八話 カルテル
「いやっ、それは!」
いかにグランツァ侯爵の代理人相手とは言えど、自らの生命線にも等しいアグリ商会を購入したいと言われればはいそうですかとは頷けない。しかし最初に大きな要求を出して妥協点を探るなんて手段は、交渉においては当たり前に行われる。隙を見せたのはほんの一瞬のこと。
「本当にアグリ商会を買うわけではないのでしょう?」
意外にも、先に立ち直ったのはエレンだった。
それはアドラの横に座るミーとアカネがあまりにも平然と、いやミーに関しては父が一瞬見せた狼狽に口を膨らませて笑いを堪えようとしているが、対面しているのでまさか自分の家を潰そうというわけではないと察したからだった。
「ええ、その通り。」
相手を驚かせたにも関わらず、そのことに一切の愉悦を感じることなく淡々と交渉を進めていくのは歴戦の経験がなすものだろう。
「我々はグランツァの者。重要な情報を渡すのは身内に限る。」
「...それは王都でも同じということですな。」
エレンに先を越されたことを恥じつつ、一瞬で相手の意図を読んで答える。流石にエレンにはまだこの領域にいたるのは難しかったため、父の発言によって真意を悟る。
「グランツァの身内になれと。」
これは難しい問題だ。
少し考えるだけでもいくつものメリットと、そしてデメリットが浮かんでくる。受けるにしろ断るにしろ、決断に時間が必要だと感じる。
「なぜアグリ商会をお選びに?」
先ほど物資を購入したいという話を持ちかけられた時から考えていることだった。ましてや身内になるともなれば、ただの物資の取引などという枠には収まらない。その理由を聞くことは当然であり、その時間を使って頭の中を整理しようとしていた。
「ふむ。そのことはアカネ殿から語っていただこうか。」
しかしその考えは淡く砕け散る。ゴブリンの侵攻を食い止めた立役者とも言えるアカネという騎士。これまでほとんど言葉を発してこなかったが、アグリ商会を選んだ理由に関係していたのか。
「ここで私に振るのか...」
「あなたが適任だと思いますよ。」
とはいえアカネにしてみれば、話をもちかけたのはこちらであるとはいえ今まで自分で話を進めてきたにも関わらず、このようなタイミングで振られれば何らかの意図があることは丸わかり。アドラによるいたずらに頭を悩ませつつもエレンの父を説得しにかかる。
「アグリ商会は今や王都でも指折りの商会へと成長しつつある。しかし、商会の規模はいかに王都とは言え一都市だけでは限界がある。他の街へ進出したいが、子爵という立場では他の街を治める貴族への根回しに時間も費用もかかる。」
それはエレンの父がなんとしてでもアグリ家を伯爵にしたがる理由だった。子爵と伯爵の間には大きな違いがある。貴族社会では伯爵以上が尊敬に値する爵位であり、もちろん邪険に扱われるようなことはないが皆どこかでその差を認識している。
特にアグリ子爵家は貴族としてではなく、商家として資金を稼いでいるという面が強い。そのため貴族は貴族らしく生活すべきであるという層にとっては、ちまちまと自らの手で金を稼ごうとする金の亡者という見え方になってしまう。
そのような貴族の治める街に出店するわけでなくとも、そのような風潮が一部に存在するだけで商会の、アグリ子爵家の品位が下がる。見返すためにはアグリ商会を不動のものにし、ちまちまとした小遣い稼ぎなどと決して言えなくなるような規模に育てる他ない。
「私は一部のものが商業を牛耳っている状況を変えたいと考えている。」
「...夢のような話です。」
そのようなことができればどれほど良いか。アグリ商会の成し遂げたいことでもありながら、この国に根付く問題の解決にもなる。商人としても思うところがあるが、一王国貴族としても一部の大商会によって価格が調整され、王国による調整が入る麦などとは違い、その他の食料や物資の供給が握られていることを憂いていた。
しかしこれまで何十年、何百年と続く悪しき風習の前には、新興の商会など掴む藁にもならない。雌伏して、ただできることを少しずつ積み上げていくばかりだと思っていた。
「そこでこのグランツァ侯に、アグリ商会に第一歩を踏ませる手伝いを依頼した。」
アドラの顔を見る。こちらをしっかりと見つめ返すその表情には、かすかな期待を感じ取ることができた。確かにグランツァとしても、商業がいままで以上に活発になれば港の価値がさらに高まり、それはつまりグランツァの価値が増すことになる。
「本当に少しの手伝いですがね。」
ここからは再び自分の番かと、手伝いの内容を伝えるのは侯爵の代理である自分の方が適任であろう。
「まずはグランツァの軍事物資の取引を行います。しばらくしたら、その実績をもってグランツァでの出店を認めることになるでしょう。」
いかにも普通の、政治的な取引を含む出店交渉。普通であれば、軍事物資を格安で取引することで出店への賄賂とするところだが。
「代わりにあなたには、王都での我々の目となってもらいます。」
違うのは、求められる役割が臣従することであるという点。
「王都の目と言っても、現状では既にグランツァ侯爵のお持ちの情報源と変わらないと思いますが。」
「ええ。ですからあなたにはアグリ商会を大きくしていただく必要がある。」
グランツァは、アグリ商会が大商会へとなれるよう支援する。
アグリ商会は、グランツァへと王都の情報を流す。勿論、物資などの通常の取引も行う。
「...しかし本当にそれだけで、アグリ商会を支援するのですか?」
条件は良い。むしろこちらから頭を下げてでもお願いしたいところだ。
グランツァへ出店できる。それだけで商会としては一定の信用があるとみなされる上、当然グランツァに運ばれる商品を王都へ運ぶことで確実な収入が得られる。またグランツァへの出店が認められた以上、グランツァからの品がほしい街からも出店が認められるようになり、一部が崩れればそのままなし崩しに出店をめぐる圧力は効果がなくなる可能性が高い。
それだけに、アグリ商会をという点が非常に引っかかっている。先ほどのアカネ殿の言葉も、なるほど確かに、小さな商会を育てることによってカルテルを破壊するという点は納得できた。しかしそれはアグリ商会でなくともできること。確かにアグリ商会の勢いは我ながら目を見張るものがあるが、だからといって大貴族であるグランツァ侯爵家が気にかけるほどではない。グランツァ侯爵が商会を立て、国王に願い一部の商品でも専売にすればそれだけでその商会はアグリ商会を軽く超える。まさかグランツァ侯爵家にたてついて出店を拒否する貴族もいるまいて。そのようなことをすればグランツァ侯爵が一言、あの街には物資を運ぶなと独り言を言うだけで軽く干上がり、領地に大混乱が起きるのだから。
「王都の情報を手に入れるためには、王都の商会でかつ勢いがあるものが良かったということではだめですかな?」
「その言葉自体が、それが真の理由でないと言う説明ではありませんか?」
いや、薄々察しているのだ。
なぜアグリ商会が選ばれたのか。なぜアドラ様の両隣に見知らぬ女性が二人もいるのか。そして何故、その二人はつい最近エレンと接触があった人物なのか。
「エレンと関係があるのでしょう?」




