壊れながら成長する
「佐伯さん倒れた!」
バックヤードの空気が、一瞬だけ止まる。
だが次の瞬間には、誰かが笑った。
「またっすか」
軽かった。
冗談みたいな声。
別の社員も苦笑する。
「昨日から飛ばしすぎなんですよ」
「池袋深夜帯、佐伯さんずっといたもんな」
「東堂さんコース入ってる」
周囲で乾いた笑いが起きる。
私は、その反応に違和感を覚えた。
床に座り込んだ佐伯は、顔面蒼白だった。
呼吸も浅い。
普通なら救急車を考える状態だ。
だが、この場には“深刻さ”が存在していない。
あるのは、
「頑張りすぎた武勇伝」
として扱う空気だった。
東堂が人をかき分けるように前へ出る。
「おい佐伯」
低い声。
佐伯は苦笑しながら顔を上げた。
「……すみません」
「何時間起きてる」
「三十……いや、三十二くらいです」
「寝ろって言ったよな?」
「でも池袋、今日かなり動いてて」
「それで倒れたら意味ねえだろ」
東堂はそう言いながらも、本気では怒っていなかった。
むしろ、その目にはどこか満足感すら混じっていた。
“ここまでやった”
その事実自体を評価している。
周囲の社員たちも同じだった。
「佐伯さん、昨日のロレックス捌いたのヤバかったっす」
「深夜帯だけで粗利えぐかったですよ」
「社長、絶対見てますって」
その瞬間。
佐伯の目が、少しだけ変わった。
疲労の奥で、小さく熱が灯る。
私はそれを見逃さなかった。
認められたい。
評価されたい。
御堂に。この会社に。
その欲求が、身体の限界より優先され始めている。
東堂が立ち上がる。
「とりあえず医務室行け」
「大丈夫っす。水飲めば戻れます」
「戻るな」
「でも夜帯」
「いいから」
短いやり取り。
だが、周囲の空気は微妙だった。
“休ませる側”より、
“戻ろうとしている佐伯”の方を支持している。
私は口を開いた。
「帰宅させた方がいいと思います」
空気が変わる。
数人の社員がこちらを見る。
東堂も振り返った。
私は続ける。
「この状態で続けさせるのは危険です」
静かに言ったつもりだった。
だが、この場では異物だった。
佐伯が困ったように笑う。
「いや、ほんと大丈夫なんで」
周囲も頷く。
「佐伯さん、昔から無理効くタイプだし」
「東堂さんも最初そんな感じでしたよね」
「この時期、みんな一回は通るんで」
通過儀礼みたいに言う。
私は、その言葉に寒気を覚えた。
“壊れかけること”が、
成長条件として扱われている。
東堂がこちらを見る。
笑っていた。
だが、目だけが冷えていた。
「黒沢さん」
穏やかな声。
「うち、普通の会社じゃないんですよ」
周囲が静かになる。
「もちろん無理させたいわけじゃないです」
「でも今、市場動いてるんですよ」
東堂はモニターを指差す。
リアルタイム売上。
数秒ごとに更新される数字。
「今ここで踏める人間が、次の責任者になる」
誰も否定しない。
佐伯ですら、少し誇らしそうだった。
私は理解する。
これは労働ではない。
競争だ。
“どこまで会社へ差し出せるか”
を測るゲーム。
しかも本人たちは、それを苦痛だけでは受け取っていない。
熱狂。
承認。
成長。
全部が混ざっている。
だから危険なのだ。
私は東堂を見る。
「それで壊れたら意味がないでしょう」
一瞬。
空気が止まった。
東堂の笑顔が消える。
周囲の社員たちも、言葉を失う。
“壊れる”。
この会社で、その単語は空気を冷やす。
東堂が静かに言った。
「壊れる前に、みんな強くなりますよ」
即答だった。
迷いがない。
その言葉に、周囲も自然に頷いていた。
私はそこで初めて理解する。
東堂は、本気で信じている。
限界を超えた先に、
成長があると。
その時。
バックヤード入口側がざわついた。
社員たちの視線が、一斉にそちらへ向く。
御堂だった。
静かに入ってくる。
それだけで空気の熱量が変わる。
佐伯が反射的に立ち上がろうとする。
「座っててください」
御堂が先に言った。
低い声。
だが柔らかい。
御堂は佐伯を見る。
倒れた理由も、状況も、おそらく一瞬で理解していた。
数秒。
そして、小さく笑う。
「昨日、池袋かなり良かったですね」
その瞬間。
佐伯の顔に熱が戻る。
疲労ではない。
快感だった。
認められた。
ただ、それだけで。
御堂は続ける。
「深夜帯の回し方、あとで共有してください」
「はい」
佐伯は即答した。
さっきまで立てなかった人間とは思えない声だった。
私はその光景を見ながら、背筋が冷えていく。
御堂は、
休めと言わない。
無理をするなとも言わない。
ただ、
“結果を見ている”。
だから現場側は、
もっと燃える。
東堂が横で小さく笑った。
「……分かりました?」
私は答えない。
御堂は既に次の数字を見ていた。
売上。
ランキング。
査定件数。
人ではなく、
“熱量”そのものを観察しているみたいだった。
その時、御堂が不意にこちらを見る。
「黒沢さん」
静かな視線。
「今、引きましたか?」
周囲が静まり返る。
私は数秒黙る。
そして答えた。
「正常ではないと思いました」
空気が凍る。
だが御堂だけが、わずかに笑った。
「良かった」
周囲の社員たちが戸惑う。
御堂は静かに続ける。
「正常だと思い始めた人間から、壊れていくので」




