社長室
「黒沢さん」
御堂が歩き出す。
私は無言のまま、その後を追った。
バックヤード横の細い通路。
壁には大量のホワイトボード。
『新宿 深夜帯利益率』
『札幌 在庫偏差』
『秋葉原 高額査定件数』
数字。
数字。
数字。
だが、そのどれも整理されていなかった。
走りながら増築した工場みたいだった。
通路の奥。
重い扉。
御堂はノックもせず開ける。
社長室は、想像よりずっと狭かった。
高級感はない。
大型モニター。
全国店舗の売上推移。
チャット通知。
防犯カメラ映像。
SNSトレンド。
中古相場。
壁には、日本地図。
赤いピンが増え続けていた。
御堂は椅子へ座る。
「どうぞ」
私は向かいへ座った。
数秒。
沈黙。
御堂はモニターを見ている。
池袋。
新宿。
札幌。
リアルタイムで数字が変動していく。
その横顔を見ながら思う。
この男は、
会社を経営しているというより、
“市場そのもの”
を見ている。
御堂が不意に言った。
「黒沢さん」
「はい」
「あなたなら、この会社をどこまで高められますか」
静かな声だった。
試されている。
私は少し考える。
「売上規模の話ですか」
「長期です」
即答だった。
「短期なら、今のままでも伸びます」
御堂は反応しない。
私は続ける。
「ただ、この状態だと、強い人間から壊れます」
東堂。
佐伯。
脳裏に顔が浮かぶ。
「属人的です」
「東堂さんが抜けた瞬間、池袋は崩れます」
「佐伯さんも同じです」
御堂は黙ったまま聞いている。
否定も、
肯定もない。
私は続ける。
「今の御社は、人の熱量で拡大しています」
「だから成長速度が異常に速い」
「でも、その熱量が再現できていない」
御堂が小さく頷く。
それだけ。
私は逆に話しづらくなる。
普通なら、
ここで社長は語る。
理念。
方針。
期待。
だが御堂は違う。
測っている。
私は言葉を選びながら続けた。
「必要なのは、管理ではないと思います」
その瞬間だけ、
御堂の視線がこちらへ向いた。
初めて興味を示した目だった。
私は続ける。
「管理を強めると、多分この会社は弱くなります」
「現場の速度が死ぬので」
御堂は何も言わない。
だが、わずかに口元が動いた。
笑ったのかもしれない。
「ただ今は、“強い人間へ仕事が集中する構造”になっている」
「だから、強い人間ほど現場から抜けられない」
「結果として、次が育たない」
静かな部屋。
モニターだけが点滅している。
私はそこで初めて気づく。
御堂は、答えを探している。
社長なのに。
この巨大な熱狂の中心にいる男が、
まだ完成形を持っていない。
御堂が口を開く。
「では、どうしますか」
短い。
私は息を吐く。
「まず見ます」
「全部です」
「店舗差異」
「離職」
「利益率」
「査定速度」
「深夜帯」
「属人化」
「人の流れ」
「何が強くて、何が壊れ始めているのか」
御堂は静かに聞いている。
私は続けた。
「今は、東堂さんみたいな人間が、“システムの代わり”をやってる状態です」
「だから、東堂さんが強いほど危険です」
その瞬間。
御堂が初めて椅子にもたれた。
「面白いですね」
感情の薄い声。
私は聞く。
「私の役割は何ですか」
御堂は即答しなかった。
数秒。
売上モニターを見る。
札幌の数字が跳ねる。
御堂は小さく笑った。
「黒沢さんは、どうしたいんですか」
私は黙る。
質問で返された。
御堂は続ける。
「うちは、まだ未完成です」
「だから毎日変わる」
「現場も、人も、数字も」
静かな声。
「その中で、あなたは何を残したいですか」
私は答えられなかった。
御堂はそれ以上追及しない。
代わりに、
一枚の紙をこちらへ滑らせる。
店舗別数値一覧。
売上。
利益率。
査定件数。
離職率。
深夜帯稼働。
バラバラだった。
統一されていない。
見るだけで、
現場が個人技で回っているのが分かる。
「好きに見てください」
御堂が言う。
「必要なら、どこへ行っても構いません」
「誰を見てもいい」
「何を変えてもいい」
私は顔を上げる。
「権限が大きすぎませんか」
御堂は小さく笑った。
「権限ではありません」
その視線が、
真っ直ぐこちらへ向く。
「責任です」
空気が変わる。
その瞬間だけ、
御堂という男の本質が見えた気がした。
この男は、
誰かを守るために会社を作っていない。
市場を取りに行っている。
だが同時に、
壊れながらしか成長できない組織の危うさも理解している。
だから、
黒沢を入れた。
御堂が静かに言う。
「黒沢さん」
「はい」
「ライバルに、答えを教える経営者はいません」
私は言葉を失った。
ライバル。
今、この男はそう言ったのか。
社長直轄。
組織改善。
現場再構築。
私はてっきり、
不足している機能を埋めるために採用されたのだと思っていた。
現場を支える人間。
熱狂を整理する人間。
壊れ始めた組織へ、骨組みを入れる人間。
そのはずだった。
なのに御堂は、
部下でも、参謀でもなく、
“ライバル”と言った。
理解できなかった。
この会社は、御堂そのものだ。
市場を読み、熱を作り、人を燃やし、膨張させてきた中心人物。
その御堂が、私を競争相手として見ている。
なぜ。
まだ何も成していない。
入社したばかりの、四十二歳の中途社員に過ぎない。
御堂はモニターへ視線を戻した。
会話は、
終わったのだと分かった。
私は席を立つ。
扉へ向かう。
その背中へ、
御堂が最後に一言だけ落とした。
「東堂は、強いですよ」
振り返る。
御堂は画面を見たままだった。
「多分、簡単には負けません」
その言葉が、
助言なのか、
警告なのか、
私にはまだ分からなかった。




