0001 BARCAP 要線戦闘海中哨戒(3)
一行に後れること1ブロック、全身靴クリームで磨き上げたかのように黒光りする大男がひとり、可能な限り身を縮こませて電柱の陰に隠れている。
どうみても無理のある身の潜ませ方だったが、やっている本人は真剣そのものだ。
ボブだった。
ドラム缶のような尻の真後ろには近所の茶虎が座り込み、好奇心で尻尾をくねらせている。
5人が角を折れるとボブは何食わぬ顔で往来に姿を晒し、人気のない横町の真ん中で仁王立ちになった。何に納得したのかひとり軽くうなずき、ぬるりと右足を踏み出して歩を進める。
歩きながら尻ポケットに手を突っ込んだ。出てきたのは京急線で見せたBlackBerryではなく、ちくわほどの大きさをした銀に輝くスティックだった。ペンでもノックするように親指を動かすと馬蹄型に展開する。
浩隆の端末に良く似ている。
ぎこちない多角形の節々が、カラフルなLED光を発している。スキンヘッドに装着すると、肉厚の地肌にテンプルが食い込み、赫赫とした太陽のもと、濃厚な油滴が滲み出る。
「司令部、こちらジュゴン・ワン。パッケージは無事エリア外へ脱出。周辺クリア。追加の情報支援を要請する。位置:シオカゼストリート北端」
浩隆たちの消えた角まで来た。ブロック塀の途切れ際で立ち止まる。
「……了解。作戦はビクニ・ワンに引き継ぎ、帰艦する」
カーブミラーを見上げて、つるりと額を撫でた。
いつのまにか塀に登っていた茶虎が乗り出すようにしてボブの砲丸頭を覗き込む。気付いたボブがニカッと笑う。前歯の反射光に反応して、猫の瞳孔がきゅっと絞られる。
ボブは茶虎と目を合わせたまま右手でヘッドセットをいじった。
「聞いたなボーイズ。ミッション完了だ、お疲れさん。休みのところ悪かったな。いっちょ「モービィ・ディック」で一杯ひっかけて帰るとするか。今日のところは上陸祝いで俺持ちってことにしといてやる。参加する野郎は?」
線路を跨いだ内陸側には昔ながらの街並が残っていた。
その中の老舗のひとつ、潜水艦カフェ「笑うノコギリ鮫」の化粧室のハッチ扉から、なにくわぬ顔をした浩隆がたったいま出てきたところである。
途中、コンビニに立ち寄る言い訳が「ちょっとトイレ」しかとっさに思い浮かばなかったのはどう考えても失敗だった。気づかれぬようハサミを入手したはいいものの、それからいくばくもないうちに浩隆がまた雉打ちに出かけたため、あちらの方の病いを抱えているものとトリオに思われた可能性がひじょうに高い。
が、背に腹は代えられない。最悪の場合、第一印象が「鼻毛のひと」であるよりは「病気でトイレが近いひと」のほうがいくぶんマシであろう。たぶん。
雰囲気づくりのためなのか、ピコーンピコーンと潜水艦映画でおなじみの探信音がときおり響く。小物から内装まで店長がこだわり抜いた潜水艦カフェは、明海によれば業界で相当名を馳せているらしい。
水密扉スタイルの出入り口を潜ると、店内は奥に向かって細長く延びている。壁も天井も、ものものしい鉄板やら、バルブ、ダクトのたぐいで埋まり、床は工事現場で見るような縞鋼板に覆われている。明海たちは、入ってすぐのカウンター正面のテーブル席に陣取り、浩隆は買ったばかりのハサミをポケットに忍ばせて、荷物を置くなり奥の便所に直行したのだった。
足音を響かせながら海図模様のテーブルクロスがこぎれいな席まで戻ると、こころなしかまわりの視線がなまあたたかく感じた。
浩隆の席から反時計回りに、右隣の明海、正面にはベリショとボブ、そして左手のお誕生日席にはおかっぱをそれぞれ控え、完全に包囲されている図だ。浩隆が掛けると明海が訊いた。
「飲み物どうする」
「じゃあアメリカンで」
「コーヒー飲めるの。コーヒー牛乳もだめだったくせに」
「明海さん、ぼくのこといくつだと思ってるの」
「あたしのしってるはまもは10才」
お品書きを確認して、うん、とひとり頷く。
奥で卓に布巾をかけている詰め襟に向かって声を張り上げた。
「操舵長!」
詰め襟姿のウェイターは踵を鳴らして直立不動の姿勢をとった。
「ヤヴォール!」
明海はつづける。
「オーダー! エコー1、ホテル1、アルファ2、ブラボー2、チャーリー1、最大深度、方位3−6−0、ヨーソロー!」
眼光鋭く注文を受けた操舵長は、雰囲気たっぷりに復誦する。
「ヤヴォール、艦長殿! エミール1(アインス)、ハインリッヒ1、アントン2(ツヴアイ)、ベルタ2、ケーザー1、最大深度、方位3−6−0、ヨーソロー!」
カウンターに向き直るとそのままもう一発、
「おも〜か〜じ」
こんどはこの店のマスターだろうボーダーTシャツのごま塩オヤジが、挽き器のハンドルに手をあてて、腹に響くダンディボイスで応答した。
「おも〜か〜じ、いっぱ〜い、ヨーソロー!」
オヤジはミルの取っ手を右回転に回しはじめる。
ごりごりごりごりごりごりごりごり。
「……なにこれ」
「『お客さまは艦長殿です! 潜水艦カフェ「笑うノコギリ鮫」流カッコイイ注文の出し方』よ。これパンフ。今後のために持ち帰って熟読しときなさい」
店員のなりきりぶりもたいしたものだが、どうやらお客もよく訓練されているようだった。
びっしり文字の詰まったA4のコピーをキャリーの外ポケットへがさごそしまいこむ浩隆を横目に、明海が口火を切った。
「じゃ、あらためて。こいつ、浜本浩隆。小学校んときの幼なじみ。7年前に事故って死にかけて、でもまだ生きてた。ずうっと入院してたけどやっと退院が決まって、なんの因果かうちが面倒見ることになったわけ。あたしらのほうは、髪の短い順に右から、新村、古河、菅野。みんな2学年で室っこの海上要員。それぞれ簡単に自己紹介ね。はい、あんたからあたしぬかして反時計回り」
と浩隆はいきなり指名された。
「……せっかちだなあ。すぐ手が出るところといい、ほんと変わってないよね」
3人は笑ったが、横目で明海に睨まれた。浩隆にだけ見えるよう膝の上で雑巾絞り(しばくぞ)の手真似。ほんとうに変わっていない。
「浜本浩隆です。7年間埼玉の山奥で漬物にされてました。薬漬けです。食べてもきっと美味しくないです。横須賀の町が様変わりしててびっくりしてます。死なないように頑張ります。今日は明海だけだと思っていたら、みなさん集まってもらっちゃって、ありがとうございます。よろしくお願いします」
よし、とでもいわんばかりに明海が頷く。
ベリーショートの新村に鉢が回った。
「きょうは隊長がおさななじみ(圏点)を迎えにいくと聞いたので興味本位でついてきました長野県出身新村あたりこ。中心と書いてあたりこ。校友会は水泳部。人間文化学科。よろしく」
背が高く目つきのするどいあたりこが肘をついて斜めに腰掛ける姿は宝塚歌劇の上をゆく男らしさを漂わせていた。凹凸が少ない水泳向きの体型もそう見える理由のひとつかもしれない。
「なにさ?」
「いえ、なんでも。よろしくお願いします」
その隣で真っすぐ腕が上がった。
自然なウェーブを描く癖っ毛が初々しい、ボブカットの古河だ。
「古いにさんずいの河でこが、作る一文字でさく、古河作です」
満面の笑みが薄暗い店内でとりわけ輝いて見える。
元気いっぱいといった感じだった。
「学科はにくたいかんけい学科です!」
耳を疑った。
「よしなよ。そのノリはうちの男どもぐらいにしか通用しないって」とあきれ顔の新村。
古河は、あれーうけると思ったんだけどなーと眉を八の字にしてみせる。
「ほんとうは国際関係学科だよー。出身は福井県、特技は前方宙返り。とうぜん校友会は体操部です。銃剣落っことして太腿にさっくりやっちゃってから、さくりんって呼ばれてます。でさ、いきなり聞きにくいこと聞くけどー」
浩隆は思った。
あれ、この子もしかして空気読めない?
聞きにくいことは極力聞かないで欲しいなあという表情を精一杯つくってみせた浩隆だったが、効果の程は――。
「浜本くんはなに、そういう病気なの? 病気でトイレが近いひとなの? 尿切れが悪いの? どうして眼鏡が緑色なの? トイレとなんか関係あるの?」
まるでだめだった。さくりんおそるべし。
このままでは今後「病気でトイレが近いひと」というイメージをひきずりつづけることになってしまう。顔をひきつらせた浩隆がどうにか言い繕おうとしていると、頼もしいことに明海が支援に打って出た。
「そうそ。そーゆービョーキなの。そっとしといてやって」
第一印象丸、あえなく轟沈。それも味方の誤射で。
「レンズが緑なのはGPS連動の最新鋭トイレレーダーが搭載してあるからよ」
しかも追い打ちとは。瞬間、浩隆は明海の口角がにやりと歪むのを見逃さなかった。
根にもつタイプじゃなかったはずなのに……。
「ほんとーう!? うっわあ、おもしろ、じゃなかった、若いのにたいへんだねえ。」
さっくりいただきました。心の深い所へ。
「その辺にしときなよ。切り裂きサック(圏点)の被害者はあたしひとりでじゅうぶんだって」
あちゃあ。
「いまでも思い出すよ、あれ。血溜まりになって、ほんとに真っ赤で……あたし海上要員で水泳部だけど、入学早々自分の血の海で泳ぐことになるとは思ってなかった……」
「だから悪かったってー。だいたいあれはちょっとしたミスだったんだし、その呼び方はやめて欲しいかなあ。わざとやったみたいじゃん。ねえ、だれだって失敗することぐらいあるよね、浜本くん?」
え、ぼく? この会話でぼくにどうしろっていうの?
フラッシュバックでも起こしたのか、新村は頭を抱えて「血の海……血の河……血の池地獄……」と憑かれたようにつぶやき続けている。
見かねたおかっぱ娘が涼しい顔で一言。
「切り裂きサックとよく中る子では相性が良すぎたのでしょうね。ふたりとも改名でもすればいいのじゃなくて」
浩隆に向き直り、右手を胸に置いた。
微笑みながら玲瓏たる音色で、菅野奄美といいます、よろしくどうぞ。
「リコと同じ人間文化学科で弓道部に所属しています。出身地は名前のとおりですわ。郷土愛溢れる両親だったものですから。でもわたしの場合、それ以外ではそこのふたりと違って名は体を表さなかったみたいね。辛口(圏点)だとよく言われます。自分自身ではよくわからないのですけれど」
まさかのお嬢様口調だった。
「一通り済んだわけね。じゃ本題だけど、あんた明日から自分がどこに通うかわかってる?」
突然の詰問に浩隆は当惑した。
それはこちらで聞くことになっていたのではなかろうか。
とまれ、カーネル院長がちらと口を滑らした学校名を、覚えているかぎりで復誦してみせた。
「えーと、たしか横須賀大学? の人文社会学部公共政策学科……だったと思う、け、ど……?」
言った瞬間、制服姿が一斉に天井を振り仰いだ。
「……あーあ、やっぱりわかってなかったか。もしどこかにいるってんなら神様、このもやしっ子の行く末にありったけのやすらぎを……」
「道理でだいぶのほほんとしてらっしゃるはずですわ。もしや太平洋のように大きな器をお持ちなのかとも思いましたが……」
「ぐずっ、どーじよー、はまもくん、ああ、さよなら……そしてあしたからは遠い世界の子になっちゃうんだね……」
「うんうん、拾った骨はちゃんと責任もって親御さんに届けてやるわ……ってあほか!」
眉を吊り上げて明海が叫んだ。
「なんでいちばん大事なことを話してないのよあのじじい! いい!? あんたが通うのは、統合司令部横須賀学校! 旧防衛大学校(圏点)よ!」
浩隆の頭の中で、カーネル爺さんが四枚のプラカードを掲げてパレードを始めた。
防
衛
大
まる。
停電しろ、秩父あたりまでぜんぶ。と思った。




