0001 BARCAP 要線戦闘海中哨戒(2)
黒人は、ボブ、27才、アメリカ海軍特殊戦グループ(Navy SEALs)チーム9のメンバーと名乗った。見た目どころか中身もアザラシ(Seal)だった。
格納庫のような構えの横須賀中央駅舎の巨大な改札口を出て、明るい日差しのもとで別れたいま、短かった道連れを振り返って浩隆はあらためて思う。
めちゃくちゃいいやつだった!
ひとを見た目で判断するのはよくないな、とひとり猛省する。
たとえば、ヨコスカには機密扱いの規則や習慣がたくさんあり、そのひとつがさっきの携帯の大合唱がだというのもボブが教えてくれた。
域内で未登録端末を民間の回線につなげっぱなしにしておくと、統合情報保全隊の工作電波に汚染されて、通信不能に陥ったうえ警告音が止まらなくなる。これは、全土が戦術データ・リンク(TADIL)に組み込まれている特別区の防諜措置のひとつで、現行のリンク80の基礎システムの下位レベルのゲスト用窓口である海軍なんちゃらネットワークにうんぬんすれば症状は解除できるのだがかんぬん、とここらへんまで聞いて、不慣れな英語と専門用語の電飾パレードに浩隆は耳と頭がついて行かなくなった。
とにかく、新入りは周りの古株に頼れ、ということらしい。何も知らない素人には周囲が手を貸すのがならわしになっているというのも、ボブの貴重な助言の一だ。
それにしてもアザラシボブ軍曹のエスコートは至れり尽くせりだった。浩隆の身上に話が及ぶと、持ち前のシーマンシップがそうさせるのか、八景島の本職もかくやというほどのサービス精神を発揮し始めた。鞄は持てるか、段差があるぞ、エレベータはあっちだ。
もちろん、眼鏡が生きているかぎり浩隆は介助を必要としない。
しかしその強がりは、ひょいとひっくり返してみれば、眼鏡なしではとうてい健康体と呼べない身だということでもある。わるいとは思いつつも、せっかくのボブの親切心にはおおいに甘えさせてもらった。
お陰で入管も問題なく済んだ。あとは待ち合わせている友人と合流できればだいじょうぶだ、いろいろありがとう、と言うと、ボブはまたしても皓歯を日光にきらめかせながら、握り拳に親指を突き上げ爽やかに歩き去っていった。つくづく気っ風と口周衛生のいい男だった。
いま、日本晴れのすがすがしい霄壤に仰ぎ見ながら、だだっぴろい駅前にぽつねんとつっ立って、浩隆は時間を気にしている。
「んじゃ1430(ひとよんさんまる)によこちゅうね」とだけ言って明海は電話を切ってしまったので、待ち合わせ時刻に5分ほど遅れた浩隆としては、じつは少々心細いのだ。
「よこすかちゅうおう」を指して「よこちゅう」と言っていたのだろうとは思う。ところがこれが「よこはまちゅうかがい」とか、まさかないとは思うが「よこたちゅうおうしれいぶ」とかのことだったとすると、大惨事になりかねない。
怒り狂った明海は虎と同じだ。
浩隆の覚えている明海は男子児童十数名を麾下に従える超実力派たかびー娘であり、それがどれほどの暴れっぷりだったかと聞かれたときには、浩隆は汐小生御用達の鬼女明海伝説を繙くことにしている。
たとえば、横須賀で過ごした最後の夏休み明けの朝学活、鬼の形相をした明海は逃げ惑うクラスの男子を「どこに○○○○おとしてきたコノヤロー!」と面罵しながら金的蹴りを放ってまわった。当時明海がクラスの落とし物係の役職にあったことから、この事件はのちに「4ー2大事な落とし物の変」と命名され、明海伝説の一角として汐小史にその名を刻んでいる。
明海のその本質がいまも変わっていないとすれば、集合地点を間違えでもした暁には回し蹴りの一二発は覚悟しておく必要がある。
いや、ほんとうはろくに説明もしてくれなかったあっちが悪いはずなのだけれど。
そわそわとあたりを見回してみても、それらしき人影はいまのところ見当たらない。
そもそも日曜日だというのに普段着で出歩いているひとがいやに少ない。町は活気に溢れているが、どこかすべてがきりきりと拍子を合わせて進んでいるような息苦しさが感じられる。
横須賀は、浩隆の住んでいたころと、何もかも変わってしまっていた。
どう変わったのか。
たとえば、開けた駅前広場はサッカー場ほどもあって、無数の車線が入り乱れている。
たとえば、その上をタイヤひとつで人ひとりぺしゃんこにできそうな軍用トラックがひっきりなしに行き来している。
たとえば、ばかみたいな広さのロータリーの中心にはふたつのヘリポート(サークル・エイチ)が横並びに据えられていて、本物のマーシャラーが慣れた身振りで輸送ヘリを離着陸させている。両足を肩幅に開いて、ばんざーい(誘導を開始する)、大の字(降下せよ)、両
腕ぱたぱた(降下せよ)、そして正面でクロス(着陸せよ)。
もうここは横須賀ではなくヨコスカなのだ。ここでは、規律と命令が町を支配している。
駅舎正面の庇には巨大な錨のモニュメントが据えられていた。
中央に地球儀を象った錨、横須賀自治区を治める統合海軍(J.N.)の紋章だ。
地球儀を桜の花に差し替えればそのまま海上自衛隊のシンボルマークになるのは、統合軍組成のとき、実権を握ることになった米軍がエンリョしたためといわれる。そういえば海上自衛隊といえば明海の将来の夢だった。噂では明海は高校を卒業して防衛大に進学したはずだ。
浩隆は、7年ぶりの幼なじみがどうなってしまっているのか、楽しみだけれどようよう恐ろしいようでもあった。
でかい地球儀を睨んで、鹿爪らしく腕を組む。
鬼が出るか蛇が出るか。
と、考え込んでいると、突然衝撃が後頭部を襲った。
むちゃくちゃな音声だった。
「浜本学生!」
やっぱり鬼か、と思わず首を竦めて、浩隆は恐る恐る振り向いた。
鬼ではなかった。蛇でもなかった。
4羽の燕がそこにいた。
赤ネクタイの映える肩章つき白ブラウスに濡れ羽色のタイトスカート。制帽は純白の日覆いを天辺に両翼を跳ね上げた黒の庇が金モールの帽章と階級線を左右から支えている。
士官候補生の夏服に身を包んだ女性が大小四人、巨大なロータリーと横須賀の海を背景に、軽く踏み開いた両足をぴんとのばして、背筋を張った休めの姿勢で横一列に列んでいた。
向かって左端のいっとう背が低い女の子が目を引いた。ひとりだけ、でかでかと「小隊学生長」と書いた腕章を右腕に嵌めている。あれから背丈は逆転したようだったが、間違いない。
見覚えのある自信満々な笑みを浮かべ、見覚えのない胸回りをし、相変わらず親譲りのえくぼの可愛らしい幸徳明海が、顎をひいて不敵に浩隆のことを見つめていた。
「あ、あけ……」
「ぃぉっけえい!」
また気合い一発。
気迫が浩隆にぶつかった。衣擦れというものは破裂音の一種なのだと生まれて初めて知った。
「第82期学生隊4大隊40中隊401小隊19号室総員4名! 浜本浩隆学生にぃ!」
よく息がつづくもんである。
ややためがあって、
「ぇいれぃっ!」
挙手の礼。
上げた右肘が開かない海軍式の礼だった。
「え、えっと……」
4人はそのまま微動だにしない。浩隆は焦って、見よう見まねで手を挙げた。
防大生式感動の再会、なのだろうか?
しばらくたっても、向こう正面はまだ動かない。
迷彩服の隊列が愛銃に2拍子のラブコールを叫びながら、5人の間を走り去った。
え、いつまで続けるの、これ。
挙げたままの腕が痺れてきて、どうしたものかあわあわしている浩孝に、明海がウインクを寄越した。なにか言いたいことがあるらしい。
明海の口角がぷるぷると震えているのが見えた。
これは、7年前と変わらなければ、吹き出しそうかご立腹かのどっちかで、どっちにしろテンションうなぎ上りの女帝に小突かれて痛い目をみるか、怒り心頭の鉄拳制裁を頂戴するかの瀬戸際の印だった。とにかく、黄信号であることに違いはない。
もういちど瞬きを送った。
明海の口が動く。
「お」「お」「え」。
別に吐きそうという訳ではあるまい。
まともに考えれば、唇を読めということなのだろう。
明海はまたそれを繰り返した。
目つきがだいぶ厳しくなってきている。これはどうやらお怒りのご様子……内心たじろぎながら、浩隆は必死になって考えた。
「お」「お」「え」? 「お」「お」「え」……「お」「ろ」「せ」!
気づいた浩孝があわてて右手を下ろすと、さきほどよりだいぶ音程の低い怒鳴り声で、
「なおれっ 楽にしてよしっ」
やれやれとため息をついた瞬間、グーでおでこを殴られた。
「あいたっ!」
「あほかっ!」
明海と浩隆はそれぞれに声をあげた。
「答礼した側が下ろさなきゃこっちは動けないって、知らないの!?」
知る訳ない。こちとらずぶの民間人である。
再会早々顔を真っ赤にして鼻息荒い明海を、駆け寄ってきた同級生たちがなだめすかす。
まあまあまあ、どうどうどう。
ややあって、少しは落ちついたのか三人が道をあけ、ずいと明海が前へ出た。
前は前でも浩隆の目の前だった。
あらためて顔をつきあわせると、驚いたことに頭一つ分の差がある。見下ろすようだ。
険しい表情で腰に両手をあてたまま、明海は浩隆の足先から頭の天辺までを、冷たい視線で嬲りまわした。
一方の浩隆は、制帽の下からほのかに漂うなんだか脳みその奥の方をくすぐるような香りにノックアウトされかかっているのだが、それを悟られでもしたらまたぞろたいへんな目に遭わされるだろうことは火を見るよりも明らかなので、必死に平静を取り繕っていた。
「あのう、明海さん。な、なにか?」
学生長どのは、盛大にがくっと項垂れ、はあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ととんでもない肺活量のため息を吐き出した。
かと思うと、顔を振り上げ、そのまま大きく息を吸い込み一気呵成にまくしたてた。
「ま、あ、る、で、躾も身だしなみもなってないわね敬礼はまともにできてないしそもそもまだ民間なんだから挙手じゃなくって文民礼でしょーがこれからさきのために言っとくけど気をつけはかかと(圏点)を合わせてつま先の開きが男子60女子55度下ろしたほうの手はぐーに握って手の甲と腕が一直線になるよーにしゃんと張って小指をズボンの線に沿わしてまっすぐ地面に向かって下ろすだいたいなにそのシャツちゃんとアイロンかけてんのしわだらけじゃないスニーカーもきったないしジーパンは穴開いてるし眼鏡は指紋ついてるしだらしないったらありゃしないちゃんと持ってんでしょーねハンカチティッシュメモ帳筆記具出してみーなーさーいーよほら出せさあ出せ出してみろなに笑ってんのどつくぞこのにやけモヤシっ!」
浩隆のニックネームはにやけモヤシに決まったらしい。
にやけモヤシは神妙にズボンのポケットをひっくりかえして、小隊学生長どのに報告した。すみませんもってきてません。
予想とは裏腹に明海の表情が柔らかくなり、こんどはごくごくノーマルなため息を漏らした。
目を逸らして、なにかつぶやいたようだった。
浩隆が聞き返す前に視線が戻り、
「まあ、近況としちゃあこんなような生活を送ってるわ。怒鳴って怒鳴られて。2学年に上がったからシゴキの嵐からは解放されたけどね」
あのおっかない応酬は、やっぱり通過儀礼の類だったのだ。
もうだいじょうぶだろうと判断し、浩隆はポケットの裏地をもとに戻した。
「ひさしぶりね。元気そうで、っていうのとはちょっとちがうのか。変わりないようでなにより。でもあたしより身長伸びたのは許さない。とりあえず土下座しなさい」
あいもかわらず無茶苦茶だ。
「そっちもすぐわかったよ。ほんと変わってないね」
「ねえ話聞いてた? できるなら今すぐ縮め。でなきゃどっかの骨削ってでも縮めてやるわ」
「それにしてもあれが毎日って、防大ってのは恐ろしい学校だね」
「……本気だったらあんなんじゃすまねーわよ。あれは挨拶代わりのおままごと。ま、それは置いといて、まずはそのへんの茶店にでも入りましょ。学生舎は準備がまだだろうし、この子たちも」
三人娘のほうを顎で差し示した。
「ちゃんと紹介したいしね」
仲良く集まったツバメたちは、示し合わせたように同時にぺこりとお辞儀する。
「はじめまして」
打ち合わせてあったかのうような見事な三重唱だった。
会釈を返して、浩隆は特大キャリーの取っ手を摑んだ。いくら鍛えられているとはいえ、まさか女の子に荷物を持ってもらうわけにはいかない。
こっち、と言って明海が先陣を切ったのでついて行く。
三人娘は浩隆の後からてくてくと歩いてきた。道路脇のショーウィンドウに目をやると殿を守る彼女たちが映っている。不思議なことに、合図もないのに歩調がぴったり揃っている。よほど仲がいいのだろうか。
髪型は、分かるかぎりでベリーショートとボブと前髪ぱっつん。そういえば明海は昔と変わらず後ろでまとめたお団子だったと思いながら、さりげなく三人の観察を続ける。制服がみんな同じだからか特徴が摑みづらい。
「ああ、それからね」
明海の声に遮られ、諦めて正面を向いた。
見慣れたお団子がきびきびと二拍子で上下している。
きびだんご、とは言うまい。
「常識としてハンカチとティッシュぐらいはふだんから持ち歩け。それと……」
たまに年上ぶったことを言うのも変わっていないようだった。
「それとなに?」
肩越しに差し上げた人差し指がちょいちょいと動く。
こっちゃ来う。
歩調を早めて横にならんだ。
「一回しか言わないからよく聞いて」
「聞いております、学生長どの」
「黙れ」
「ごめん」
「うん」
横目で見ると、明海は目を合わさぬよう真っすぐ向いて、心なしか頬を赤らめているようだ。
三人娘との距離は開いたまま。声を落とせばないしょのはなし(圏点)が聞こえてしまう心配はまずない。
言いだしづらそうな不思議な緊張感が伝染してきて、浩隆も身構える。
「……うん?」
「それと……」
「……うん」
ややあって。
「鼻毛出てる。バカ」
え?




