エピローグ それぞれの思いを胸に
あの件から一週間が経った。
師匠もどうにか動けるまでに回復したので、とりあえず一安心だ。
「……くそったれ」
雲一つない青空の下、師匠は不機嫌な態度を隠さずに低く呻いた。
可愛らしい顔が台無しになるくらいの顰めっ面で、その頬は真っ赤に腫れている。
「自業自得だよ、ルーちゃん」
「──チッ、わかってるっての」
リーフィア様が師匠の頬に冷やした布を当てながら、呆れたように呟いた。
「くそっ、あいつらマジで容赦ねぇ。絶対ゆるさねぇからなちくしょう……!」
師匠がこんなに荒れている理由は、彼女の真っ赤に腫れている頬にある。
今回の10万の魔物の軍勢は、師匠の手引きによるものだった。例え英雄だろうと世界を危険に晒したその責任を負ってもらう。
それが英雄達の会議で決まったことだった。
ということで師匠に与えられた罰は──全員からのビンタ。
私はすでに一回師匠をぶん殴ったので辞退したけれど、他の皆は容赦無かった。
首が取れるんじゃないかって心配するくらい勢いよく殴っていて、今現在こうしてリーフィア様に看病されているのだ。
でも、一番酷いのはリーフィア様だった。一発殴ったと思ったら「コノハちゃんの分、私を心配させた分、魔王を頼った分、マギサと骸の援護に疲れた分、強引に唇を奪った分」と勝手に罪を付け足していた。
特に反応があったのは「強引に唇を奪った」という部分だった。
興奮気味にそのことに問い詰める英雄の皆と、面倒なことになったと顔を顰める師匠。その時のことを思い出したのか、頬を赤く染め体をくねくねさせながら語るリーフィア様。
会議室は混沌と成り果てていた。
メティス様やシュバルツ様からは羨ましいと追加のビンタをされ、マギサ様からは「もっと女の子の気持ちを考えなさい!」と再びビンタを食らっていた。
皆、師匠も女だということは別に気にしていないようだった。師匠は終始「理不尽だ!」と喚いていたけれど、誰も聞き入れなかったのが、今こんなにも荒れている原因なのだろう。
「でも、本当に大変だったんだからね? クロから、コノハちゃんがルーちゃんを見つけたらしいって知らされて駆けつけてみれば、魔王と戦うことになるなんて……そのせいでコノハちゃんには辛い思いさせたんだからね?」
「……それもわかっている。だから何度も謝ってるだろ」
クロやリーフィア様が駆け付けたのは、私が師匠と決着を付けた後だった。
どうやら魔王ソフィアは、私だけをあの場に行かせるつもりだったようで、二人は魔王とその側近の騎士であるロザリアに足止めを食らって到着が遅くなったらしい。
そのせいで私が色々と大変な思いをしたのは間違いない。
でも、今はこれで良かったと思っている。
「師匠は戻って来てくれた。私も、少しは自信を持てるようになった。だから私は満足……」
「コノハちゃん……!」
感極まった様子のリーフィア様に抱きつかれた。
顔が胸に押し付けられて苦しいけれど、引き剥がすことは出来なかった。
「本当にコノハちゃんは頑張ったよ。偉い偉い」
ぎゅっとされ、頭を撫でられる。……温かい。
「でも、また戦って勝てるかは、わからない」
私が途中で発揮した力。あれが何だったのかはわからない。
師匠はあの力に心当たりがあるみたいだけど、教えてくれなかった。多分、自分で探せということなのだろう。
「次もまたあれを使えるとは思えない。それに、師匠は十分な状態じゃなかったし、万全な状態で戦ったら勝てるか──」
「ハッ! この馬鹿弟子が」
師匠が呆れたように笑い、私の頭に手を置いた。
「例え万全な状態じゃなかったにしても、お前は本気を出したオレに勝った。今はそれを喜べ」
「そうだよコノハちゃん。普通は弱っているルーちゃんにも勝てないよ。それに勝ったんだから、胸を張れば良いんだよ!」
「……うん……」
確かに二人の言う通りなのだろう。
『天罰』で弱っていたとしても、師匠は異常な程に強かった。
それに私は勝てたのだから、胸を張って良いのだろう。
でも、いつかは正々堂々と戦って勝ちたい。
そのためには、あの不思議な力も使いこなす必要がある。
この程度で満足はしていられない。もっと強くなってやるんだ。
「本当に貪欲な弟子だな、お前は」
「昔のルーちゃんを見ているみたいだねっ」
新たな決意を胸に抱く私に、二人は笑っていた。
「──って、忘れていたけどルーちゃん。スラちゃんはどうしたの?」
急に思い出したように、リーフィア様はそう言った。
……そういえばずっとスラさんの姿を見ていない。色々ありすぎて忘れていたけれど、どこに行ったんだろう?
「ああ『終始の果て』に放置してきた」
「「はぁ!?」」
師匠はあっけらかんとした様子で、とんでもないことを言い出した。
「だってよ、あなたの最後を見届けさせろってうるさかったんだよ。オレは誰の邪魔も入らない決闘をしたかったんだ。だから置いてきた」
今頃海でも泳いでるんじゃねぇの? と、師匠は心配している様子が無かった。
──そんな時のことだ。
「ピュイイイィイイイィイイァ!!!」
何処かから怒号が鳴り響き、ネクトフリーデンに隣接する海が大きな水飛沫を上げた。
それを引き起こしたのは、青色のプルンとしたツヤのある生物。
遠くから見てもわかる。あれはスラさんだ。
「……なんか大きくない?」
ネクトフリーデンと隣接していると言っても、私達がいる場所とはかなりの距離がある。
それなのにスラさんの姿をちゃんと確認出来た。
…………もしかして、巨大化してる?
「あーらら、見事に怒ってやがる」
「呑気に言ってる場合じゃないでしょ! 海を吸い込んで巨大化もしているじゃないの!」
「はぁ……やれやれ……」
リーフィア様が喚いている中、師匠はいつも通り飄々とした態度で腰を上げた。
「さて、お怒りの使い魔を宥めに行くとしますかね」
師匠は軽く伸びをして、私に振り向く。
「何をボーッとしてやがる。ほら、行くぞ」
師匠は手招きして、海の方へ歩く。
「──うんっ!」
私は頷き、師匠の後ろ姿を追いかけた。
◆◇◆
「──以上で報告を終了します」
ロザリアからの報告を受けた私、ソフィア・ルルバートは、手に持つティーカップをテーブルに置き、ホッと息を洩らしました。
「……そう、ルーファス様はご無事だったのね」
用意した10万の兵士達は、『六英雄』によって全滅。
今回の侵攻で共謀したルーファス・アークベルンは、その弟子コノハの手によって倒れた。五日に及ぶ昏睡状態の後、目を覚ましたとのこと……。
「我が軍の損失は大きいです……が、問題はありません」
「ええ、10万の兵士程度、どうってことないわ」
今回集めたのは、人間と好戦的な『過激派』の連中ばかり。
魔王の座を愚かにも狙うような者達です。この機会に数を減らせたのはむしろ僥倖でしょう。
「でも、反乱分子の怒りを買ったのは面倒ね」
「それは問題ありません。すでに話を付けております」
「……そう。なら大丈夫かしらね」
目的があったとしても、側から見れば大敗でしょう。
今回の件を逆手に取り、私の責任と押し付けてくる者達が出るのは予想していました。
ですが、すでにそれとは『話』を付けたとのこと。面倒なことにならなくて済んだと、側近の騎士に礼を言います。
「…………嬉しそうですね」
ロザリアが目を細め、私にそう言いました。
「嬉しそうですって? それはもう嬉しいに決まっているでしょう」
ルーファス様が生きていた。
そのことを喜ばずして、どうするのでしょうか?
「コノハさんには感謝しなきゃですね」
「あの獣人の娘ですか。……かの英雄を下したとは、今でも信じ難いです」
「でも、あの子は成し遂げた。ふふっ……ルーファス様は良い拾いものをしましたね」
私は遠くを見つめ、あの時のことを思い出します。
『私はあなたと違って──諦めたくない』
運命に翻弄されながらも、己を信じて突き進んだ少女。
それは絶対に諦めることをせず、大切な人のために命を捧げる覚悟を持った小さなお弟子さん。
…………本当に、面白い子でした。
あのルーファス様が気に入るのも納得です。
「後でご迷惑を掛けたお詫びと、感謝のお土産でも持って行きましょうか」
「お一人では危険です。その際は私にもお声掛けを」
「勿論よ。その時は頼んだわ」
と言っても、それをするのはまだ先のことです。
ただでさえ様々な国家を揺るがした魔王が、ふらっと英雄の国に向かうのは危険極まりないでしょう。
もう少し時間が経って、両方が落ち着いたら向かうことにします。
「でも、あちらはまだまだ落ち着きそうにないですね」
ルーファス様が死ぬのは『抗えぬ運命』でした。
しかし、コノハさんは運命のその先を切り開いてしまった。
狂った歯車は、やがて歪に回ります。
それはきっとこの先……遠くない未来に起こるでしょう。
私は遥か遠くの地『ネクトフリーデン』のある方向を眺めます。
私は、いつしか英雄の頂に座するであろう少女の姿を思い浮かべ、微笑みました。
「あなたは再び運命に抗えるのでしょうか?」
願わくば、我らの悲願さえも────。
「本当に、楽しみです」
くすくすと、その笑みは虚空に溶けて消えていくのでした。




