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「……とりあえず、自己紹介でもしませんか?」
重苦しい空気を破ったのは、人の良さそうなおじさんだった。
「そうですね。このまま何も分からないままでは、不安になるだけですから。」
そう言って、おじさんは軽く頭を下げた。
「私は田中といいます。四十五歳です。営業の仕事をしております。」
優しそうな笑顔を浮かべながら話し始める。
「取引先で商談をしていたところまでは覚えているんですが……そこから先の記憶がありません。気が付いたら、この部屋にいました。」
「前後の記憶がないってことですか?」
「はい。財布もスマホもそのままでしたし、何が起きたのか本当に分からないんです。」
俺も同じだった。
事故に遭った記憶も、誰かに連れ去られた記憶もない。
あるのは、はなが俺を引っ張っていたことだけだ。
「三人目は、私ですね。」
そう言って、強面の男が軽く頭を下げた。
「黒崎と申します。三十八歳です。」
見た目は、やっぱりかなり怖い。
スーツ姿に短髪、がっしりした体格。
街で会ったら、間違いなくこちらが先に道を譲るタイプだ。
「お仕事は何を?」
「幼稚園バスの運転手をしております。」
「……え?」
思わず聞き返してしまった。
「幼稚園バス、ですか?」
「はい。」
その見た目で?
とは、さすがに口には出せなかった。
黒崎さんは表情を変えず、静かに話を続ける。
「事故に遭いました。」
「子どもたちを送り届ける途中、運転席側に大型トラックが突っ込んできまして。」
部屋の空気が少しだけ重くなる。
「衝撃で意識が遠のきましたが、ハンドルだけは離しませんでした。」
黒崎さんは、自分の手を見つめた。
「ブレーキを踏み込み、一度では止まり切らず……もう一度、踏み直しました。」
淡々とした口調だった。
だからこそ、その時の必死さが、かえって伝わってくる。
「子どもたちは……?」
田中さんが恐る恐る尋ねる。
黒崎さんは静かに首を横へ振った。
「分かりません。」
「そのあと意識を失いましたので……無事だったかどうかも、私は知りません。」
その言葉に、誰も返事ができなかった。
黒崎さんだけが、その事実を静かに受け入れようとしているように見えた。
重くなった空気を変えようとして、俺は思わず口を開く。
「黒崎さん。」
「はい。」
「正直に言います。」
「はい。」
「最初、絶対ヤクザだと思ってました。」
一瞬、沈黙が落ちる。
それから黒崎さんは、少し困ったように笑った。
「……よく言われます。」
「子どもたちは怖がりません?」
「最初だけです。」
「でも帰る頃には、『くろちゃん先生、またね!』と言って、手を振ってくれます。」
その笑顔を見た瞬間、俺は心の中で土下座した。
(すみませんでした……めちゃくちゃいい人でした。)
「最後はワシじゃな。」
老人が豪快に笑いながら前に出る。
「源三じゃ。七十歳。細かいことは気にせん。」
「おじいちゃん、何してた人?」
「山に入っとった。」
「山?」
「そうじゃ。そこで、やたらデカい獣と戦っとった。」
「……戦う?」
思わず聞き返す。
源三さんは袖をまくった。
腕には鋭い爪で引き裂かれたような傷跡がいくつも残っている。
「猟師ですか?」
「まぁ、似たようなもんじゃ。」
そう言って豪快に笑うだけで、それ以上は語らない。
「噛みつかれそうになった瞬間じゃな。
気が付いたら、この部屋におった。」
四人とも、ここへ来るまでの経緯はまったく違う。
商談中だった田中さん。
子どもたちを守ろうとした黒崎さん。
やたらデカい獣と戦っていた源三さん。
そして俺は、愛犬のはなに引っ張られ、何かに跳ね飛ばされた。
共通点なんて、一つもない。
「……結局さ。」
俺は白い天井を見上げる。
「俺たち、何でここに集められたんだ?」
誰も答えられない。
静寂だけが部屋を包む。
その時だった。
――カツン。
何かが床を叩くような音が響く。
四人が同時に音のした方へ振り向く。
さっきまで何もなかった真っ白な壁。
そこに、一枚の黒い扉が静かに現れていた。




