ロルが守りたいもの
ラルベルはその後、なんとかダンベルトに会わずに済んでいるらしい。
というのもダンベルトが忙しくてラルベルに会いに来れないだけで、ラルベルもまた自分の変化を恐れて店と部屋を往復するだけの生活を送っているようだ。
他の人間の血が欲しくなることも、人間の食料を受け付けなくなるわけでもないようだから、やはりダンベルトに限定した問題だろうと、ロルは確信する。
昨日フクロウが運んできた手紙にも同じことが書いてあったから、とりあえず静観するよりないようだ。
それよりも気になるのは、噂のほうだ。
ヴァンパイアが人を襲っているという噂は、日に日に大きく町の隅々まで広まっていた。
正直、おもしろくない。
人とトラブルを抱えてまで人間の生き血を欲するヴァンパイアは、少なくともあの集落にはいない。むしろ鳥の生き血が大好きな奴とか、特定の鹿の血しか欲しくならない奴とかはいる。でもまぁそれはあくまで好みの問題だし、ちゃんと相手の同意を得て生き血をわけてもらっているから何の問題もない。
ヴァンパイアが人間にしたことよりも、過去に人間がヴァンパイアにしてきた仕打ちのほうを考えたらどうだ、とロルは思う。もっともロルが生まれる前のことだから、実際のところは知らないが。
なんにしてもいずれ、ダンベルトという男に会ってみたい、と思うロルである。
ラルベルはなんといっても幼馴染みで、大事なヴァンパイア仲間でもある。そんなラルベルの思いを知った今、一応はラルベルを任せられるような男なのか、そもそもラルベルのことをどう思っているのかを確かめないと。
――まぁ、ラルベルとそいつが決めることではあるけどな。
そんなことを考えつつ、町で買い物を済ませてラルベルの下宿へと向かうロルであった。
台所には、赤く美味しそうに色づいた林檎が五つに蜂蜜とレモネンの実、そしてハーブが用意されている。
「さて、と始めるか」
袖をまくり上げて、林檎を手に取るロル。その隣で両手を胸の前で握り合わせて、目を輝かせるラルベル。
「その前に、ちょっとお前、あっち行ってろ。邪魔だから」
熱い視線に耐えかねたのか、ロルがラルベルの肩をどつく。
もちろんどくつもりなんて一ミリもないラルベルは、その場を動かない。
――ほんっとにこの女は……。食べることしか頭にないのか!
「ね、ね、ね?これ全部食べていいの?」
まとわりつくラルベルを無視して、次々と林檎を洗っていく。
ここは、ラルベルの下宿先の台所である。おかみは嫁いだ娘の出産に立ち会うために家を留守にしているらしい。
ロルはここのところヴァンパイアの渇きで満足に買い物にもいけずにいるラルベルのために、焼き林檎を作りにやってきたのだ。
焼き林檎の作り方は簡単だ。集落にいるときもよくラルベルのために作ってやっていたから、もうお手のものだ。
慣れた手つきで林檎の芯をくりぬき、中に蜂蜜とハーブを詰める。蜂蜜は華やかな花の香りの強い種類のものを使うと、林檎の香りとマッチしてさらにおいしくなる、らしい。
ロルはもちろん生粋のヴァンパイアであるから、林檎もそれを使った焼き林檎も食べたことはない。口にしたところで、体が受け付けない。香りだけはまぁわかるから、味の良し悪しはラルベルの食べた時の反応と香りで判断している。
ラルベルによると料理の腕はなかなかのものらしく、ひょっとしてこれで小遣い稼ぎくらいはできるんじゃないかと考えているロルである。
そうして蜂蜜などを中に詰めた林檎を、皮のまままるごとじっくりと時間をかけて焼き上げる。焼き上がったら、さっとレモネンの果汁をまわしかけてハーブの小さな葉を上に飾り付ければ出来上がりだ。
多少焼きが甘くても、それはそれでシャキシャキとしておいしいらしいし、じっくり焼いたものはトロリととろけるように口の中に広がって、それも絶品なのだという。
ロルは同じようにくり抜いた林檎を天板に並べて、オーブンに入れる。
ラルベルは鼻をヒクヒクさせながら、うっとりとした顔つきでオーブンの中を眺めている。
「それで?あれ以降体の調子はどうだ?目は?」
「ん~。特に変わりないかも。ちょっと熱っぽい気がすることもあるけど、ごはんを食べれば落ち着くみたい。目の色も誰にも何も言われないし、鏡で確認してる分にはいつも通り」
オーブンを熱い視線で見つめたまま、返事をするラルベルに、ロルは安堵する。
――もしこいつがヴァンパイアだって知れたら、多分この町にはいられないからな。いくら好かれてるといったって、人間はヴァンパイアというだけで怖がって近づこうとしないだろう。
仲間たちも時間をおけばもとに戻るだろうと言っていたし、年頃のヴァンパイアには時折渇きが暴走することがあるそうだ。熱病みたいなものでじきに収まるし、ラルベルの場合はなるようにしかならないとも言っていた。
――恋だから。
ロルは子供のころからずっと変わらない能天気な顔を見つめながら、思う。
――こいつが恋とはね。しかも人間相手に。親子そろって、よくもまぁ厄介な相手を選んだもんだ。
人間であるラルベルの父親は確か、勘当同然に家を出てきたんじゃなかったか。
結婚相手がヴァンパイアだということを話したのかどうかは知らないが、結局はあの集落を出てあちこちを旅して暮らしている。
人間の町に落ち着くことも、ヴァンパイアと共生することも難しかったからだろうか。
ロルの記憶の中ではいつも二人は仲睦まじかったし、暗い影も感じなかったけど。
――お前もそんな生き方を選ぶのかな。ヴァンパイアにも人間にもなり切れずに、居場所を求めてさすらうような生き方を、お前もするしかないのかな。
幼馴染みの行く末を思い、小さくため息をつくロルである。
その後できあがった焼き林檎は、しっかりとラルベルのおなかの中に納まった。見事に全部。一度に。
人間がどの程度の量を一度に食べれば満足するのかロルには想像しかできないが、絶対にこいつは食いすぎだ、と思う。
いろんな意味でこいつと生きていくのは苦労が多そうだ。ヴァンパイアかどうかは別としても。主に金の問題で。
ほんの少しダンベルトの将来を気の毒に思う幼馴染みの姿と、満足そうに腹をなでて満面の笑みをこぼすラルベルの姿がそこにあった。




