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■第十六章:次にすべきこと、隔離の予感

一月の冷たい空気の中で実施された司法試験予備試験の最終関門――口述試験。

試験官との面接という形式で行われるその場において、私は予想外の余裕を保ったまま、すべての想定問答を涼しい顔で切り抜けた。実務的な倫理観や、突発的な法的トラブルに対する即応性。それらは、数十年という人生の酸いも甘いも噛み分けた老練な精神を持つ私にとって、恐れるに足りない茶番にすぎなかった。


結果は明白だった。

――合格。


世間の人間が驚愕し、法曹界の歴史を塗り替えるような「中学一年生での予備試験完全突破」という前人未到の偉業を成し遂げた私だったが、当の本人はそこに何の感慨も抱いていなかった。通過点にすぎない。ただの、社会的な防壁を築くための最初のステップにすぎないのだから。


――しかし、その「最初のステップ」を踏み終えたとき、私は新たな壁が立ちはだかるのを感じていた。


それは、時間という名の壁だった。そして、隔離という名の絶望だった。


司法試験の最終合格を手にした後、法律家としての資格を正式に得るためには、約一年間に及ぶ「司法修習(実務研修)」を修了し、その最後に行われる修習修了試験(通称:二回試験)に合格しなければならない。

この一年間という司法修習の期間が、私の計算において極めて厄介な足枷となっていた。


私はまだ、中学生なのだ。

昼夜を問わず実務の現場を回り、裁判所や検察庁、弁護士会での過酷な修習スケジュールをこなす必要がある司法修習と、義務教育機関である中学校の通学を両立させることなど、物理的・制度的に不可能だった。


そして、それ以上に私にとって許しがたい問題があった。

――司法修習に没頭するということは、必然的に、あの「たったひとつのほしいもの」である彼女と過ごす時間、あるいは同じ空間で彼女を観察し、機を窺う時間が長期間にわたって阻まれることを意味していた。


――彼女のいない一年間。


その想像だけで、私の胸の奥が冷たく締め付けられた。私は、彼女のいない時間を、どれだけ勉強で埋めようとも、完全に埋めることはできなかった。彼女のいない空間を、どれだけ知識で満たそうとも、その空虚は決して埋まらなかった。


彼女はまだ中学生としての日常を歩んでいる。私が長期間の修習のために拘束されれば、致命的なすれ違いが生じるかもしれない。

脳内で高速にリスクを計算し、私は小さく息を吐き捨てた。


「……仕方がないか」


目的のためには、一時的な別離や過酷なリソースの配分すらも戦術的に受け入れなければならない。感情に流されて計画を歪めることこそが最大の悪手だった。


――しかし、その「仕方がない」という言葉が、どれほど私の精神を削るものであるか、誰も、私すらも理解していなかった。


そして、私の前にはさらにタイトで、息の詰まるようなスケジュールが山積みになっていた。

司法修習のクリアと並行し、私は高校という無駄なモラトリアムの期間を完全にスキップしなければならない。もしここで高校三年間という凡人どものためのステップに縛られていれば、日本経済の崩壊点である「バブルの完全崩壊」のタイムラインに致命的に被ってしまうのだ。

歴史の歯車が狂い、世間がパニックに陥るその瞬間までに、私はすべての準備を完了させ、あの西神中央に要塞を完成させていなければならない。


そのためには、年齢にして十五歳、中学三年生の時点で大学受験を突破し、飛び級の形式で大学へと進学する必要があった。


幸いにして、私の背後には「神童」という世間が勝手に作り上げた強烈な神話と、全日本メンサの会員証、そしてすでに予備試験を突破しているという揺るぎない実績が存在していた。


私は地元の一般的には難関とされる国立大学の特別選抜枠、あるいは特例的な受験システムを利用し、中学三年生になる時点で、周囲の同級生たちが高校受験のプレッシャーに怯えているその裏で、何食わぬ顔で大学の入学試験を受け、無事に合格通知をもぎ取った。


――しかし、その合格通知を手にしたときも、私は彼女のことを考えていた。


彼女は、この合格を知らない。彼女は、私が大学に合格したことを知らない。彼女は、私が高校をスキップして大学に行くことを知らない。


――彼女は、何も知らない。それが、私には、なぜか愛おしかった。しかし同時に、それが、私には耐えがたい孤独でもあった。


そして、大学に入学してからの私の動きは、周囲の人間にとって恐怖の対象でしかなかった。

大学四年間のカリキュラムなど、私にとってはただの時間の引き延ばしにすぎない。私は大学という空間において、履修できる限りの上限一杯まで授業を詰め込み、すべての専門科目で満点近くの成績を叩き出し、誰の文句も有無を言わさぬ圧倒的な成果をもって単位を次々と強奪していった。


中学三年でありながら、中身は大学一年生。

しかし、通常の四年制大学のペースに合わせる余裕など私にはない。大学のなかでもさらなる飛び級、あるいは早期卒業のルートをこじ開け、最短最速で学士の称号を手に入れなければならない。それが、私の計画を完遂するための絶対的な必要条件だった。


その過酷なスケジュールを逆算した結果、私は一つの冷徹な決断を下した。


――中学二年生の時点で、私は司法研修(司法修習)のスケジュールを前倒しでねじ込み、実行することに決めたのだ。


まだ肉体年齢としては中学二年生という、社会的には保護されるべき少年の姿でありながら、特例中の特例として法曹養成の現場へと身を投じる。

周囲の修習生や指導官たちは、そのあまりに奇異な経歴と、十代前半とは思えない冷徹で老練な法的思考力を持つ少年の存在に、畏怖と戸惑いの視線を向けたことだろう。だが、彼らが何を囁こうと、私の意識の片隅にも留まらなかった。


私の胸の大部分を占めていたのは、もっと切実で、そして歪な焦燥感だった。


――彼女と一年間、本格的に離れ離れになる。


司法修習の苛烈な拘束と地理的な移動によって、中学校に通う彼女の姿をリアルタイムで視界に収めることができない時間が訪れる。それがどれほど私の精神の安定を削るものであるか、計算するまでもなく明白だった。


「――辛いが、仕方がない」


夜更けの研修施設の寮のベッドの上で、私は天井の冷たいシミを見つめながら呟いた。

今ここで私情に流され、修習のスケジュールを先延ばしにすれば、その遅れはそのままバブル崩壊という国家的な破局のタイミングと衝突する。そうなれば、将来的に彼女をあらゆる理不尽から守るための西神中央の要塞も、強固な法的防壁も、すべてが中途半端な瓦礫と化してしまうだろう。


――しかし、その「仕方がない」という言葉の裏で、私はすでに彼女に会うための計画を立て始めていた。


週に一度、必ず彼女のいる街に戻る。彼女が通う中学校の近くを通り、彼女の姿を一瞬でも確認する。彼女の安全を確認し、彼女が誰と話し、誰と笑い、誰と歩いているのかを把握する。


それは、愛情なのか。それとも、監視なのか。もしくは狂気を纏った執着なのか。


――私は、その境界線が、すでに曖昧になっていることを自覚していた。


未来を見続けなければならない。

あの遠い日の記憶の中で失い、すべての色彩を奪われた「たった一つのほしいもの」を、今度こそ完璧な、美しく整えられた箱庭に迎え入れるために。

この一年間の別離は、私たちが永遠の結びつきを得るための、あまりにも安い代償にすぎなかった。


――しかし、その代償は、私の精神に、確実に亀裂を入れていた。


冷たい夜風が窓の隙間から吹き抜ける中、私は目を閉じ、過酷な修習と大学の単位取得、そして来るべき未来の訪れへと向けて、自らの精神を再び冷徹に研ぎ澄ませていった。


――しかし、その瞼の裏には、いつも彼女の横顔があった。


彼女は、今頃、あの街で、あの教室で、あの窓辺で、何を考えているだろう。彼女は、私の不在を、少しでも感じているだろうか。彼女は、私のことを、少しでも思い出しているだろうか。


――彼女は、私のことを、忘れているだろう。


その事実が、私の胸を、冷たく、そして深く締め付けた。しかし、それでも私は前に進む。なぜなら、私は狂人だからだ。狂人であることを自覚している狂人は、自分の狂気を止めることができない。自分の狂気を止めることは、自分自身を止めることと同じだから。


――彼女は、私の狂気の中心だ。彼女がいるから、私は狂人でいられる。彼女がいなければ、私はただの空っぽの老人だ。


私は、彼女の名前が書かれたノートを、寮のベッドの枕元に置いた。私は、このノートを、毎晩、寝る前に開く。そして、彼女の名前を、もう一度だけ書き加える。


それは、祈りのように。それは、誓いのように。それは、狂気の証のように。


――そして、私は、明日もまた、彼女のいない時間を生きる。しかし、その時間は、必ず彼女へとつながっている。


それが、私の愛の形だ。歪で、醜く、狂気的で、しかし唯一無二の愛だ。


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