■第二十一章:「極上の日々、彼女のわがまま」
季節は巡り、彼女は高校二年生になっていた。
私もまた、いくつかの「完成」を手にしていた。大学の早期卒業プログラムを終え、私は正式に学士号を取得した。司法試験には合格している。弁護士としての登録を済ませ、実務の経験もある程度は積んでいた。株式投資と楽曲著作権収入は、私の資産をさらに増やし、西神中央の高台に建つ家は、ついに完全な姿を現した。
――私は、すべてを手に入れた。あとは、彼女だけだった。
しかし、その「あとは彼女だけ」という時間が、私にとっては想像を超える幸福であり、難問だった。
彼女との関係は、順調に深まっていた。電話は週に数回、デートは月に二度ほど。彼女の両親も、私を「研究生」として認めてくれていた。彼女の母親は、私が訪れるたびに料理を振る舞い、父親も、時折「法律の勉強はどうだ?」と気遣うようになっていた。
――私は、かつての人生で手に入れられなかった「普通の日常」を、手に入れつつあった。
ある日、彼女が言った。
「ねえ、そろそろ、あなたの家も見せてよ。貴方の部屋はどんな部屋なの?」
私は、一瞬、言葉を失った。
どっちだ?実家の方の自室か?見せられない。汚すぎる。
今借りているアパートメントか?膨大な本と書類がある。説明が困難だろう。
しかし、良い機会だからあの家を見せよう。彼女がどう思うか分からないが、いつか見せなければならないのだから。
だが一つ問題がある。私が家を建てたと知ればどうなるのだろうか?分からないが、彼女にだけは真実を知らせておく必要がある。
しかし……予定と少々狂ってしまう。
――西神中央の家。あの震災対策を施した、完璧な要塞。まだ、彼女に見せる時ではない。まだ、彼女にすべてを説明する準備ができていない。
だが、私はうなずいた。
「いいよ……いつにする?」
私は、できるだけ軽い調子を装って、そう返した。しかし、心臓はもう少しで口から飛び出しそうだった。
「今度の日曜日。約束だよ。」
彼女は、そう言って、いたずらっぽい笑顔を見せた。その笑顔は、かつての「影のある少女」とはまったく異なる、無邪気で明るいものだった。
――私は、その笑顔を見るたびに、自分の選択が正しかったと確信する。同時に、その笑顔の裏で、自分が彼女に隠している真実の重みを感じる。
日曜日、私は彼女を西神中央の家へと連れて行った。彼女は、その大きさと美しさに、驚きの声をあげた。
「……すごい。これ、あなたの家なの?実家は引っ越す予定なの?」
「うん。実家は出ることにしてるんだ。まだ、ほとんど家具は入ってないけどね。えーと……これ、俺が建ててもらった家なんだ」
私は、少し早口になりながら説明した。彼女の前で、どうしても饒舌になってしまう自分がいる。
「え!?朝倉君、仕事してるの?でも、こんな家なんてすごく高いんじゃないの?」
彼女は信じられないように言った。当然だ。普通は資産家にしか持てないような家だ。そもそも高校生程度に建てられるような家ではない。
幸い私は宝くじに当選した過去があった。それを使おう。それは百万円なのだが、当選したことに変わりはない。嘘ではないが本当のことでもない、そういうことにする。
「まあ、少し稼いでね。宝くじかな?」
私は、わざと曖昧な言い方で、その質問をかわした。
「へえ、すごいね。年末ジャンボってやつ?すごいね、確か一等前後賞で九千万円?」
彼女は驚嘆したように言うが。
「うん、それを元手に株式投資とか……かな?」
これは正しい。私は株式投資で相当な金額を稼ぎ出していた。未来の知識を使うことに背徳感は有ったのだが、ある程度まではその知識を使うと決めていた。ただし、世界の長者になるつもりは一切ない。必要な金額を稼ぐためのものだ。
しかし彼女は、意味が分からないのか、わかっていて冷静に分析しているのか。
「そうなんだ。すごいね、朝倉君」
とだけ、私の家を見ながら感心したようだった。
思っていた通り、彼女には一般人が持つような物欲は無いようで、それが私には、やはり嬉しかった。
私は、彼女を家の中へと案内した。広いリビング、多くの部屋、半分埋まった書庫、そして――地下へと続く階段。
「……地下? 何があるの?」
彼女の声に、好奇心と少しの緊張が混ざっていた。
「避難設備だよ。災害に備えて、作ってあるんだ。」
私は、その説明で留めた。彼女には、まだ震災のことを話す時ではない。その説明は、後日に譲ることにした。
彼女は、家の中を歩き回り、まるで探検するように、あちこちを覗いていた。その姿が、私は愛おしくてならなかった。
「……ねえ、ここ、本がいっぱいあるね。」
彼女が、蔵書の棚の前で足を止めた。私は、その場所が彼女のために作った書庫であることを、まだ言えなかった。
「……将来の誰かのために作ったんだ。それが君なら嬉しいんだけど」
私は、もう少し踏み込んだ言い方を選んだ。
「誰かのため?私のため?」
「うん。まだ、決めてないけど。君のために、だろうね。」
彼女は、その言葉に、少しだけ首をかしげた。しかし、それ以上は問い詰めなかった。
――彼女は、私にまだ秘密があることを、感じているのかもしれない。しかし、それを追及しない。その距離感が、私にはありがたかった。
その日は、その家でお茶を飲み、夕日を見ながら、他愛もない話をした。彼女は、学校の話、友達の話、将来の夢の話をした。私は、それを聞きながら、ただ「うん」と「そうだね」と相槌を打った。
――それだけで、私は満足だった。
しかし、彼女は時折、わがままを言った。
「ねえ、なんでいつも私の話ばかり聞いてるの? あなたの話も聞かせてよ。」
「……僕の話は、つまらないよ。」
私は、そう言って、苦笑した。実際、彼女に話せるような面白い話など、私には一つもなかった。すべては彼女に至るための計算と準備ばかりだったのだから。
「そんなことないよ。あなた、何考えてるのか、よくわからないけど――でも、なんか、面白い事を考えているんでしょ?」
彼女は、そう言って、笑った。その笑顔が、私には眩しかった。
「……じゃあ、一つだけ言うけど、面白くはないよ?」
私は、誤解されるであろうことすら考えた上で答えることにした。
「僕はね、君のことを、ずっと考えている。」
彼女は、その言葉に、少しだけ赤くなった。
「なにそれ……いつも言ってることじゃない。やっぱり変な人ね。」
「うん、変な人だよ。自覚はしているからね」
私は、そう言って、笑った。その笑いは、心からのものだった。
――私は、かつての人生で、このような瞬間を持ったことがなかった。彼女と、ただ笑い合う。それだけで、私は、十分すぎるほど幸せだった。
しかし、その幸せの裏で、私は冷徹な計算を続けていた。彼女は、私に「変な人」と言う。それは、彼女が私の異質性を感じている証拠だ。彼女は、私が何かを隠していることを、無意識のうちに察知している。
――いつか、その「変な人」という言葉が、別の意味に変わる日が来るかもしれない。
その日が来るまで、私は彼女と共にいる。彼女のわがままを聞き、彼女の笑顔を見て、彼女の存在を感じながら。
「また、来ていいのかな?家具を入れるんでしょ?」
帰り際、彼女が言った。
「いつでも。好きなときに、来たいときに、一緒に来よう」
私は、そう答えた。その言葉は、私の本心だった。この家が彼女の帰ってくる場所になれば、それが私にとっての最高の未来だ。
彼女が去った後、私は家の本棚の前に立ち、彼女が触れた本の背表紙を、そっと撫でた。
――彼女は、まだ知らない。この書庫が、彼女のために作られたことを。この家が、彼女を守るために建てられたことを。私が、彼女のために、すべてを整えることを。
しかし、それでいい。彼女が知らないままでいい。私は、彼女のために、すべてを準備する。いつか、彼女がすべてを知ったとき、その準備が、彼女にとって「愛」であると信じてくれることを願って。
「……彼女は、少しだけ、普通の女性とは違う意味のわがままを言う。しかし、そのわがままが、私には愛おしい。」
私は、そう呟きながら、窓の外の夜景を見つめた。彼女は、今頃、家に着いただろうか。彼女は、今日のことを、どんなふうに思い出しているだろうか。
――私は、そのすべてを、記憶に刻む。彼女の笑顔を。彼女の言葉を。彼女のわがままを。
それが、私の愛の形だ。歪で、醜く、狂気的で、しかし唯一無二の愛だ。




