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0001 BARCAP  要線戦闘海中哨戒(1)

 車窓越しの遠景にカモメの白い影が飛び始めたら、横須賀特別自治区はもうすぐそこだ。

 JR品川駅から私鉄の京急線に乗り換える。途中、羽田空港や横浜、金沢文庫、八景島といった魅力的な駅名に惑わされてはいけない。横須賀中央駅のごつい駅舎に列車が吸い込まれるまでの一時間弱、硬い座席とボックスシートの相乗りに耐えきれたなら、そこから先は半島南端の三崎口の灯台まで、まるまるぜーんぶ、金城鉄壁で聞こえる横須賀特別自治区(Y.D.K.)が広がっていて、これからおまえはそこで暮らすのだ。

 とカーネルおじさんみたいな院長先生が言っていた。

 夏空猛々しい、原色図鑑の8月である。

「……7年でずいぶん変わったなあ」

 アルミサッシに頬杖をつき、流れゆく町並みを側目で追いながら浩隆はひとりごちた。

 7年前に秩父の奥地に閉じ込められて以来、治療という名の人体実験につきあわされながら浩隆は生きてきた。おかげで時事常識はからきしだ。何より体が大きく成長しているから、思っていた以上に見慣れた光景に変化を感じてしまう。

 吊り革に摑まるという発想ができるようになるまで、三回の乗り換えを要した。

京急線では座れてしまったのでちょっとくやしいような気もしているが、無理して立つのも却って子どもっぽく思われた。それで大人しくボックス席に腰掛けている。

 途中駅から巨大な黒人と相席しているのが、ちょっと怖い。

 ずり落ちた眼鏡を直しつつ、ちらりと車内に目をむける。客層は浩隆の知るころからずいぶんさまがわりしていた。乗客の多くが制服姿なのだ。詰め襟やブレザータイプ、セーラー服も見かける。しかし、ふりふりのプリーツスカートは見当たらない。まばらに見える女性は誰もがパンツかタイトスカートだ。

 それもそのはず、横須賀は5年前から、世界有数の国際軍港都市として急速に発展してきた。

だからセーラーは本家本元、水兵さんのセーラー服だし、視線を巡らせばそこら中が厳めしい肩章、徽章、これ見よがしの勲章の反射する光でちらちらと眩しい。

 そこここから聞こえてくる会話にはいろいろな響きが入り交じっていて、風景だけを日本から借りてきた奇妙な外国のようだった。海自、米海軍はもとより、ロシア海軍にオーストラリア海軍や韓国海軍、昨年やっと北太平洋条約機構(NOPTO)に加盟した人民解放海軍と中華民国海軍など、さまざまな国籍の兵士たちがこの京急線一本に域外への移動を頼っているというのだから、変わり様も頷けた。

 突然、視界の右端に光のかたまりがぽわんと浮かび上がった。省電力モードだった眼鏡が動作(ラン)して、受話器型のアイコンが端末への着信を知らせてくれる。

 この眼鏡は浩隆が病院を離れて生きて行くのに必須の装備品だ。視力補正機能の他に実験的な拡張現実(AR)装置を搭載しており、視界の左端ではじぶんの身体状況についての種々の数値指標が、右端ではその他の情報が常時投影されている。

 異例の退院が許されたのも、ひとつはこの眼鏡で間断なく病院側に体調をモニタリングさせるという条件を飲んだからなのだ。

 回線を開こうと、ポケットをまさぐって杼型の端末を取り出す。鈍色をしたそれの先端部分にぷくりと突き出たツメを押し込んで通信機型に展開させた。関節ごとのバネ仕掛けが働いて、びょんとヘッドセットの形に開き、つむじを跨がせて両耳にわたす。

 さて誰からの電話だろう。向こうで待ちあわせている明海か、それとも両親か。

「もしもし」

 これだけ国際色豊かな車内で、日本標準のローカルマナーもあるまい。浩隆は堂々と声に出して応答した。

 男とも女ともつかない弱々しい掠れ声がイヤホンから聞こえてきた。

「こんにちは、ヒーローくんですか。こちら、ハラショーです。どうぞ」

 ゆったりしていて、にもかかわらず、でかかったことばを毎度毎度のど元から無理して押し出しているような、奇妙な節付けが特徴的な口調だった。名乗られるまでもなく、入院仲間のハラショーとわかる。

「浩隆です。突然どうしたの、ハラショー」

 そのまましばらく待つが返事はない。

 決して悪いやつではないのだが、ハラショーにはこういう融通のきかないところがある。しかたなく浩隆は言い直した。

「ヒーロー(圏点)です。どうしたの。どうぞ(圏点)」

「そろそろ横須賀に入る頃と思って、連絡しました。どうぞ」

 視界の右端にちらりと目をやる。午後2時を回ったところだった。

「っていうかそっちはだいじょうぶなの、体調。手術は4時からなんでしょ。どうぞ」

「問題、ありません。万全の態勢で臨みます。ヒーローの準備は、万全ですか。どうぞ」

「ぼくの準備ってなんの…」

 言いかけたところで列車が急減速した。不意をつかれた浩隆は正面に倒れこみ、丸太のような腕に受け止められた。無意識に首を竦め、ずれたヘッドセットを直しつつおずおずと会釈すると、サングラスつきの砲弾がいやに白い歯列をみせてニカッと笑った。

 気持ちを落ちつかせて、

「ごめん、ちょっと揺れた。で、なんの準備のこと。どうぞ」

「新生活の準備です。どうぞ」

「新生活だなんて大げさな。ええっと、学校も決まってるし、お医者の紹介状も持ったし、パスポートも鞄に入ってる」

 院長先生によればすべてしっかり手続きしてあるとのことだった。ほっほっほ心配せんでいいんだよ横須賀についたら明海ちゃんがちゃあんといろいろ教えてくれることになっとるからほっほっほ。

 プレッシャーになるからと、あまり詳しいことは教えてもらっていないのだが、ハラショーに心配はかけたくない。

「特に心配することはないよ。そもそも地元だしね。それより、ハラショー、この電話どこからかけてるの。まさか検査を抜け出してるんじゃあるまいね。どうぞ」

 電話口は案の定沈黙した。

 わかりやすくてたいへん結構な性格だと浩隆は昔から思っている。

「ハラショーどうぞ。応答願いますどうぞ。検査はちゃんと受けてくださいどうぞー」

「どうぞどうぞうるさいです。どうぞ」

「いやいや、電話の前に検査をどうぞ」

「検査を抜け出してはい、いません。ち、ちょっと電話休憩をとっただけです。どうぞ」

 焦って話すと吃りが出るのもハラショーらしさ。

「し、手術の前に電話したかったのです。ヒーローならわかるでしょう。どうぞ!」

 ハラショーと浩隆は、5年生存率2パーセントという地獄の戦場をくぐり抜けた地球上に数少ない生き残り(サンプル)で、同期で入院して以来闘病生活をともにしてきた旧知の戦友だ。 言われなくてもハラショーの考えぐらいわかる。あの手術にまた臨むのが恐ろしいのだ。

 しかし、だからこそ、この縁起でもない電話は早々に切り上げるべきだった。立場が反対なら、ハラショーもそうするだろう。

 こんどは車掌がしっかり仕事をした。まあもおなあくう、あんじんづかあ、We'll soon 'rrive at Anjinduka。

「あーごめん、ハラショー。そろそろ管理区域に入っちゃう。ふつうの電話は繋がらなくなっちゃうらしいから、またこんど。どうぞ」

 ハラショーはまだ不満げにぶつぶつとこぼしている。

 と、受話器の向こうで頓狂な声が上がった。

 にわかに電話口が騒々しくなって、おのれ、とか、卑怯な、とか、おとなしくしろ、といったような物騒なやりとりが続き、くぐもった音声が入り乱れて乱闘のさまを伝えてきた。

 最後に叫び声がフェードアウトしつつ、

「は、はなせえぇい! これはお、横暴ですよお! また電話しますからあどおぞおおぉ」

 看護師たちに検査室へ連行されるハラショーの姿が目に浮かぶようだった。

 両手を会わせて、南無南無。

 院内の公衆電話からかけていたのか、落ちた受話器を誰かが持ち上げたのだろう微かな風切音がして、それからマイクが別人の声を拾った。

「浜本くんだね。移動中にすまなかった」

 野太く響くだみ声は獣のうなり声のようだった。話者の体格がそれだけで知れる。

「ああ、崎山先生だったんですか。いいんです、ぼくもよくやりましたから」

「そうだったね。だが君のほうがはるかに捕まえやすかった」

 獣が鼻で笑った。突風のような轟音がした。

「あの子のことは任せておきなさい。何度も言うが、君は君のことに集中するんだ。ほんとうはまだ退院していいような身ではないんだからね」

「わかっています。眼鏡、ありがとうございました。高価なものと聞きました」

「気にしないでいい。金は私の財布から出ているわけじゃあない」

「それでも、故郷に帰れるほどに回復できたのは先生のおかげです」

「ほんとうはまだ帰したくないと言ったはずだよ。その眼鏡はふだんの症状をかなり押さえてはくれるが、根本的な治療に関しては全くの無力だ。もちろんわかっているだろうが」

「ええ」

「以前にも言ったとおり、無理にでも君を退院させろというのは、身勝手な連中の身勝手な横車だった。結果として、一度は彼らの無理が通って道理が引っ込んだわけだが、引き換えにきみは無理を通し続けなければならなくなった」

「はい。よくわかっています」

 この医師はじっさい熊とゴリラとを足して2で割ったような容姿をしていて、患者たちの間で密かに「ゴリゴリ」なる愛称で呼びならわされているのだけれど、そのいかつい見かけとは裏腹に職員側では慎重派で通っていた。

 根っからの患者思いなのだ。

「おっしゃるところの無理を通すというののほかに、無理はしません」

 しばらく無言の間があったあと、控えめな咆哮のような相槌があって、じゃあまた、と言って受話器が置かれた。

 不安なのはハラショーだけじゃない。ゴリゴリも、そして認めたくなかっただけで、ぼく自身も不安なんだ、としばらくたってから浩隆は気がついた。

 忘れもしない小学4年生の運動会。

 あの時、逃げ遅れた浩隆が事故に巻き込まれたのは不幸としか言いようがないし、そしてその事故を生き延びることができたのはまさしく不幸中の幸いだった。浩隆は避難先のシェルターからそのまま陸自のヘリで山奥の病院へと搬送され、爾来、病いという彼らの置き土産と戦いつづけてきたのだ。だから、いままで浩隆にとって、病いも戦争も地続きになったひとつの苦難だった。

 でも、これまでひとつだったものが、これからはふたつになる。

 横須賀は水際の最前線だ。病いと闘いながら、敵とも戦わなければならない。それはとても骨が折れるうえに恐ろしいことなのだと、遅まきながら悟った。

 ため息をついて天井を見上げる。

 在日米軍の出した意見広告が網棚越しに見えた。さかさまの記章が目に映って、富士山の絵柄をまたぐように「OMNIA FIERI POTEST」と力強いモットーが読める。

 OMNIA FIERI POTEST(なんだってできる)……ほんとうにそうだったなら、横須賀は無理をしてまで多国籍軍港になる必要なんかなかったし、浩隆やハラショーが入院するようなこともなかったはずだった。それでもまだ、この戦争がいつか終わるはずだと誰もが信じている。まるで、無謀な一時退院がどうにかなると無根拠に信じ込んでいた浩隆のように。

 しかし、記章のそのモットーは、不思議と浩隆を元気づけもした。

 及び腰になってもしかたがない。向こうには7年ぶりの明海も待っているのだし、やれるところまでやってみよう、と、浩隆は力技でじぶんを納得させた。OMNIA FIERI POTEST(なんだってできる)。

 頷いて、ヘッドセットをしまおうと頭に手を伸ばしたら、ラインを切り替えるときのじりっというノイズが車内に走った。

 なにごとだろう。

 歌詠み車掌はなにも言わない。顔を顰めてあたりを見回すと、いつの間にかほかの乗客たちも黙り込んでいた。

 たたん、たたん、と枕木の揺れる音だけがいやに大きく響く。

 かれらはみな天井の一点を睨んでいた。車内放送のスピーカだ。

 知らず知らず、浩隆も次の放送を逃すまいと耳をすます。

 ホワイトノイズが潮位を上げて、スピーカから電子音声が流れ出た。

「ただいまより、この電車は横須賀特別自治区電波管理区域に入ります。一般の携帯電話をご使用のかたは、通話通信機能が制限されますのでご了承ください。達する。情報保全に関する統制第2号により、以後登録外の電波通信機器の使用を禁じる。This train is now entering the Joint Radio Control Area of Yokosuka District. Please note that regular cellular phones are disabled by the joint force's intelligence protection program. Notice. Due to the counter intelligence control 2, use of any unregistered radio communication devices are prohibited beyond this point.」

 放送が終わり、そして――

 イヤフォンがショートしたと思った。

 割れんばかりのけたたましい警報音を端末が叫ぶ。内耳で爆ぜまわるイヤフォンを思わずヘッドセットごと払いのけた。

 何事もなかったかのように、制服組は各々じぶんの端末の警報を解除している。浩隆はどうすればいいのか検討もつかず、床で絶叫し続ける端末をつまみ上げ、少しでも音量を押さえようとマイク部分を右手に握りみ、助けを求めて視線を浮かすと、しまったと思うより前に、にやりと笑ってこちらを見下ろすサングラス面と目が合った。

 にこやかなのにやっぱり怖い海豹(あざらし)めいた黒人水兵が言った。

 ――よう、あんた新入りかい。ラジオショックも知らないやつは新入りぐらいのもんだ。止めてやるから貸してみな。なんだあ、こりゃあ。えらくへんてこな端末だな、おい。早いとこネットワークを切らねえと、やっこさんの回線が焼き切れちまうよ。電源どこだ? これか。おうし、こんなもんだ。おいおいしっかりしなよ、もうすぐそこだぜ、あの町は。おっと見えてきたな。あれだよ、あれ。見えるだろ。俺のフネのマストさ、USSジョージ・ワシントンだ。さあて新入り、おったまげるなよ。これが人類の防波堤、極東最大の防人の町、空母打撃群(CSG)のトルトゥーガ――

 山あいのカーブを電車が抜ける。

 空がひらける。

 海がみえた。

 大艦隊。

――ヨコスカへ、ようこそ。


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