三話 グランツァ襲撃
「新鮮なヴォルトゥーラがあるよ!煮てもよし焼いてもよし!今日のご飯にどうだい!」
ある程度発展しきり成長が緩やかになった王都と違いグランツァは今日も活気に溢れている。
中でも市場は慣れた住民ですら耳が痛くなるほど様々な声が飛び交う。
貿易船に乗って最近この街にやってきたレオでは、まだこの市場を練り歩くだけで三半規管がやられてしまう。
それでもここにいるのは起死回生の"何か"があった時に動けるようにするためだ。それは、天性の勘と言えるものかもしれない。
「レオ様、いつまでこのような所に留まるおつもりでしょうか。」
父のよこした側近達は頻繁にそんなことを聞いてくる。おそらく王都に程近いこの場所で虎視眈々と機会を伺っていられるのは都合が悪いんだろう。跡取りでもない自分がここに留まったとて家に与える影響はさほど無いだろうに、何かにつけてはお家のためと引っぺがそうとする。
「もう少しだけね。あと少しでうちの領地からの船がやって来るから、それに乗って帰るよ。」
果たしてそれまでに機会を掴めるのだろうか。分からないが今は少しでも可能性を高めるしかない。
迷路のような市場を人混みに逆らいつつ外へと抜けると、右から左へと人々が恐怖の表情を浮かべながら走っている。伝染した恐怖は次第に巨大化し、大きなうねりとなって市場からも一目散に人が逃げ出していく。
「行くぞ。何かあったのかもしれない。」
人の流れを掻き分け走り出す。
「っ!お待ちください!」
何かが起きていると思った。だが道中で人を捕まえて話を聞いたが、周りが逃げていたから逃げていると言う。
もしかしたらただのパニックの伝播だったのかもしれない。ほとんど願うようにして騒ぎの中心へと走り続けて、ついに街の外壁まで辿り着いた。
「第二騎士団は城壁の上から矢を放て!冒険者をかき集めろ!」
あちらこちらへ武装した騎士達が走り回り混雑する中で、広くスペースをとった空間からそう指揮を取る声が聞こえた。遠くからなのではっきりとは見えないが以前見たことのある風貌をしている気がする。おそらくグランツァ侯爵だろう。
もういつ隠居してもおかしくない歳だが、杖もつかず伸びた背筋に立派な髭が豪快な性格と相まって未だにこうして指揮をとっている。
「グランツァ侯爵閣下とお見受けいたします!ロンハイム家のレオにございます!」
少し遠くからそう名乗ると此方に気付き、ちょいちょいと手招きしてくる。
「ようこそグランツァへ。ただ、時期が悪かったな。」
苦虫を噛み潰したような顔でそう言った。
グランツァ侯はこの港の価値を見抜き、当時の侯爵家の財産の大半を注ぎ込み育てた凄腕で有名だ。その侯がこの調子なのだから相当まずいことが起きているのは間違いない。聞きたいような聞きたくないような、複雑な心境で話を始めた。
「まだ私は概要すら把握しておりません。どなたか説明していただけると助かります。」
「まあ、よかろ。
侯爵が自身を囲む部下の一人に視線をやると地図を指差しながら話し始めた。
「一連の騒ぎはグランツァから王都へ向かう商人達の被害が増えていたことから始まります。その原因の調査へ冒険者を向かわせ、何日かして調査を終えた冒険者と、商人達や騎士の報告からゴブリンの数が増えていることが原因だろうと結論づけました。その段階ではまだ騎士団を向かわせるか冒険者に報奨金をだしてゴブリンの討伐を推奨するかを考える余裕がある数だったのですが、こちらの想像を超えるペースで増え続けたのだと思います。早急に準備を整え監視の目を送る頃にはグランツァに向かうゴブリンの集団が存在することがわかったのです。」
そう言って街道近くの森の中を指差す。
「おそらく原因は皮肉にもグランツァの発展です。護衛依頼が増えたことにより森に入り魔物の討伐を行う者が減り、海産物が有名になったことで山の幸を取らなくなった結果ゴブリン達の餌が増えていたのでしょう。」
それがこの騒ぎの原因ということか。いや、この騎士達の慌て具合からしてもはや騒ぎと言えるものではない。防衛戦、それも平地で迎え撃つのは不可能と考え城壁を利用し仕留めることにしたのだろう。
それでもなお簡単と言えるようなものではない。万が一にも城壁を破られれば被害は想像のつかないものになる。
「私に手伝えることはありますか。」
なんてことはない凡人だ。ゴブリンを一刀で切り捨てることも、特別な魔法を使うこともできない。統率の取れた騎士団にとっても、力のある冒険者にとっても足手纏いかもしれない。
だがここで逃げては何のためにグランツァまで来たのだろうか。後退は出来ない。道は前にある。
「ない、と言いたいところだが。東の城壁で弓兵部隊と共に行動してもらう。だが最前線に出す事は許可できない。」
「お心遣い感謝します。」
恐らく私が功名を求めていることを察した上で譲歩していただけたか。
部下の一人に部隊の下まで案内してもらい、予備の鎧を着込む。鍛えてはいても実際に負荷をかけると塩梅が全く違う。そのことにやるせなさを感じつつ、城壁の上へと登る階段を一歩一歩上がっていく。
血生臭い風が通り過ぎた。
「ふう。」
外から聞こえるのは弓のしなる音、鎧に剣がぶつかる音、味方を鼓舞する声、悲鳴、怒号。
出口が近づくにつれ駆け足になる。見えにくい階段で躓かないよう急いで駆け上がるとまず目に入るのは青い空。
城壁の外で行われている戦闘を確認すると、そこにあるのは地獄だった。
「胴を狙え胴を!一発でも多く当てろ!」
多い。人も敵も、死んだ人も。城壁の外ではゴブリンを仕留めるための剣での戦いが行われる。生命力が高いゴブリン相手には普通の弓矢では削ることしかできず、城壁に取りつかれ数に押しつぶされる前に剣でもって確実に仕留めなければならない。しかしそれは、例え今生きていたとしても次の瞬間には死ぬかもしれないということでもある。剣を振り続ければいずれ限界が来る。
私にできるのは仲間が死なないようこの場から当たるかも分からない弓を射ることだけ。
「一射!」
ブワッと矢が放たれる。しかし命中するのはそのうちの何割か、敵を死に至らしめるようなものは数えるほどしか無いだろう。まさか味方に当てるわけにもいかないので必然遠くの敵を狙うことになる。遠ければ遠いほど矢の威力も減り狙いもつけにくい。
それでも必死に当たれと念じながら何度も何度も引き絞る。時折敵のゴブリンが放った矢が城壁の縁に当たることがある。その瞬間には身が竦むが盲目的に高さの有利を信じ込ませてただひたすらに。着実に数は減っている。
「そろそろ引くか?」
「もう一踏ん張りだ!振り絞れ!」
数の減ったゴブリン達は次第に逃げ腰になっていく。逃げる敵を追うのは正面から戦うよりは容易い。
このまま状況が進めば。
ゴブリン達が一斉に振り返った。
その隙を見逃すわけもなく、何体ものゴブリンが斬られ、倒れていく。
ゴブリンの振り返った先を見た。強烈な悪寒が警鐘を鳴らす。地平線から、今までに死んだゴブリンと変わらない程の数のゴブリンが現れた。何かを取り囲むように。
必死に目を凝らす。今はまだ小さくしか見えないが、それでも周りのゴブリンより遥かに大きな体格をしている何かが居た。
「クソッ。」
ゴブリンの動きが変わった。これまではただの兵士として戦っていたのが、腕を切り落とされることも厭わない死兵と化した。
ゴールが見えたタイミングでのこれは効く。前線を維持していた騎士団や冒険者達は既に満身創痍で、これからもう一戦を戦い抜ける体力も気力も残っていない。どうする。戦いの最中ずっと弓を引いていてもはや手の感覚は無い。だがそれは下で戦う者も同じ。
「臆するな!放て!放て!」
こうして外壁の中に閉じ込められ、数でも負けている状況で打てる手はない。
ただひたすらに祈る。なんとかなれ、何か起きてくれ。
「私が手を貸してやろう。」
もはや指揮官の号令さえも兵達の怒号や悲鳴、弓の音で通りづらい中を静かな声が通り抜けていく。
振り返ると一本の大剣を携えた女性が立っていた。
言いようのない感情を覚えた。ただ、助けてくれると感じた。風に流され、太陽を背にしてじっくりと眼下の様子を見る女性の金の髪が揺れる。
突然走り出すと縁に足を掛け飛び降りた。
「おい!」
慌てて身を乗り出す。
あの無謀な女性はどこへ。
「あそこ!」
部隊の誰かが指をさす。
目でその先を辿ると、この広い戦場を凄まじい速さで駆ける人影が見えた。
その強さは圧倒的と言う他なかった。
目の前の敵を一振りで薙ぎ倒す。大人の男性とそう変わらない体格のゴブリンは、何度か切りつけて弱った所にようやくトドメを刺して倒す。だから時間もかかるしお互いに体力勝負になる。
そんな常識は通用しなかった。
「まさかド真ん中に行くつもりじゃ。」
何十、何百もの死体の山を築きあげておきながら剣を振る速度は鈍らない。
一直線に走るその先はおそらく、敵の大将。
敵もそう馬鹿ではない。一気にゴブリンを寄せて数で押し潰そうとする。だがそれすら食い破る。
ただの力押しじゃない。まるで後ろに目でもついているかのように避ける、避ける、反転したかと思えば切り伏せる。
あっという間に距離を詰めた。
もはや誰も負けることなど考えていなかった。
女性よりも遥かに大きなゴブリンが、女性よりも遥かに大きな剣を構える。
ガアアアアアアアアア!!!!
ここにいても耳を劈くような咆哮が戦場を揺らす。
究極に無駄のない動きというのはゆっくりと見えるのだと知った。
振り上げられた剣は何の迷いもなく、呆気なく首を刎ねた。




