婚約
—誕生日おめでとう、誕生日おめでとう、あなたに! — *もう、この世界に来てからほとんど一年か……。 *
俺はろうそくの火を吹き消した。
*元の両親が死んでから、また家族と誕生日を祝うことになるなんて思わなかった……。 *
俺はため息をついた。
—どうしたの、ハロルド? —ヴェロニカだったが、いつもよりリラックスしているように見えた。
—何でもない……ただ、もうすぐ一年になるあの出来事について考えていただけだ。
*あの事件の後、クレアがまた気軽に外へ出られるようになるまで、数ヶ月かかった。 *
ヴェロニカはグラスを一口飲んだ。
—過去は過去よ。そこを掘り返すのはやめましょう。何も良いことなんてないわ。
—そうよ、ハロルド。せっかくの時間を台無しにしないで。 —母さんは横を向いた。 —それに、あの子も楽しみにしているんだから。
クレアが包まれたプレゼントの一つを持ってきた。
—お兄ちゃん、プレゼント開けて! 私が作ったんだよ!
俺は箱を受け取り、包装紙を破かないように慎重に開けた。
クレアはとても嬉しそうだった。
—ネックレスだ。
それは綺麗なネックレスだった。派手ではなく、どこにあっても目立たないようなものだった。そして最後には、花の形をした小さなペンダントが付いていた。
俺は小さく笑った。
—だから最近、俺との訓練を休んでいたのか?
クレアは少し顔を赤くして、視線を逸らした。
—ありがとう、クレア。すごく気に入った。
クレアは恥ずかしそうに微笑み返した。
*あの子の原作では、一人きりで、悲しみながら、成長しきることもなく死んだというのに……。 *
—どう? 似合ってる?
—似合ってるわよ。 —ヴェロニカが小さく微笑みながら言った。
そのとき、扉が勢いよく開いた。
父さんだった。ほんの数秒前まで、こっそりどこかへ行っていたはずなのに。
—俺からのプレゼントは……。
母さんが父さんへ近づき、肘で軽く小突いた。
—いや……俺たちからのプレゼントだ。
二人はわざとらしく間を置いた。
—あなたをアレシア・デュ・アストレアと婚約させました!
俺の指からグラスが落ちた。
部屋が静まり返る。
そして、その沈黙を破ったのは笑い声だった。
ヴェロニカが、狂ったように笑い始めた。
—えええええええ!?
それが、俺の口から出てきた唯一の言葉だった。
*アストレア家だと!? *
—アストレア家と婚約したのよ、この坊や!
ヴェロニカは笑いながら叫んだ。
そして、また笑い出した。
—あのクソッタレなアストレア家と!
*アストレア家……。彼らは長い間、王都で暮らしているハーフエルフの一族だ。若い才能に恵まれているため、王も彼らのことには何も口出ししない……。原作は『クソ貴族』……。それ自体は問題じゃない……! 俺が問題にしているのは、アレシアが原作では主人公のハーレムの一員だったことだ! *
母さんが軽く咳払いした。
—一応言っておくけど、本人はまだ知らないわ。
*……これ……『クソ貴族』の小説と同じ流れになっている……。アレシアは主人公と婚約させられて、後からその事実を知った。そして、自分の意思に反して婚約させられたことで主人公を嫌うようになった。それに、当時の主人公の評判も最悪だった……。そして何より怖いのは……原作での彼女の性格……。 * 背筋に悪寒が走った。 *……どうか、もうあの頃の彼女ではありませんように。 *
ヴェロニカが俺の肩に手を置いた。
俺はただ、信じられないものを見るような目で彼女を見た。
—頑張りなさい、ハロルド……。
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—神様、アレシア! 妹にすら手を上げるなんて、どういうつもりなの! —母親は近くにあった花瓶を投げつけた。
—あなたに何をさせればいいの、アレシア! 才能を持てなんて言っていない! 私はただ、少しは努力しろと言っているの!
母親は長く息を吐いた。
—役立たず。どうしようもない役立たず。それがあなたよ。
近くにあった椅子へ座った。
—あなたをシルフォード家の長男と婚約させたわ。
—え?
気づかないうちに、声が漏れていた。
母親は俺の目を見た。
—これで、少なくともこの家を出た後のまともな未来だけは確保した。
そして、笑った。
—せめて、その身体くらいは役に立てなさい。
...
*くそ……。 * 俺は藁人形を斬りつけた。
*くそ。 * もう一度。
もう一度、もう一度、もう一度、もう一度、もう一度……。
そして、もう一度。
—壊れた……。
木剣には柄しか残っていなかった。
—クソッ!
俺はそれを投げ捨てた。
*もう、こんなの耐えられない……。ここから出たい。 *
できない。
ここから出ることなんてできない。
俺は自分の手を見た。
指を。
傷跡。
腫れ。
棘。
切り傷。
そこにあるものすべて。
俺の身体に刻まれたもの。
気持ち悪い。
—もう、何も耐えられない……。どうして私が……?
*どうしてあの子じゃないの……? どうしてあの子なの……? どうして、あの子が私の才能を……? *
—もし……
そのとき、一つの叫び声が俺の思考を遮った。
—アレシアお嬢様。お母様がお呼びです。
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*これから、貴族の若者たちが集まるパーティーへ行く……。そして、そこでアレシアにも会う。 *
—本当にこんな格好をする必要があるの、母さん?
母さんは数歩離れ、俺を見た。
—ええ、ハロルド。とても似合っているわ。
俺はため息をついた。
—分かったよ。母さんがそう言うなら。
母さんは俺に微笑みかけた。
その笑顔を見ると、どうしても俺の母親を思い出す。
—馬車が来たわ。早く乗りなさい。遅刻してほしくないから。
俺は一歩踏み出した。
—あ、ハロルド。待って。
母さんが近づいてきて、俺を抱きしめた。
—日に日に大きくなっていくわね。
そう言って、額に軽くキスをした。
—さあ、行ってらっしゃい。
俺を馬車へ押し出した。
馬車の中には、他に二人の人間がいた。
彼らは――。
—初めまして、僕は……。 — *貴族A。 *
—そして俺は……。 — *貴族B。 *
貴族Aと貴族Bは、道中ずっと楽しそうにしていた。
どうやら、こういうパーティーに参加するのは初めてらしい。
まあ、それも当然か。
俺にとっても初めてなのだから。
だが、それ以上に俺の頭にあったのはアレシアのことだった……。
会場の入口は巨大だった。
主催者は、とある貴族だった。
……誰だったかは覚えていない。
ただ、かなり高い地位にいる人物だったはずだ。
夜は特に問題なく過ぎていった。
そして――
扉が開いた。
その瞬間、全員が静まり返った。
*アレシア・デュ・アストレア……! それに、アリス・グランドベル! *
俺は数秒間、呆然としてしまった。
—アストレア家の二人の娘だ……。
その言葉で、俺の疑念は完全に確信へと変わった。
これは小説とは違う。
*アリス・グランドベル。『このクソみたいな転生は意味不明すぎる!』の登場人物だ。簡単に言えば、読書好きの少女が主人公で、小説の世界に転生する話だ。まあ、色々あるけど……。そしてアリス・グランドベルは、その作品の主要な悪役の一人。エルフの王国、アインホア王国の出身。想像できる限界を超えた怪物的な才能を持ち、さらに意味が分からないほどの努力家……。 *
アレシアは、俺が覚えている彼女とはまるで違っていた。
原作では長く手入れされた髪。
濃い緑色の瞳。
堂々とした体つき。
そして、優しい眼差し。
だが、今の彼女は正反対だった。
ひどく……虐げられているように見えた。
腕、脚、そして顔にまで傷跡がある。
安っぽい化粧で、それらを隠している。
灰色の髪は荒れていた……。
短く、ろくに手入れもされていない。
瞳は、生気のない緑色だった。
何も見ていない。
小さく縮こまり、隠れようとしている。
まるで消えてしまいたいかのように。
一方、アリスは。
俺が覚えている通りだった。
冷たい眼差し。
真っ黒な髪。
淡い青色の瞳。
堂々とした体つき……威圧感すらある。
話しかけるだけで緊張してしまいそうな相手だ。
だが、何かが違っていた……。
アレシアを見下すような目をしていた。
—アレシアの母親が、あの子を虐待しているって聞いた……。
—まあ……当然だろ。あいつは妾の娘なんだから。目立たなきゃいけないんだ。
*妾……? アレシアは妾の娘なんかじゃなかったはずだ。 *
俺の頭が点と点を繋げるまで、数秒かかった。
—ああ。 — *アレシアの母親が第二夫人になった……。つまり……アリスが後継者として期待される娘になったんだ……。 *
パーティーは特に問題なく続いたが、俺はアレシアに近づく勇気がなかった。
—ここから見る風景は綺麗だな。
バルコニーからは庭園が見渡せた。
素晴らしい景色だった。
とても綺麗に手入れされているようだった。
—ハロルド・フォン・シルフォード。
完全に不意を突かれた。
—あなたが嫌い……。これはあなたのせいよ。私はこんなこと望んでなかった。 —アレシア……。
—俺も望んでない。
そう言った瞬間、彼女は俺の服の襟を掴んだ。
—そうよね! でもあなたはここで呑気にしている! その一方で、私はあなたに身体を捧げなきゃならない! どうせ、あなたも私にそれを望んでいるんでしょう!
俺は何も言えなかった。
なぜ、彼女の瞳は泣きそうになっているんだ?
化粧が少しずつ崩れていく。
そして、顔にあった痣が見えてきた。
—俺は……ごめん。
彼女は俺の服の襟を掴んだまま、俺の言葉を遮った。
—あなたは違う! あなたは……!
彼女の顔が俺の胸元まで下がった。
—私がどれだけ苦しんできたか、あなたには分からない……ただ、こんなふうに誰かへ引き渡されるだけで、自分の人生すら生きさせてもらえない……。
彼女は俺の目を見た。
—せめて自由になりたい! どうして……? どうして私は……?
その瞳は、とても……悲しそうだった。
俺は答えられなかった。
言葉が見つからなかった。
そして、どうやって見つければいい?
彼女は俺が知っているアレシアじゃない。
俺が知っていると思っていた彼女は、みんなを知っていると思い込んでいた俺の身勝手さが作り出した幻想にすぎない。
そのとき、さらに足音が聞こえた。
—婚約者に助けを求めに来たの? ……哀れね、お姉ちゃん。
*知っていた……。アリスはいつだって真面目な人間だった。他人の努力を馬鹿にするような人じゃなかった……。 *
—あら、泣いてるじゃない。
*分かっていた……。でも、認めようとしなかった……。この世界は、俺が読んだ小説とは違う。 *
アレシアはアリスのほうを振り返った。
—アリス……全部……全部あなたのせいよ……。もしあなたさえ……生まれてこなければ。
アリスは気持ち悪い笑い方をした。
—私のせい……? 自分を責めれば? 役立たずで、何もできなくて、才能もない。誰でもない、ただの無価値な人間だから。
アレシアは黙った。
—そう……。もしあなたさえ存在しなければ……。
あまりにも小さな声だったため、俺にしか聞こえなかった。
—え? 何て言ったの? 聞こえなかったわ、役立たず。
アレシアはドレスへ手を伸ばした。
—……ここであなたを殺せば……私がアストレア家のスターになれる。
背筋に悪寒が走った。
—何を言った……?
アリスはため息をついた。
—あなたの母親は、あなたの身体を売ればいいのよ。あなたは本当に役立たずなんだから。
アレシアは跳ぶようにして、アリスとの距離を一気に詰めた。
アレシアの手に、小さな短剣が握られているのが見えた。
俺はどうにか、アレシアの手とアリスの間に自分の手を入れた。
アリスは完全に不意を突かれた。
アレシアが俺を見る。
口を開いたが、俺はその口を手で塞いだ。
—うわぁ! ここから見る景色、すごく綺麗だな!
俺はアレシアを無理やりバルコニーへ引き戻した。
アリスが何か言おうとした。
だが、俺はそれを遮った。
—恋人同士の喧嘩なんだ。悪いけど、二人きりにしてくれないか?
彼女が舌打ちし、「変な奴ら」と吐き捨てるのが聞こえた。
ようやく彼女の姿が消えると、俺はアレシアの口から手を離した。
*アレシアはマナを発動させて、アリスを殺そうとした……。 *
—どうして! どうして止めたの!? これで、お父様の目には私だけが映るようになったかもしれないのに!
彼女は絶望したように叫んだ。
—俺は……ごめん。
それだけしか言えなかった。
彼女はその場に崩れ落ち、泣き始めた。
俺はただ、黙って見つめることしかできなかった……。
夜は過ぎ、俺はようやく家へ帰ることができた。
帰り道は静かだった。
それでも、俺の心は落ち着かなかった。
*あのバルコニーの暗闇が、本当に助けになった……。アリスには見られていないといいけど……。 *
俺はため息をついた。
—未来に何が待っているのか、分からない……。




