第36話 大切な人へ
「──ってぇ、マジで殴りやがって」
オレは未だに痛む頬をさすりながら、呻くようにそう呟いた。
「ふふっ、手痛くやられたみたいだね」
「…………リフィ……」
いつの間にかリーフィアは部屋の中に入り、真っ赤に染まっているであろうオレの頬を見て面白そうに微笑んでいた。
「コノハちゃんは……眠っちゃったんだね」
ベッドに顔を埋めるように眠るコノハを起こさぬように反対側まで歩き、ベッドの端に腰掛ける。微かにベッドが軋む音がしたが、コノハは完全に深い眠りに入っているため起きる気配はなかった。
「ああ、オレのことをぶん殴って、好き放題に言って、疲れて眠りやがったよ。ハッ、やっと成長したと思ったが、まだまだガキだな」
オレは呆れたようにそう言った。
「コノハちゃんは、どうだった?」
「……ばかいてぇ」
「そりゃあそうだよ」
「だが──」
「ん?」
「温かかった」
「……そう、それは良かった」
リーフィアは目を伏せ、握り拳を作った。
「私もやっていいかな?」
「勘弁してくれ。お前にやられたら今度こそ死ぬ」
リーフィアは、コノハのことを「同じくらいに怒っている子」と言ったが、それは違う。絶対にリーフィアの方が怒っている。顔は微笑んでいるのに、異常なほどの迫力を彼女から感じる。
このオレが本気で恐れる──リーフィアの激怒だ。
「だったらやらないよ。ルーちゃんが死にそうになるのは、もう二度と見たくないから」
リーフィアの笑顔に影が差す。
確かに彼女は怒っている。しかし、それ以上に悲しんでいたのだ。
オレ達は何百年も生涯を共にした。
助け合い、泣き、笑い。何度も喧嘩をした。
それでもオレ達は一緒に居た。
リーフィアはオレを常に支えてくれた。
そしてオレも、リーフィアを大切に想ってきた。
オレは────
「ハッ……おせぇんだよ、鈍感野郎が」
「……ルーちゃん?」
オレは溜め息をつき、リーフィアが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「なぁ、リフィ」
「ん、なぁに? ルーちゃん」
オレは悲鳴をあげる体に鞭打ち、リーフィアを抱きよせ──そっと口付けた。
「──っ!? ──、──!」
リーフィアは目を見開き、面白い反応を見せてくれた。
咄嗟に離れようとするリーフィアの体を、更に力を込めてがっちり固定する。
──今はただ目の前の人が愛しい。
その感情でオレは動き、ついばむように何度も唇を奪った。
「ん……ちょっと、ルーちゃ……んっ、ぁ……」
リーフィアの吐息が漏れる。
体は微かに震え、それでもどうにか抵抗しようとオレの腕を掴む。
だが、それには全く力がこもっていない。その微かな抵抗は、むしろ逆効果だった。
しばらくお互いに触れ合った後、ゆっくりと顔を離す。
リーフィアの顔は真っ赤に染まり、翡翠の瞳がとろんと蕩け、うるうるとオレを真っ直ぐに見つめている。体も火照っているのか少し熱く、呼吸も多少荒い。
「好きだよ、リーフィア」
もう二度と会えないと諦めていた。
でも、また出会うことが出来た。
だから本心を伝えようと、そう思った。
「──っ!」
リーフィアは突然の告白を受け、更に顔を赤くさせる。すでに泣き腫らした目元から、一筋の線が垂れる。
「そう言って……また何処かに行っちゃうんでしょ……」
「もう行かない」
「……ほんとうに……?」
「ああ、本当だ」
オレは今回の計画に全てを賭けていた。
だが、それは破られた。
他でもないオレの弟子によって、真正面から敗北した。
これ以上はもう十分だ。
それに──
「もうお前やコノハを泣かせたくない」
二人の赤く染まった目元を見た時、オレは胸が苦しくなった。
この感覚は嫌いだ。だからもう心配させないようにする。
自分勝手だというのは自覚している。
だが、それでも嫌だと思ったんだ。
「死ぬ間際はこれで良いと思った。だが、最後の最後でお前の顔が浮かび上がった。……ああ、まだオレには未練があったんだと、そこで気付いたんだ」
「……っ、遅いよ……馬鹿ぁ」
「ああ、馬鹿だ。オレは多分、どうしようもない馬鹿なんだ」
どこまでも自分に呆れてしまう。
でも、そのおかげで大切なものを見つけたんだ。
「昔、言ったことだ」
「……?」
「『それでもダメな時は、オレを頼れば良い。出来ないことは二人で補っていけば良い』」
どうしようもなく腐りきったあの世界で、約束した言葉。
いつかの約束のことを、オレはまだ覚えている。
「オレは馬鹿だ。ダメダメな馬鹿野郎だ。……だから、さ……これからも頼って良いか?」
「──、うん! うんっ!」
リーフィアは泣いていた。
次は悲しみの涙ではなく、嬉しい涙を流してくれている。
それが嬉しくて、オレは再びリーフィアを抱き締めた。
「もうどこにも行かないで。私を、置いて行かないで……」
「ああ、わかった。約束する」
「約束だけじゃ、足りない……誠意を見せてよ」
そう言い、リーフィアは目を閉じて唇をこちらに差し出した。
「──ったく」
頬に触れる。
リーフィアは微かに震えていた。
「確かに約束じゃあ物足りないな。──誓う。オレはお前と寄り添い続けると誓おう」
「それだけじゃ、だめ」
「……あん?」
「コノハちゃんも大切にしてあげて?」
「わがままな奴だな、おい」
「仲間外れはダメだよ」
ここで自分だけではなく、コノハのことも考えるか普通?
……だが、リーフィアらしい。
「当たり前だ。お前もコノハも、オレが大切にしてやる」
オレは新たな決意を胸に、リーフィアと口付けを交わした。
◆◇◆
──とんでもない現場に居合わせてしまった。
私の感情を表現するのなら、それが一番適切だろう。
師匠が生きていて、それに安心して、自分の言いたいことだけを言って眠ってしまった。
それは良い。まだ問題ない。……問題なのは、その次だ。
話し声が聞こえたから起きたら、師匠とリーフィア様が口付けを交わしていた。
しかもかなり激しい。主に師匠が攻めだけれど、リーフィア様もリーフィア様でそれを一心に受け入れていた。
──完全に甘い雰囲気が出来上がっている。
いや、二人は何十年何百年と共に過ごしていた。
すでにデキているのだろうとは思っていた。女同士とか関係ない。むしろ二人はお似合いだ。
──だからって展開が急すぎる。
まるで親の営みを偶然目撃してしまった子供のような感覚だった。
私の思考が停止したのは言うまでもない。
驚きすぎて声が出そうになったけれど、そこは気合いでどうにか堪えた。
この場面を見ていたとバレたら、私の命は──無い。
だから必死に、寝ていますよという雰囲気を出していた。
これから二人を見る度に、この時のことを思い出してしまいそうだ。
……大変なことになった。
私は内心溜め息をつき、どうか早く終わってくれと切に願った。




