をつまんだ。今度は、離さなかった。
「みかんも、こわい?」
みかんは少し黙って、それから小さく頷いた。
「……こわい。みんなと、同じ光じゃないから」
「同じじゃなくていいよ。みかんの光は、あったかいから」
四 総帥ミンナ
中央タワーの頂上。無数の笑顔の仮面が寄り集まった巨人が、夜空を覆っていた。顔はない。声は、大勢の声の合唱だった。
『みんな笑っている。だから、お前も笑え』
足元で、スマイルイーターが恭しく頭を下げる。 「陽を持たぬ者でも、陽を注げば笑顔になれるのです。さあ、皆さんも」
仮面の雨が、降り注いだ。
「せーの、で笑うよ」
「本当は、ちょっと、こわいけど」
「笑って、ラフ、ラフ――力を抜いて! ラフ・チェンジ!」
電池式のペンライトが、ぼんやりと灯った。八つ目の光は、いつもより少しだけ小さかった。みかんが、初めて自分の光を、ぎこちなく落としていた。
五 もう、つけてるので
白い仮面が、八人の顔に迫る。 そして、貼りつかなかった。
「……あれ?」 ゆずが、自分の頬を指で軽く叩いた。
「もう、つけてるので」
仮面は、七人の顔の前で、すっと溶けて消えた。みかんの前では、仮面は最初から近づけなかった。本物の笑顔には、貼る場所がない。
『なぜ笑顔を受け取らない』
「受け取ってるよ」 あかりが、まっすぐ巨人を見上げた。
「ずっと前から。自分で、自分に貼ってるだけ。自分で選んだふりは、人に貼られた笑顔より、ずっと強いんだよ」
総帥の腕が、みかんに伸びた。陽を吸う、あの手だ。
「させない」
七人が、みかんを囲んだ。ふわりが抱きしめ、ゆずが前に出て、るりが影を伸ばす。
「今度は、わたしたちが守る番」
みかんの目が、潤んだ。
六 台本を破る
『ならば、言葉を奪おう』
総帥の声が響くと、ことはの手の中の台本から、文字が一行ずつ消えていった。口上も、段取りも、想定問答も。全ページが、真っ白になる。
「……あ」 ことはの足が、固まった。想定外だ。一番怖い、想定外だ。
脳裏に、握手会の六秒がよぎった。窓辺さんの、かすれた声。台本のない六秒。
ことはは、白紙の台本を、ゆっくりと破った。
「台本は、ここまでです」
声が震える。でも、続けた。
「ここから先は、わたしの言葉で。……えっと。こわいけど、言います」
放送の電波に乗って、その声は、街じゅうの画面に流れた。
「笑えない日があっても、いいです。あなたがいてくれて、よかったです」
仮面の巨人が、大きく揺らいだ。
七 浄化
総帥の身体の隙間から、黒い靄が噴き出した。世界じゅうの、笑えなかった気持ち。飲み込まれ、貼りつけられ、行き場を失った陰の気だ。
「みんな、手をつないで」 あかりの声で、七人が輪になる。靄が、七人に吸い込まれていく。
最初に泣いたのは、みおだった。 「……つらかったね。先に泣いちゃうから、あなたの痛み、半分ちょうだい」 握手会で六秒ずつ受け止めてきた、数えきれない悩み。みおの涙が、靄を透明に変えていく。
ゆずが、靄の中の仮面に語りかけた。 「その笑顔、作ったんでしょ? 上手だよ。かわいいは、作れるの。作れるって、すごいことなんだよ」
ちさとの脳内ロマンス劇場が、街じゅうにやさしい物語を広げる。現実に疲れた人たちが、少しのあいだ、物語の中で眠った。
ふわりは、巨人の足元の小さな仮面を抱きしめた。 「弱くていいよ。お姉さんも、本当は、甘えたいから」
るりの影が、タワーの強すぎる光を覆った。ハッピー放送の光が、消える。そこに現れたのは、夜だった。 「暗いところは、落ち着くでしょ。仮面、外していいよ。誰も見てないから」
暗がりのなかで、街じゅうの人たちが、ようやく、仮面を外して泣いた。
あかりは、空元気スラッシュを出そうとして、出ないことに気づいた。本音を言うときは、いつも技が出ない。なら、それでいい。 「ずっと、こわかったよ。笑えなくて、いいよ。わたしも、笑えなかった」
七人の涙が、靄をひとつずつ、雫に変えていく。けれど、陰の気は重い。七人の膝が、同時に折れかけた。
そのとき、背中に、あたたかい手が触れた。
「みんな、ひとりじゃないよ」 みかんだった。彼女は、自分の光を、ぎりぎりまで落としていた。眩しくない、ぼんやりした、でも確かにあたたかい光。
「ふり、してないよ。これが、隣にいるときの、わたしの光」
七人の背中が、支えられた。
総帥の中心で、ひとつの小さな声がした。 『みんなが笑ってるから、ぼくも笑わなきゃって、ずっと思ってた。……本当は、誰も、笑ってなかったのに』
仮面が、ひとつ、またひとつと、涙の雫に変わっていく。
八 夜明け
雨が降った。涙でできた、あたたかい雨だった。
やがて雲が切れ、東の空が、白く染まった。街じゅうの人が、泣き顔のまま、泣いていた。仮面を外した顔で、ようやく、本当に。
スマイルイーターの仮面も、からりと落ちた。 「……疲れました」 そう言って座り込んだ彼は、しばらく、ただ泣いていた。
七人は、顔じゅうぐしゃぐしゃで、へたり込んでいた。目は腫れ、ペンライトの電池はほとんど切れかけだった。
「ひどい顔」
「そっちこそ」
誰かが、ふっと吹き出した。
「ふふっ、ほんとに笑っちゃった」 みかんの声だった。
八人は、顔を見合わせた。ふりじゃない笑顔が、そこにあった。ふりをしていたら、いつのまにか、ほんとになっていた。
――第1部 完
浄化バージョン『ニセモノのひかり(ほんとになったよ ver.)』
【イントロ】(全員・小声で) せーの、で泣こうよ こわくても いっしょなら
【Aメロ1】 朝のホームで 持ち上げた口角 もう 指はいらない スポットライトは まぶしいけど わたしの光は 電池が切れても 灯ってる
【Bメロ1】 キラキラしてなくても いいんだよ それがちょうどいいって あなたが教えてくれた となりに いさせて
【サビ】 ほんとになったよ わたしたちの光 まぶしくなくても 目を閉じなくていい うまく笑えない夜は 一緒に泣いて光ろう 笑って ラフ ラフ 力を抜いて ふりをしてたら ほんとに なったよ
【Aメロ2】 握手の列で 言葉が出なくて うつむいてた あなたの六秒 黙ったままで いいんだよ 同じ沈黙 わたしも 持ってる
【Bメロ2】 がんばらなくて いいよ がんばってるの 知ってるから その分 いっしょに 泣いておくね
【サビ2】 ほんとになったよ わたしたちの光 奪えるものなんて 最初から なかった 笑えない朝も 笑えた夜も ぜんぶ抱きしめよう 笑って ラフ ラフ 肩を落として ふりをしてたら ほんとに なったよ
【Cメロ】(ことは → 全員) 台本は もう いらない わたしの言葉で 言うね ……えっと こわいけど 言うね 笑えない日が あっても いいよ あなたが いてくれて よかった
【落ちサビ】(みお → あかり) 先に泣いちゃう わたしだけど あなたの涙 半分 わたしにちょうだい ずっとこわかったって 言えたよ
【ラスサビ】(全員) ほんとになったよ わたしたちの光 ニセモノだった 昨日のわたしたちへ うまく笑えない日々も 小さな灯りに変わる 泣いて ラフ ラフ 笑って ラフ ラフ ふりをしてたら ほんとに なったよ
【アウトロ】(みかん → 全員) ふふっ、ほんとに笑っちゃった ……うん、ほんとに




