表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
19/33

■第十九章:初めてのデート、仮面の男

電話を切った翌日から、私は彼女との「次の約束」を考えていた。


「ちょっとだけ話してみてもいい」――その言葉は、私の胸の中で何度も反芻された。完全な承諾ではない。しかし、拒絶でもなかった。彼女は、私という存在に、ほんの少しだけ興味を持ったのだ。


数回の電話のあと、日曜に会える事になった。私は嬉しすぎて、老人の知恵を使い、完全なデートプランを作成しようとしたが、気がついた。

この時代の普通の高校生は行き当たりばったりだ。

待ち合わせで会い、軽く食事に行き、商店を見て回って、予約した店でディナーを行うなどというのはまだ早いだろう。


私は、彼女が安心できる場所を選んだ。駅の近くにある、古びた半地下の喫茶店エドワード。まだ山陽電車の明石駅が高架になっておらず、線路沿いの道路の南側にある店だ。彼女が小学生の頃から両親と通っていたという、その店を。私も前の人生では祖父に連れられて何度も行っていた店だ。彼女がよく通っていた場所、彼女の日常の断片――それらを、私は未来の記憶と彼女の言葉から得た情報で、すでに把握していた。


――それは、あまりにも計算された「狂気じみた執着、だが普通に見える行動」だった。


しかし、私はその計算を、彼女に悟られないようにしなければならなかった。彼女の前では、私は「普通の同級生」でなければならない。弁護士でも、大学生でも、資産家でも、未来を知る狂人でもない。ただ、彼女のことをずっと覚えていた、少し変わった同級生として。


その仮面を、私は完璧に被り続けなければならなかった。


――そうでなければ、彼女はきっと私から逃げるから。


約束の日、私は最寄りの駅の改札口で彼女を待っていた。彼女は、時間通りに現れた。高校の制服ではなく、淡いピンクのカットソーに、ウエストがゆったりめのチノパン、足元はローファー。肩には薄手のカーディガンを羽織っている。という出で立ちだった。彼女の服装の好みも、事前に少しだけ調べてあった。彼女が普段着に何を選ぶのか、何色を好むのか。その一部を、たぶん私は知っている。

対して私は神戸駅から元町駅へと続く、いわゆる「高架下」にあるイカリヤで買った、米軍放出品のカーゴパンツに、同じくドイツ軍のシャツだった。私は少し変わった服装が好きだった。それは高校時代も未来の2026年でも同じだ。

しかし、迷彩柄が一般的になるのはまだ先の話だ。この時代、そんな格好をする高校生は、周囲から浮くこと請け合いだった。


「……お待たせ。」


彼女の声は、電話の時と同じように、少しだけ低く、そしてどこか影を帯びていた。しかし、その口元には、わずかな微笑みが浮かんでいた。


この時代、連絡がしっかり出来ていない場合は待ち合わせは成立しない。明石駅の信楽焼のたぬきの辺り。そこまで伝えていなければ「待ち合わせ」という行為は不可能だった。

私の知る未来では、携帯電話やスマートフォンなどで「どこどこの駅」とだけ伝えていれば現地で連絡を取り合い、集合出来るのだが、そんな便利な道具は一般人にはそもそも持てないし、ダンベルのように重く、自動車に設置するしか無いものだった。


「いや、俺もさっき着いたばかりだよ。」


私は、できるだけ自然に、できるだけ「普通」に、そう答えた。しかし、こんなセリフは映画やドラマの中でしか聞いたことが無いのだが、正解を知らないため、借り物の言葉を使ったのだった。


そのまま歩いて、私たちはその喫茶店へと向かった。移動中、彼女は多くを語らなかった。しかし、その沈黙は、気まずいものではなかった。むしろ、彼女が「話さなくてもいい」と感じていることが、私には伝わってきた。


彼女は、私のことをまだ信頼していない。しかし、少なくとも、警戒は解きつつある。それで十分だった。


喫茶店に着き、私たちは窓際の席に座った。彼女は、メニューを手に取ると、しばらく考え込んだ後、カフェオレを注文した。私は、同じものを注文した。彼女の好みを合わせるためではなく、彼女と同じものを選ぶことで、自然に「共にいる」という感覚を作りたかったからだ。


「……あのさ。」


彼女が、口を開いた。


「なんで、私のこと、そんなに覚えてるの? 小学校の時なんて、もう何年も前だよ。」


その問いは、当然だった。彼女にとって、私はただの「同級生」だ。それも、ほんの数年しか同じクラスにいなかった、記憶の片隅にいるような存在だ。そんな相手から突然電話がかかってきて、しかも「ずっと覚えていた」と言われれば、誰だって疑問に思う。


私は、心の中で、答えを準備していた。真実は言えない。彼女に、私が未来から来たこと、彼女のために人生を生き直していること、彼女を何十年も想い続けてきたこと――それらを言えるわけがない。


「……正直に言うと、自分でもわからないんだ。」


私は、半分だけ真実を口にした。


「でも、あの時、君が窓の外を見ていた横顔が、どうしても忘れられなかった。他のみんなは騒いでいて、先生の話を聞いてて、普通の小学生だった。でも、君だけは、違った。何かを考えているような、どこか遠くを見ているような目をしてた。」


彼女は、その言葉に、少しだけ驚いたような表情を見せた。


「そんなこと、覚えてる人、多分朝倉君だけだよ。」


「そうかもしれないね、君のことを覚えているのは、僕だけかもしれないね。」


その言葉は、真実だった。彼女のことを、あの頃のままの彼女のことを、覚えているのは、この世界で私だけかもしれない。彼女の両親でさえ、彼女のあの横顔を知らない。彼女の友人たちでさえ、彼女のあの孤独を知らない。


――私は、彼女のたった一人の「覚え手」だったかもしれない。


その後、私たちは、彼女の好きな本の話をした。彼女が文学部を志望していること、将来は編集者か司書になりたいと考えていること。それらは、すでに私が知っている情報だった。しかし、彼女がその話をするときの表情は、私がこれまで知っていた「影のある彼女」とは違っていた。


彼女は、本当に本が好きだった。本を語るとき、彼女の目は、少しだけ輝いていた。


「……君は、将来、何になりたいの?」


彼女が、逆に問いかけてきた。


――弁護士だ。大学生だ。そして、君の隣にいる男だ。そうなりたい。いや、なってみせる。


しかし、私はそのどれも言えなかった。


「いや……まだ、決めてない。でも、自分と君のために蔵書の部屋を作りたいと思ってる。」


彼女は、その言葉に、少しだけ首をかしげた。


「蔵書の部屋?」


「ああ。誰にも邪魔されない、静かな場所。俺と君の好きな本がたくさん並んでいて、君がいつでも好きな本を読める場所。」

それは、私の本心だった。西神中央の広い家に作った書庫は、まさにそのためのものだ。彼女がいつかその書庫を訪れ、本棚に並ぶ本の背表紙に指を滑らせる。その日を、私はずっと夢見ている。


「朝倉君、やっぱり変な人ね。そんなの作れるの?すごくお金がかかるよ。」


彼女は、そう言って、また少しだけ笑った。


しかし、その笑顔には、先ほどのような警戒感はなかった。むしろ、どこか「この人は、本当に変わった人だ」という諦めにも似た、しかし温かなものが含まれているように思えた。


喫茶店を出た後、私は彼女を駅前の商店街へと連れて行った。本当は、彼女が好きな本屋に行くことも考えた。しかし、私は別の目的を持っていた。


街の一角にある、小さなジュエリーショップ。ガラス越しに光を反射する指輪やネックレスが、控えめに、しかし確かな存在感を放っていた。


「……ここ、入ってみようか?」


彼女は、一瞬、ためらった。ジュエリーショップという場所は、この時代の高校生の彼女にとって、まだ少し遠い世界かもしれない。しかし、彼女は私の言葉に、ゆっくりとうなずいた。


店内は、静かで落ち着いた雰囲気だった。ショーケースの中には、繊細なデザインのリングやペンダントが並んでいる。私は、あたかも「たまたま」彼女の手元を見るように、彼女の右手に目を落とした。


――右手の薬指。日本の高校生がファッションリングをはめるなら、こちらが自然だ。


店内のショーケースを見回してみると、高校生の小遣いでも買える程度のジュエリーがあった。そこにはシルバーのリングが陳列されていた。


「……何か、試してみる?」

私は指さして、言ってみた。これは私の過去の未来の軽口だ。多くの女性は興味を持つはずなのだが、彼女が興味を持つかどうかはわからなかった。


「え? でも……」

やはり彼女は遠慮もしくはその他の感情を示した。

なので、私は少し強引に行くことにした。


「いいよ。君に合いそうなの、見つけたから。」


私は、ショーケースの中から、シンプルなシルバーのファッションリングを選んだ。それは、彼女の細い指によく似合いそうな、控えめなデザインだった。


「……指、出してくれる?」


彼女は、少し恥ずかしそうに、右手を差し出した。私は、その指にリングをそっと通した。狙った通りだ。彼女の右手の薬指のサイズが、正確に計測できた。


――このサイズを基に、左手の薬指のサイズを推定すればいい。左右で多少の差はあるが、微調整は後で可能だ。


「私はこの指輪、可愛いと思うけど……どうかな?」


彼女が、少しだけ顔を上げて、私を見た。


「うん……似合ってるよ。シルバーなら高校生でも持っていて当然だし、これを買おうか」


当時の高校生はリングを持っていただろうか?ペンダントやネックレスの方が良かっただろうか?私は脳内で計算と確認を猛スピードで行っていた。


しかしこのシルバーのリングで確認出来る。


それは、私の本心だった。そして、そのリングのサイズは、もうすぐ私が彼女のために作らせるプラチナとダイヤの婚約指輪の、完璧な寸法を導くための基礎データとなる。


私は、そのリングを買い、彼女にプレゼントした。彼女は、最初は受け取るのをためらったが、私が「今度会う時の約束の証だ」と言うと、しぶしぶ受け取ってくれた。


「ありがとう。はじめて友達からジュエリーを貰ったよ」


彼女は、そう言って、そのリングを右手の薬指にはめた。

『友達か。付き合う約束をした友人。今はそれで良い』


――右手の薬指。婚約指輪をはめる指ではない。しかし、私はそのサイズから、彼女の左手の薬指のサイズを正確に推定できる。左右の薬指など、ほとんど変わらないはずだ。


彼女は、その意味を知らない。しかし、私は知っている。そして、いつか、その左手の薬指に、私が用意した本当の指輪をはめる日が来る。


帰り道、バスの中で、彼女は少しだけ眠そうにしていた。窓の外に流れる黄昏時の景色を見ながら、彼女は言った。


「今日は、楽しかったね。」


その言葉が、私の胸に、静かに、しかし確かに響いた。

私はその言葉を胸に刻んだのだが、彼女にはやはりドギマギしてしまう。


「え、と、あの……次も、会える?」

言いたいことは言えるはずなのに、どうしても思考より早く感情が動いてしまう。これはどうにかしないとならない。「慣れろ!」と私は自分に言い聞かせた。


「うん。また電話してくれるでしょ?」


彼女は、小さくうなづき。そう言った。


十数分後、彼女の家の近くのバス停で別れた。彼女の手には、私が買ったファッションリングが輝いている。私は、その光を、目に焼き付けた。

私はその場所から少し歩き、自宅方面へ行くバスに乗って帰ることにした。


夜になりつつある街を一人で歩きながら、私は思った。


――あと二年と少し。か。長いのか短いのか……


卒業するまでか大学入学までの、あと二年と少し。その間に、私はすべてを完成させる。西神中央の家、大学の卒業、弁護士としての仕事、そして――彼女の指に、本当の指輪をはめる日を。


私は、彼女が何も知らないまま、彼女の薬指のサイズを手に入れた。彼女は、そのリングを「ただのプレゼント」だと思っている。しかし、それは、私にとっての約束の証だ。


――彼女を、必ず守る。必ずだ、絶対にだ。


それが、私の愛の形だ。歪で、醜く、狂気的で、しかし唯一無二の愛だ。

翌日、私は弁護士事務所の机に座り、ジュエリーショップに電話をかけた。


「プラチナのリングに、ダイヤを一粒。石と『指輪のサイズ』は――」


私は、先日計測した右手の薬指のサイズをもとに、左手の薬指のサイズを推定し、それを伝えた。


「――納期は、彼女が高校を卒業する頃で構いません。それまでに、必ず。」


受話器の向こうで、ジュエリーショップの店主が、丁寧に応対する声が聞こえた。私は、その声を聞きながら、窓の外を見つめた。


――彼女は今、あのリングを右手の薬指にはめて、学校に行っているのだろうか。彼女は、そのリングを見るたびに、私のことを思い出すのだろうか。しかし、彼女は知らない。そのリングが、やがて左手の薬指を飾るための、最初の一歩であることを。


それが、私の小さな、しかし確かな狂気だった。彼女が何も知らなくてもいい。彼女が私のことをまだ信頼していなくてもいい。私は、彼女のために、すべてを準備する。


――いつか、彼女がすべてを知ったとき、その準備が、彼女にとって「愛」であると信じてくれることを願って。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ