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3/12

受け継がれる意志


翌日。


昨日までのお仕置きが嘘のように、深き森にはいつもと変わらぬ穏やかな朝の光が差し込んでいた。

小鳥のさえずりが響くテラス席で、ユウナは一人、ハーブティーを淹れて静かにティータイムを楽しんでいた。カップから立ち上る湯気を眺め、昨日の自分の軽率な行動をほんの少しだけ反省する。

しかし、その平穏は、森の木々を乱暴に踏み荒らす、冷徹な足音によって唐突に破られた。


「――やはり、ここに潜んでいたか」


木々の隙間から姿を現したのは、黒い外套をまとった男たち。

その先頭に立つのは、冷酷極まりない双眸を持つ男、安全保安局長グレイブであった。その後ろには、通常の兵士とは明らかに纏うオーラが異なる、魔女対策課の「精鋭」たちが十数人、槍や銃を構えて取り囲んでいる。


ユウナは、カップをソーサーに静かに戻し、すっと立ち上がった。


「失礼いたします。このような辺境の森に、安全保安局の皆様が一体どのようなご用件でしょうか」


「白々しい真似を」


グレイブは冷たい笑みを浮かべ、ユウナを鋭く睨み据える。


「昨日の『神明裁判』。我が保安局の鉄杭を挿入され、眉一つ動かさなかった女など、オルテリアの歴史上ただの一人も存在しない。お前は本物の魔女だな?」



「何のことでしょうか。私はただ、痛みに少しばかり強い、平凡な人間に過ぎません」


ユウナは徹底してごまかそうと、感情の消えた声で淡々と応じる。


「往生際の悪い」


グレイブは問答無用とばかりに、右手に携えた鋼の槍を、凄まじい速度でユウナの胸元目掛けて投擲した。

空気を引き裂く鋭い一撃。


ユウナの身体が動くよりも早く、彼女の無意識の防衛本能が作動した。


刹那、彼女の目の前に不可視の魔力の障壁が展開され、飛来した槍はキィィンと金属音を立てて弾き飛ばされ、地面に突き刺さった。


「……森の中であれば、魔法を制限する必要はありませんね」


ぽつりと、ユウナは呟いた。


街とは違い、ここには人間の目がない。誰に遠慮することなく、思う存分に魔法が使える。

ユウナは細い指先をグレイブへと向け、その絶大な魔力の一端を解放した。大気が激しく震え、暴風を伴う衝撃波がグレイブを直撃する。


ドォン! と轟音が響き、グレイブの身体を直撃したはずだった。

だが――。


「な……?」


ユウナの瞳が、初めて驚愕に揺れた。


衝撃波を浴びたグレイブや精鋭たちは、数歩よろめいただけで、傷一つ負っていなかった。彼らが身にまとっている、奇妙な鈍い光沢を放つ鎧。それがユウナの放った純粋な魔力を、完全に霧散させていたのだ。


「無駄だ。我が精鋭たちの鎧は、魔女の魔法をすべて無効化する特殊な『魔道具』で作られている。貴様らの呪いなど、我らには一切通用せん!」


グレイブが勝ち誇ったように叫ぶ。

次の瞬間、背後の精鋭たちが、異形の多銃身銃――『ガトリング』をユウナに向けた。


ガガガガガガガガッ!!!


火花を散らし、猛烈な硝煙と共に、鉛の弾丸が豪雨のようにユウナへと降り注ぐ。これは魔法ではない。物理的な『科学』の暴力。


ユウナは瞬時に障壁を展開し、自らの身体を包み込んだ。

空間に固定された魔力の壁が、すべての弾丸をペシャンコに潰して地面へと落としていく。

だが、守ることはできても、相手の鎧には魔法が効かない。圧倒的な魔力を持ちながら、攻め手を欠く。ユウナに初めて、じわじわとした焦りが生じ始めていた。






「――おいおい。私の可愛い弟子に、ずいぶんと野蛮な玩具を向けてくれるじゃないか」




その艶やかで、底知れない威圧感を孕んだ声に、場の空気が一瞬で凍りついた。


背後の木々の影から、ゆっくりと歩み出てきたのは、ラビスだった。

風に揺れる艶やかな紫の髪、豊満な肢体を揺らしながら、彼女は退屈そうに口元を歪めている。


「ら、ラビス……様……」


ユウナの声に、安堵と、それ以上の緊張が混ざる。

グレイブは、その紫の髪と、肌を刺すような圧倒的なプレッシャーを感じ取った瞬間、顔面を蒼白に染めた。


「まさか……その容姿。お前は……三十年前に消息を絶った、伝説の、最強最悪の魔女……ラビスか!?」


「へえ、私の名前を知っている奴が、まだ保安局に残っていたんだね」


ラビスはフンと鼻を鳴らし、ユウナの前に立ちはだかった。


「私の大事な弟子をいじめるんじゃないよ、不躾な人間ども」


精鋭たちの中には、伝説の魔女の登場にガタガタと震え出す者もいれば、若くその存在を知らない者もいた。後方の若い兵士がグレイブに「局長、あの女は一体……」と耳打ちする。

グレイブは、恐怖を押し殺すように声を震わせ、精鋭たちに伝えた。


「知らぬのも無理はない……。だが忘れるな。三十年前、たった九歳だった少女でありながら、このオルテリア帝国を一人で壊滅寸前にまで追い込んだ悪魔……それが、その女だ!」


「人聞きが悪いねえ。私はただ、静かに暮らしたいだけさ」


ラビスはふぅとため息をついた。


「今はこうして、弟子と二人で穏やかに暮らしている。お前たち人間に興味はないし、危害を加える気もない。……命が惜しければ、今すぐ引き返しな」


だが、グレイブの恐怖は、徐々に歪んだ野心へと塗り替えられていった。


彼の口元が、狂気的に吊り上がる。


「引き返せだと? 冗談を言うな! 消息不明だった伝説の魔女ラビス……貴様を討ち取れば、我が名は世界中に轟き、歴史に名を残す偉業となる! 国民の士気は最高潮に達し、我ら保安局の支持は絶対のものとなるのだ!」


グレイブは剣を抜き,ラビスを指し示した。


「お前たち二人まとめて捕らえ、王都の広場で盛大な公開処刑を実行してやる!」





「アハハハハ!」



ラビスは、腹を抱えて艶やかに高笑いした。

「大きく出たねえ、人間の分際で。世界最強の魔女であるこの私に、お前たちごときが何ができるっていうんだい?」


次の瞬間、ラビスの紫の瞳が、妖しく輝いた。


(――『精神崩壊マインド・ブレイク』)


それは物理的な攻撃魔法ではない。相手の脳に直接、幻覚と恐怖を叩き込む高位の精神魔法。

どれほど防魔の鎧をまとっていようとも、精神への干渉までは防ぎきれない。


「あ、が……あ……!」

「う、あぁぁぁ!!」


精鋭たちが一人、また一人と、白目を剥き、口から泡を吹いてその場に崩れ落ちていく。

グレイブもまた、脳を強打されたような激痛に膝をついた。だが、彼は凄まじい執念で、ギリギリの意識を保ち、ラビスを睨みつける。


(間違いない……この魔女は、最強で、最悪だ。普通に戦っては、勝ち目など万に一つもない……!)


しかし、魔女対策課も、この三十年間ただ指をくわえていたわけではなかった。


「……我々も、死に物狂いで『対策』をしてきたのだ…よ…」


グレイブは懐から、奇妙な真鍮製の球体を取り出した。

安全保安局が、対魔女用に開発した究極の秘密兵器。


「死ね、魔女ども!!」


グレイブが球体のスイッチを押した瞬間、プシューッ! と、猛烈な紫色の霧が辺り一面に噴射された。


「――っ!?」


ラビスの顔が、初めて驚愕に染まった。


その霧を吸い込んだ瞬間、全身の魔力が急速に霧散し、細胞が壊死していくような激痛が彼女を襲う。魔女の魔力循環そのものを逆流させ、死に至らしめる、魔女専用の超強力な「猛毒」だった。


「ユウナ、まずい! 逃げろ!!」


ラビスは残された全ての魔力を振り絞り、ユウナに向けて叫んだ。


「ラビス様――!」


ユウナが手を伸ばすより早く、ラビスの放った『転移魔法』の光がユウナを包み込む。

直後、ユウナの身体は掻き消えるように、森の外へと強制的に転移させられた。


「ガハッ……!」


ラビスは吐血し、地面に崩れ落ちた。

薄れゆく意識の中、彼女の手首に、魔力を完全に封印する冷たい手枷が嵌められるのを、ただ感じるしかなかった。




翌日。

オルテリア帝国の王都中央広場は、割れんばかりの大歓声に揺れていた。


「伝説の魔女、ラビスの公開処刑を行う!!」


広場の中央、高く積み上げられた薪の山。そこに、魔力封じの手枷を嵌められ、力なく縛り付けられているのは、ラビスだった。かつての傲慢な美魔女の面影はなく、毒によって衰弱し、うつむいている。


「おい、あの魔女だ!」

「三十年前に国を滅ぼしかけた化け物だぞ!」

「グレイブ局長万歳! 保安局万歳!」


大衆の狂乱が響き渡る。

その群衆の最前線、古びたフードを深く被ったユウナが立っていた。

その硝子玉のような瞳には、今までにない激しい怒りと、自責の念が燃え盛っていた。


(私のせいで……私が余計なことをしたせいで、ラビス様が……!)


ユウナは、自身の体内の魔力を暴走寸前まで高めた。

この狂った国など、今ここで魔法を使って全てを灰にしてしまえばいい。ラビスを助け出すためなら、自分がどうなっても構わない。彼女が今まさに、一歩を踏み出そうとした、その時だった。

ふっと、縛り付けられているラビスが、顔を上げた。

乱れた紫の髪の隙間から、ラビスの鋭い眼光が、正確に群衆の中のユウナを捉えた。


(……動くんじゃない、馬鹿弟子)


ラビスの「眼力」だけで、ユウナの脳裏に、直接その声が響き渡った。

同時に、ユウナの全身を凄まじいプレッシャーが襲う。金縛りに遭ったかのように、指先一つ動かすことができない。魔法の構築すら、ラビスの強大な意思によって強制的に妨害されていた。


(ラビス様! 動かしてください! お願いです、私は――!)


心の中で叫ぶユウナに、ラビスはただ、静かに目を細めて語りかける。


(馬鹿弟子……お前の実力は認めているけれど、今のこの国の『科学力』には勝てない。私の魔法すら、あの毒と手枷で封じられた。今お前が出てきても、犬死にするだけさ。……逃げなさい。隠れて、平穏に暮らしなさい)


「執行せよ!」


グレイブの宣告と共に、薪に松明が投げ入れられた。

ゴォッ!!! と、凄まじい勢いで紅蓮の炎が燃え上がり、ラビスの身体を包み込んでいく。


「嫌……嫌、ラビス様……!」


ユウナは声にならない叫びをあげた。

動きたい。助けたい。しかし、ラビスの呪縛のような眼力が、ユウナの身体をその場に縫い付けたままで、一歩も動かすことを許さない。

炎はますます勢いを増し、ラビスの美しい肌を、紫の髪を、容赦なく黒く焦がしていく。



「おおおおおおっ!!」

「魔女が死ぬぞ! ざまあみろ!」



大衆の、割れんばかりの拍手喝采と歓声。


フードの下で、ユウナの目から、大粒の涙が溢れ出た。


感情を失っていたはずの彼女の頬を、熱い涙が濡らし、顎から地面へと滴り落ちていく。


親だった。


自分を捨てた世界の中で、唯一自分を拾い、厳しくも愛を持って育ててくれた、唯一無二の親だった。

その人が、自分の目の前で、人間たちの身勝手な歓声の中で、黒焦げになって崩れ落ちていく。


必死に金縛りを解こうと、ユウナは歯を食いしばり、血が滲むほどに拳を握りしめた。

だが、ラビスの最期の魔力を用いた縛りは、あまりにも強固だった。


炎が消え去った時、そこにあったのは、見るも無残な一本の黒焦げの炭化組織だけだった。


人々はグレイブの名を叫び、英雄の誕生に酔いしれ、やがて満足したように一人、また一人と広場を去っていった。



夜。

静まり返った処刑台。昼間の狂騒が嘘のように、冷たい風だけが吹き抜ける。

晒し者として放置された、無残な黒焦げの遺体の前に、ユウナはぽつんと佇んでいた。

金縛りは、ラビスの命が完全に潰えた瞬間に解けていた。

ユウナは、その場に力なく膝をつき、炭化した遺体にそっと手を触れた。


「……ラビス様……申し訳ありません……私のせいで……」


涙がボロボロと石畳を濡らす。


その時だった。


キィン……と、耳の奥で、微かな、しかしはっきりとした精神の波長が捉えられた。

炭化した遺体から、最期の魔力を振り絞った「念波」が、ユウナの脳裏へと直接流れ込んでくる。


『――ユウナ、泣くんじゃないよ』


ラビスの声だった。いつも通りの、傲慢で、しかしどこか優しい、女王様の声。


『平穏に暮らしなさい。……と言いたいけれど、あんたのその泣き顔を見ていたら、どうせ無理なんだろうねえ。


安心しな。私は「世界最悪の魔女」だよ? この程度の肉体の死で、本当に死ぬとでも思ったかい。私の魂は、すでに新たな生命へと転移を始めている』

ユウナは、ハッと息を呑んだ。


『お前は、私の転移した魂を探し出しなさい。

必ず生まれ変わった私が、この狂った世界を、正しく導いてやる。

それまで、耐えるんだ。逃げて、隠れて、牙を研いでおきなさい。……いいわね、ユウナ』



そこで、念波はぷつりと途切れた。



静寂が戻る。


ユウナは、濡れた瞳をそっと拭い、立ち上がった。

胸の中にあった絶望は、静かな、しかし決して消えることのない「灯火」へと変わっていた。


「……はい、ラビス様。必ず、あなたを見つけ出します」



銀の髪をフードの中に隠し、ユウナは夜の闇の中へと、静かに姿を消した。





それから、三年の月日が流れた。




オルテリア帝国の魔女狩りは、ますます激化していた。しかし、安全保安局の執拗な追跡をかわしながら、ユウナはただひたすらに、世界中を旅していた。

自らの魔力を研ぎ澄まし、あの懐かしい、世界で唯一無二の「魂の波長」を追い求めて。


三年という歳月は、十七歳だった少女を、より洗練された、神秘的な美しさを持つ二十歳の女性へと成長させていた。

かつて暮らしていた場所から遥か遠く離れた、霧深い未知の森。

日の光さえほとんど遮られたその薄暗い木々の隙間を、ユウナは迷いのない足取りで進んでいた。

彼女の胸が高鳴る。

この三年、一度も感じることのできなかった、あの懐かしく、そして傲慢なまでに強力な魔力の波長が、この先の藪の奥から確かに漂ってきている。

ユウナは木々を掻き分け、その場所に歩み寄った。

湿った苔の上に、粗末な布に包まれただけの小さな赤ん坊が、ぽつんと捨てられていた。

かつて自分がラビスに拾われた時のように、誰かに捨てられたのだろう。短い手足をバタバタとさせながら、赤ん坊は不満そうに、うっそうと茂る森の天井を睨みつけている。

その赤ん坊の頭には、産毛でありながら、驚くほど艶やかな「紫色」の髪が生え揃っていた。

赤ん坊は、ユウナの気配を察したのか、ふっとその小さな顔をユウナの方へと向けた。

まだ言葉も喋れないはずのその瞳には、かつての「世界最悪の魔女」と同じ、世界を見下すような傲慢な輝きが宿っていた。


ユウナはフードをそっと外し、月の光のような銀髪を風になびかせた。


彼女の整った顔立ちに、三年ぶりに、静かで、しかし心からの温かい微笑みが浮かぶ。


ユウナは赤ん坊の前に屈み込み、その小さな身体をそっと抱き上げると、どこまでも丁寧な敬語で、静かに語りかけた。





「――見つけましたよ、ラビス様」

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