偏食ヴァンパイアの渇望
「ロル!みんなは大丈夫だった?なんともない?」
ダンベルトが帰ってからさらに数日後、ロルが町に戻ってきた。
今回の調査場所が、なぜかレテ山ではなくゴーダ付近だったことをロルに教えられ、ラルベルは首をかしげる。ロルは集落にも仲間たちにも変わりないこと、どうやら何かの事件をゴーダで探っているようだとラルベルに話してくれた。
そういえばダンベルトから何の調査なのか詳しく聞いていなかったことを思い出す。森での生活を長く続けていたせいか、外の世界ではそんな物騒な事件も起こるのだということがどうもピンと来ない。
ではダンベルトの怪我も、本当はその事件がらみで誰かに付けられたものなんだろうか。
思わずラルベルは自分の腕をぎゅっと握りしめる。
あの日、ダンベルトが怪我をしたと聞いて詰所にかけつけたあの日――。
ラルベルの記憶は曖昧だ。でも自分の身に何かおかしい変化が起こって倒れたことは記憶に残っている。
「……血の匂い」
「ん?」
思わずつぶやいたラルベルに、ロルがいぶかしげな顔をして視線を移す。
「……ねぇ、ロル。ロルは血の匂いを嗅ぐと、体が熱くなったりする?」
その匂いを思い出してざわざわと沸き立つ体を鎮めるようにさすりながら、問いかける。
幼馴染みのただならぬ様子に「血の匂いって、なんで」と言いかけて、動きを止める。
「おい!ラルベル、お前その目……!!!」
ラルベルの茶色の目がゆらゆらと赤くきらめいていた。慌ててラルベルの肩を掴んでその顔を覗き込む。
――これは。でもラルベルは純血じゃないのに……。どうして。
その瞬間、ロルははっと窓の外を見る。
もう外は夜だ。空には濃い夜空が広がり、月がぽっかりと浮かんでいる。
――そうか!月だ。満月が近いせいだ。いや、でも……。
「ロル?」
ラルベルは自分の中の変化には戸惑っているようだが、おそらく目の色が変化していることには気づいていない。
「いつからだ?おかしくなった時のことを詳しく教えてくれ」
ラルベルは、ぽつりぽつりと自分に起こった変化とその時の状況を説明する。
とはいっても血の匂いでなんだか変な気分になって、気が付いたら倒れていたことぐらいしかラルベルにもわからなかったけれど。
ロルはじっとラルベルを見つめたまま聞いていた。その間にも目はゆらゆらと赤く揺らめいている。
――あれはヴァンパイアが血を欲しているときの目だ。しかも、激しく。
ヴァンパイアにとっては生き血は食べ物と同じだ。人間が腹がすくのと同じように、空腹感というよりは渇きを覚えて生き血を摂取する。逆に言えば、渇きを感じなければ生き血を求めることはない。通常は――。
例外は、ある。
ヴァンパイアは満月が近づくと、まれに強い渇きを覚えることがある。とはいえ我慢できないほどではないから、たいていのヴァンパイアはその時期にはじっとその時が過ぎ去るのを待つ。
が、まれに満月と特定の状況が重なると、強烈な渇きに突き動かされて体の変化を起こすことがあるのだ。熱に浮かされて我を忘れる、といった表現が近いだろうか。
おそらく、ラルベルの体に起きている変化は、それだ。
満月と、もうひとつ――。
「お前、ダンベルトという男のことどう思ってる?血を欲しいと思うか?」
その問いかけに、ラルベルは目を見開く。
ヴァンパイアと人間のハーフで生まれついての嫌血家であるラルベルに、そんな問いかけをするなんて。血を飲めないのはロルが一番よく知っているはずなのに、とラルベルは思う。
「お前、自分の顔を見てみろ」
部屋に置かれた姿見を顎でさすロルに、怪訝そうな顔で鏡を覗き込むラルベル。
写し出された自分の顔を見て、凍り付く。
――目の色がおかしい。なんなの、これ?何かが中で燃えてるみたいな。
「……それはヴァンパイアが飢えているときの目だよ。お前は今、血に飢えているんだ。ラルベル」
ロルの思いもしない言葉に、ラルベルは立ち尽くす。
――私が、血に飢えている?一滴も飲めないのに?今まで血が欲しいなんて一度も。
そう考えて、ふとあることに思い当たる。そういえば最近ダンベルトの匂いを、『おいしい』って――。
振り返ると、ロルが難しい顔をしてラルベルを見つめていた。
「誰かの匂いをおいしそうって思うのは、私がその人の血を飲みたいって思っているってことなの?私、やっぱり他のヴァンパイアと同じように生き血を……」
ロルはため息をついた。
「お前しばらくその男に会うな。少なくとも数日は近づくんじゃないぞ。もうすぐ満月だ。それが過ぎれば多分、渇きは収まってくるはずだ。でもそれまでは……」
ラルベルは激しく動揺する。どうして?どうして私が血を?同じ疑問が頭の中をぐるぐると回っている。
「もしかして私、人を襲ってしまうの?人の血を……」
そういいかけて、はっとする。
この間詰所でも同じように目の色が変わっていたとしたら?ダンベルトはこの目に気づいただろうか。特に何も言われてはいないけれど、あんな近くにいて気づかないなんてことがあるだろうか。
「心配するな。お前が欲しているのはその男の血だけで、実際のところ血を欲しがっているというよりはむしろ――、いや。とにかく数日距離をおけば大丈夫なはずだ。いいな、近づくなよ。何かあったらすぐに俺に知らせろ。しばらくこの町にいるから」
「……わかった。一つ聞いてもいい?ロルもこんな目になったりする?私ロルがこんなふうになるの、見たことないんだけど。集落のみんなだって……」
そうだ。ヴァンパイアに囲まれて生きてきたラルベルが、こんな目をした仲間たちの変化に気づかないなんてことが、果たしてあるだろうか。
助けを求めるように自分を見つめるラルベルに、ロルは心の中でつぶやく。
――それはお前があの男を求めているからだよ。多分、魂の半身としてな。
とはいえ、きっとそれを自覚していないとも気づいていた。
もともとヴァンパイアは番を求める欲求が少ない。だからこそ子孫を残すことが少ないのだが。でもそうした対象と出会ったヴァンパイアの求める思いの強さは、相当なものだと聞いたことがある。
長命のヴァンパイアとしてはまだ赤子同然のロル自身にはそんな経験はないし、他のヴァンパイアが変化した姿もみたことがない。
正直、お手上げだ。老齢のヴァンパイアたちなら、ロルよりは知っているかもしれないが。
「とにかく俺がなんとかしてやるから、しばらくは会うな。いいな!絶対だぞ」
そういってラルベルの部屋を出ていったロルの背中を、心細い思いで見送るラルベル。
会うなといわれても、あっちから会いに来たらどうすればいいのだ。ラルベルが詰所に行かなくても、店に来るかもしれないし。
――どうしよう……。私、どうしちゃったの?
自分がなぜこんな変化をおこしているのか、なぜこれほどまでにダンベルトの血を欲しているのかを、ラルベルはまだ知らない。
いや、気づいていないというべきか。
それが、恋とよばれるものであることに気づくのは、もう少し先のことだ。
ラルベルが初めての恋に文字通り焦がれている頃――。
大きく事態は動こうとしていた。
ラルベルの渇きを知ったロルは、老齢の仲間たちに対策を聞くためにフクロウを飛ばした。
満月まではあと二日というところだろう。
ダンベルトと離れていた時間の寂しさと、満月、そこにダンベルトの血の匂いを嗅いだことが重なって、急に反応したのか。それともヴァンパイアとしての本能が急に働き出して、血を求める性質に変化しつつあるのか。
少なくとも生き血全般を欲しがっているようではないから、おそらくはダンベルト限定の渇きだとは思うが。その場合、どうすればその渇きを抑えられるんだろうか。血をくれとでもいえばいいのか。
ロルは首を振る。
そんなの無理に決まってる。好きな人間相手に自分がヴァンパイアだなんて言えるわけがない。ゴブリンとか熊とかいってたな。まぁ強そうなでかい体の男ではあったし、その割に動きは素早いし、部下からも信頼されているようではあったけど。ラルベルはああいうのが好みなのか。
ロルは幼馴染みの初めての恋に焦がれる姿に、なんともいえない複雑な思いを感じるのだった。




