■ 第八章:私の目的、そして宿命
私の目的は、あまりにも明確だった。
いや、あまりにも明確すぎたからこそ、当時の私は視野を狭め、肝心な決定的なタイミングを致命的に逃すという最悪のアクシデントを招いてしまったのだろう。人生の終わり際、走馬灯のように脳裏を掠めたのは、そのあまりに鮮烈で、そして取り返しのつかない「遅すぎた後悔」だった。
それから私は、気の遠くなるような数十年という時間をかけて、失ったはずの「欲しかったもの」の残影を探し続けた。
だが、時の流れの中で私の手元に転がり込んできたのは、かつて求めていたものとは輝きも色合いもまったく異なる、しかし客観的に見れば十分に価値のある美しい宝石たちだった。麗しい容姿を持つ者、知性に溢れ、なんとか対等に議論できる者、あるいは人生の荒波を共に渡り歩いてくれた温かな伴侶たち。
それらの人々を、私は愛していた。それは嘘偽りのない真実だ。
「ああ、これとは違う。私の求めていた本質はこれではないのにな」と思いながらも、その手触りや温もりを確かめ、生活を共にし、確かに彼女たちを愛していたのは間違いない。孤独を埋めるためではなく、そこに確かな絆があったからこそ、何十年もの日々を並んで歩くことができた。
――しかし、その「愛」には、常に一つの影がつきまとっていた。
私は、彼女たちと共にいるときでさえ、どこかで「これは本物ではない」という冷めた観察者を自分の中に飼っていた。彼女たちが笑うとき、私はその笑顔の美しさを認めながらも、同時に「あの少女の笑顔は、もっと違った」と心の中で比較していた。彼女たちが泣くとき、私はその涙に寄り添いながらも、同時に「あの少女は、きっと泣かないだろう」と想像していた。
私は、彼女たちと愛し合いながら、常に彼女を探していた。
彼女たちは、私にとっての「すれ違った彼女の代わり」だった。彼女たちは、私が彼女を忘れるための、あるいは彼女の不在を埋めるための、美しい代用品だった。そして、それは彼女たちに対してあまりに失礼で、残酷なことだったと、今なら分かる。
私は、彼女たちを愛した。しかし、その愛は、常に「彼女への愛」の影に覆われていた。私が彼女たちに注いだ愛情のすべては、実は彼女に注ぐべきだった愛情の、余剰だったのだ。
どれほど素晴らしい宝石を手に入れようとも、心の奥底にある乾きが癒やされることはなかった。
代わりのもので満たそうとするたびに、かつての原初にある「あの欠落」だけが、冷たく、そして鋭く疼き続けた。
――そして今。その「本物の宝石」が、空間的にも時間的にも、信じられないほどの近さにあるのだ。
彼女と初めて出会ったのは、小学三年生の時だった。
通っていた学校の統廃合に伴い、私が別の新しく作られた、校庭が完成していない小学校へと移った、あの転校の日のことだ。最新のコンクリート作りの校舎、慣れない教室の匂い、そして教壇の端から私を見下ろした担任の教師の声。そのすべてが退屈なノイズに満ちていた空間の中で、一瞬にして私の世界の全色彩を奪い去った存在があった。
恐らく、あれが世間で言うところの「一目惚れ」という現象だったのだろう。
だが、一般的な甘ったるい恋愛感情とは何かが違っていた。彼女が放っていたのは、もっと異質で、冷ややかで、周囲から完全に孤立しながらも独自の光を放つ、妙な雰囲気だった。
鋭く、どこか怯えたような、しかし決して折れない頑なな目つき。若干の暗さを纏い、自分から進んで他者と関わろうとしない、排他的ですらある性格。
今にして思えば、彼女は私に本質的に似ていたのだと思う。
周囲の子供たちが群れをなし、くだらない冗談で笑い合い、集団の中で同調圧力を確かめ合っているその外側で、たった一人で世界を冷めた眼差しで見つめていたあの頃の私と。彼女の佇まいは、鏡に映したもう一人の自分のようだった。
ただ、決定的な違いがあった。
私は、処世術として「友人が多いふり」をすることができた。愛想を使い、集団の輪に溶け込み、周囲の期待に応える優等生を演じるだけの狡猾さと適応力があったからだ。
彼女にも、表面上の友人は間違いなくいたはずだ。同じクラスの女子たちと話すこともあれば、授業の課題を一緒にこなすこともあっただろう。しかし、不思議なことに、私の記憶のデータベースをどれほど深く探っても、「彼女が友人たちと心から無邪気に笑い合い、楽しそうに遊んでいる場面」というものが、どうしても一件たりとも引き出せなかった。
彼女の記憶の背景にあるのは、いつだって切り取られた絵画のように静まり返った風景と、誰にも踏み込ませない孤独な影だけだった。
それでも、私は思った。
――綺麗だ、彼女こそが美しいのだと。
誰の目にも触れない場所でひっそりと咲く野花のようでありながら、気高く、恐ろしいほどの強さを秘めたその横顔を、私は誰よりも美しいと思ってしまった。
小学生のガキ特有のませた勘違いだったのかもしれない。あるいは、もっと精神的な磁石の引き合いのようなものだったのかもしれない。
だが、確かにそれが私の人生における初めての、そして唯一の「初恋」だったのだろう。
そうでなければ、なぜこれほどまでの歳月が流れ、別の人生を歩み、数々の美しい宝石たちに囲まれながらも、私の魂はいつも彼女の残した影の軌跡を無意識に追い続けていたのか。別の女性たちと家庭を持ち、平穏な日常を送りながらも、どこかで常に「何かが足りない」「これは違う」という微かな不満を抱え続け、そして最後には誰にも看取られることなく、一人きりで静かに死を迎えることになったのか。
その理由が、今なら痛いほどよく分かる。
――私は、彼女を愛しているのではない。彼女という「欠落として、あるいは『同じ存在』として」を愛しているのだ。
彼女は、私の人生に最初で最後に刻まれた「完成されなかった物語」だ。私はその物語を、何十年もの間、頭の中で書き直し続けてきた。彼女がこう言ったら、ああ返そう。彼女がこう動いたら、こう動こう。私は、現実の彼女ではなく、私が作り上げた彼女と、何十年も対話し続けてきた。
そして今、現実の彼女が、私の目の前にいる。
彼女は、私が作り上げた彼女とは、少し違うかもしれない。いや、きっと違う。彼女は生きている。成長する。変わる。私の物語の中の彼女は、永遠に中学三年生のまま止まっていた。そしてその姿を補完するかのように自分と同年代の彼女の姿を脳内で作り上げてきたのだ。
しかし、現実の彼女は、今、中学校に通い、体操部に所属し、誰かと話し、誰かと笑い、そして、おそらく誰かに恋をするかもしれない。
――その事実が、私を狂わせる。
彼女が誰かに恋をする。その想像だけで、私の胸は焼け付くように痛む。彼女が誰かの手を握る。彼女が誰かに笑顔を向ける。彼女が誰かと共に歩く。そのすべてが、私には耐えられない。
――しかし、それは「愛」なのか?
私は、彼女の幸せを願っているのか? それとも、彼女の幸せが「私との関係」に限定されていることを願っているのか?
――後者だ。私は、後者を願っている。
私は、彼女が私以外の誰かと幸せになることを、許せないのだろう。彼女が私以外の誰かを愛することを、認められない。彼女が私以外の誰かに笑顔を向けることを、想像するだけで、私は自分の中の何かが壊れるのを感じる。
これは、愛ではない。愛は、相手の幸せを願うものだ。これは、所有欲だ。執着だ。狂気だ。
――しかし、それでも、私はこの感情を手放せない。
過去の人生で、私は恋が愛に変わる瞬間を何度も経験した。愛とは、相手を信じることだ。相手の自由を認めることだ。相手が自分を選ばなくても、それでも相手の幸せを願うことだ。
私は、その愛の定義を知っている。そして、その定義に照らしたとき、私の彼女への感情は「愛」ではない。それは、愛の形をした何か別のものだ。
――しかし、その「何か別のもの」が、私の人生のすべてを駆動している。
私は、この感情なしでは、生きていけない。彼女への執着なしでは、私はただの空っぽの老人だ。数十年の人生を生き、多くの女性と愛し合い、しかしそのすべてが彼女への執着の影に覆われていた、哀れな老人。
――だから、私は、この感情を「愛」と呼ぶことにした。
たとえそれが、本当の愛ではなく、狂気の執着であったとしても。私にとっては、それが愛なのだ。私にとっては、彼女こそが「たったひとつのほしいもの」なのだ。それでいい。それで十分だ。
過去の人生の私は、知らなかったのだ。
自分がどれほど彼女を求めていたのかを。どれほどあの歪で美しい魂と並んで歩きたかったのかを。失って初めてその価値に気づき、取り戻そうともがいた時には、すでに時は手遅れだったという残酷な真実を。
――今度は、違う。
私は、彼女を失わない。彼女を逃がさない。彼女を、私だけのものにする。そのために、私はすべてを賭ける。司法試験も、資産形成も、震災対策も、すべてはそのための手段だ。
――そして、もしそれでも彼女が私を選ばなかったとしても、私は彼女を手放せないだろう。
なぜなら、私は狂人だからだ。狂人であることを自覚している狂人は、もはや戻れない。彼女が私を拒絶したとしても、私は彼女を想い続ける。彼女が他の誰かを愛したとしても、私は彼女を想い続ける。彼女が死ぬまで、いや、死んだ後も、私は彼女を想い続ける。
これが、私の愛の形だ。歪で、醜く、狂気的で、しかし唯一無二の愛だ。
「待っていなさい。今度は、絶対に君を手に入れてみせるからね」
冷徹な決意が、胸の奥底で静かに、しかし確実な熱を持って燃え盛る。
準備は整いつつある。あとは、時間を味方につけて、あの「たった一つのほしいもの」へと至るパズルのピースを、一つ残らず正確に埋めていくだけだった。
――そして、もしそのパズルが完成したとき、私は彼女の前に立ち、すべてを告白するだろう。
私は、彼女を何十年も想い続けてきたこと。私は、彼女のためにこの人生を生き直していること。私は、彼女が私の「たった一つのほしいもの」であること。
――その告白が、彼女を幸せにするか、それとも不幸にするか。それは、私には分からない。
しかし、それでも私は告白する。なぜなら、それが私の宿命だから。彼女を愛し、彼女を求め、彼女を手に入れる。それが、私という人間の、唯一の生きる意味だから。




