不審者ルックと、走るの定義
重い腰を上げて、玄関のドアを開けます。
ブランクのある大人が急に運動を再開しようとするとどうなるのか……。
少し情けなくもリアルな奮闘ぶりを、温かい目で見守っていただければ幸いです。
「次の休日」――その言葉の甘さを、自らの手で粉砕した。
午前五時。まだ世界は深い眠りの中にある。
寝室からは妻と、子ども二人の規則正しい寝息が聞こえてくる。その平和な音色を聞いているだけで、なんとも言えない怠惰な誘惑に負けそうになる。走るのが、とてつもなく面倒くさい。
僕はのろのろと起き上がり、とりあえずジョギングウェアに袖を通した。
準備運動を始めると、やはり屈伸の時に左膝が熱っぽく腫れているような違和感がある。
ふと、動画チャンネルで日光が目に悪いという話を耳にしたのを思い出した。僕はクローゼットの奥から、かつて愛用していたオークリーのスポーツ用サングラスを引っ張り出す。ついでにジョギング用のキャップも被ってみた。
いざ、玄関の姿見へ。
「……誰だ、この不審者は」
鏡に映った自分を見て、思わずつぶやいてしまった。
膝を壊す前に比べて、体重は2~3キロくらい増えている。そのせいで輪郭が緩み、膨張した顔に、スタイリッシュな流線型のサングラスが悪目立ちしていた。
ジョギングシューズに足を入れるのすら億劫だった。
膝を壊す前、なけなしの小遣いをはたいて買ったホカオネオネのクリフトン。この分厚いソールが、今のポンコツな左膝を守ってくれるのだと信じている。白、オレンジ、黄色で構成された派手なカラーリングは、長らく下駄箱で放置されていたせいか、どことなく色褪せて見えた。
あと一歩で玄関のドア。
たった一歩。それなのに、前に出そうとする足が鉛のように重い。
――今日は、ここまでにしよう。
さらに次の休日。
なんとかウェアに着替え、準備運動をこなし、不審者のようなサングラスと帽子も装備した。シューズも履いた。あとは玄関を出るだけだ。
鍵を開け、ドアを押し開ける。
抜けるような晴天だった。
六時間リレーマラソンに出場すると決意してから、すでに一ヶ月が経過していた。随分と時間はかかってしまったが、これは僕にとって途方もなく大きな一歩だ。
いざ、ジョギング開始。
重い。とにかく、体が重い。
足は上がらず、腕は振れず、体幹はブレブレで、背筋なんて完全に使えていない。
一年半のブランクはすさまじかった。「まあ、しょうがないよな」と自分を慰めつつ、いつになれば以前のように走れるようになるのだろうかと考える。
時計はまだ六時を回ったばかりだが、初夏の太陽はすでに強烈な存在感を放っている。
すれ違うのは、しっかり髪を整えて犬の散歩をする白髪の老婦人。それに、体にフィットしたスパッツと僕より派手なシューズを履いた、少しお腹の出た中年男性。彼は僕とは比べ物にならないほど軽快なフォームで風のように走り去っていった。
笑い合いながら優雅に散歩をする老夫婦は、僕に目もくれない。完全に二人の世界だ。
早朝のこの時間、僕のような世代の人間は珍しいらしい。誰もがそれぞれの目的とペースで、朝の時間を謳歌しているように見えた。
相生橋を渡る。
眼下を流れる穏やかな旭川の向こう、欄干越しに岡山城の天守閣がそびえ立っていた。リニューアルを経て黒く精悍さを増した烏城の姿は、今の僕のくたびれた心身とは対照的だった。
県立図書館のモダンな建物をぐるっと回り、家路につく。
距離にして約二キロ。たった二キロの道のりだ。それなのに、時計の針は残酷にも二十分も進んでいた。
キロ十分ペース。
早歩きと大差がない。ぜえ、ぜえ、と自分のものとは思えない苦しい呼吸音が耳障りに響く。肺が焼け付くように痛い。
――六時間リレーマラソン。やっぱり、完全に安請け合いだった。
子どもたちが夏休みに入った、ある日のこと。
「なあ、明日、一緒に走らないか?」
休日の前夜。僕は長男に声をかけた。自分のモチベーションを保つために、息子をダシに使うという最低の作戦である。
「やだ」
息子はテレビゲームの画面から一秒たりとも目を離さず、即答した。ですよね。
次の休日。
体が重いが、何とか気合を入れて玄関を出た。しかし、スピードは相変わらず歩いているのとほぼ変わらない。誰に見られているわけでもないのに、恥ずかしさから自然と背中が丸まってしまう。
もう少し早く起きて、人通りの少ない時間に走るべきなのだろうが、今の僕にそこまでのモチベーションはない。
今日も昨日と同じコース。相生橋を渡り、岡山城を遠くに眺め、県立図書館を回って帰宅した。
ならば、作戦変更だ。
「明日、始発の路面電車、見に行かないか?」
次の休日の前日、僕は息子が好きな電車を見に行くという餌をぶら下げてみた。
「うん、行く!」
食いついた。しめしめ。これでジョギングのモチベーションも上がるというものだ。
翌朝。息子を騙すわけではないが、走らないと始発に間に合わないギリギリの時間に家を出た。案の定、道中は走ることになったのだが――僕の計算は甘かった。
大人の「走る(ジョギング)」と、子どもの「走る」は根本的に定義が違うのだ。
彼らにとって走るとは、すなわち『全力疾走』を意味する。
息子の規格外のペースに合わせようとした結果、僕は短距離走のフォームで駆ける羽目になった。普段使わない筋肉が悲鳴を上げ、心臓が激しく脈打つ。
東山・岡電チャギントンミュージアム駅に着く頃には、足が上がらなくなっていた。
息も絶え絶えで、今すぐアスファルトにへたり込みたい。一方の息子は、ぴょんぴょんと元気にジャンプしながら、車庫から出てくる始発電車を嬉しそうに眺めている。
圧倒的敗北感。
次の休日は、絶対に一人で走ろう。僕は心に固く誓った。
第2話、最後までお読みいただきありがとうございました。
久しぶりの運動あるある(装備だけは立派で、息はすぐ上がる)や、子どもの「走る=全力疾走」ということに、少しでも笑っていただけたら嬉しいです。
大人のジョギングと子どものダッシュは、完全に別の競技ですよね……。
次回は気を取り直して、一人でゆっくり走る(予定の)第3話です。
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