十八話 アカネ
ゴブリンは走り出した。
彼女に言われた通り、あの金髪の女がいたことを報告しなければならない。
聞きしに勝る強さであった。
仲間のゴブリン達が瞬きの間に負かされる。
あのような脅威を放置はできないが、幸いにも積極的に動く気はないようで近寄って来たものだけを斬っている。
走り去るゴブリンの背中をちらりと見られた時には生きた心地がしなかったが見逃された。
やはり自らに迫ってくるものだけを敵としているのかもしれない。
一刻も早く報告せねば。
「そう。」
報告を受けた彼女は笑った。
「ご苦労。戻っていいわ。」
それは遠回しな戻れという催促。
しかしゴブリンの目は一点から逸らせなかった。
拠点の中心部に建てられた祭壇が奇妙に発光している。
魔物であるゴブリンにとっても心地よいとはとても言えない色だ。
これは一体何が起きているのだ。
「あら、これが気になるのね。」
からからと笑う彼女も気味が悪い。
その声色には一切の善性が存在していなかった。
ただ自分の飼う生物が反応を示すのを面白がるかのように、丁寧に教え始めた。
「これは魂を昇華させるための魔法。より強くなるためのね。」
魔法陣の核となる宝石には赤黒いナニカが薄巻いていた。
「ああ、あなた達には意味がないわ。魂の形が違うもの。アレなら使えるかもしれないけどそんな勿体無いことするわけもないし。」
恍惚とした表情で宝石を撫でる彼女は気品をヴェールを脱ぎ去り妖艶な雰囲気を醸し出している。
一枚の絵画のような光景ではあるが、ゴブリンには本能的な恐怖しか感じられなかった。
「それにしても難儀なものだわ...上席の時代と違って人間達もそう簡単には戦ったりしないと言うのに魂を集めなければならないなんて。」
悪魔とは魂を喰らう者。
取り込んだ魂の数だけ自らの力を強めることができる。
かつての大陸であれば各地で戦争が巻き起こり魂を収穫するのも容易いことだったが、平和になった今はそう易々と集めることはできない。
勿論その分強力な勇者や英雄王といった人間は近く現れていないが、死闘に打ち勝つことができれば良質な魂を手に入れられたと考えるとやはり憎らしい。
生まれた時代が良かっただけでああして強者面をしているのだから。
「でも、この魔法は素晴らしい。」
敷かれた魔法陣からはバチバチと溢れ出る魔力が溢れ出ている。
とても一つの存在が扱い切れるような量ではないが、その源はどこにあるのか。
「人間だけじゃなくて全ての魂を昇華の材料にできるなんてね。」
通常悪魔の昇華に足る魂はそれなりの質が必要だ。
それはゴブリンや弱い魔獣では不足しており、強い魔獣では生息数が少なすぎる・
質を満たし、かつ数が多い点で悪魔は人間を利用することを好んでいる。
だが実のところ、人間は必要な魂の質を少し超えている。
この魔法はこれを利用していた。
全ての魂を混ぜ合わせ質を平均化させる。
人間の魂からゴブリンの魂へと足りないものを流し込む。
こうすることによって数という問題を解決し圧倒的な早さでかき集められる。
「だというのにまさかあんな邪魔が入るなんて。」
この魔法を用意するのは簡単なことではなかった。
質を平均化し全てを取り込む以上、その器となる宝石ごと吸収することになる。
つまり使い切りだ。
再び手に入れるにはかなりの時間を要することになり計画を後ろ倒しにせざるを得ない。
入念に準備をしたこの儀式に妨害が入っている。
それも野放しにしておけば全てをめちゃくちゃにした上に、彼女自身にも危険が迫るほどの。
だからこそ数で押し潰した。
あれほどの強さの前には数は敵ではないとはいえ無視することもできない。
少しでも足を止めさせることができれば魂を収穫できることも含めて一石二鳥の策だ。
加えてどうこうを監視させこうして報告もさせた。
唯一の不安要素はあの金髪だから、どこに現れるかが重要だった。
もし真っ直ぐにここに現れれば儀式は諦め人間の魂だけを昇華させることで妥協する。
その程度の時間稼ぎであればできると確信していた。
しかしもし、長の方へ釣られていれば儀式を行うだけの余裕が生まれる。
侵入し、あまつさえ逃げられたあの黒猫は邪魔こそできても敵ではない。
碌な反撃もできずに追い詰められ逃げる手段はあったようだがそれだけで彼女を止めることはできないのだ。
「だから、報告ご苦労。」
一歩後退り宝石から逃げ出すように背中を見せながら走り出したゴブリンに魔法を放つ。
ぴしゃりと血が舞い、燃え滓だけが残っているのを確認して宝石の方を向き直す。
「さあ、始めましょうか。」
彼女の魔力を魔法陣と同調させる。
魔法陣を通して魔法を発動させるための最も基本的にして最初のプロセスだ。
今頃あちらで強烈に湧き上がった魔力に驚いているだろうが、今更間に合うはずが
「始めよう。」
「誰ッ!?」
首をギロリと一周回して背後に立つ女に気づく。
金髪を靡かせた女はここが戦場ではないかのように優雅に立っていた。
「チッ!」
肉薄して振られた剣を左腕を犠牲に防ぎ距離を取る。
こちらはこの宝石を守りながら戦わなければならない。
「その左腕ではもう戦えまい?」
「馬鹿ね。私は肉体労働はしない主義なの。」
残った右手で流れるように魔法を放つ。
並の人間であれば脳が危険を感じる前に焼き尽くすそれは軽々しく剣で払われる。
「残念だな。」
この一瞬の攻防で魔法が効かないことを悟った彼女は抵抗をやめて尋ねる。
「なぜここに!」
「時間稼ぎか?だが乗っかってやるさ。」
アカネとしてはどちらでも良かった。
どのみち昇華のタイミングでは隙ができる。
このまま儀式を進めたとして逆転の目はない。
「あちらには私の相棒に行ってもらっていただけだ。ここに悪魔がいると分かっていて放置するわけないだろう。」
確かに悪魔がグランツァに乗り込んでくる可能性もある。
しかし、わざわざゴブリンの群れを強化し魔法陣を用意するような性格をしているのに敵陣に乗り込んでくるだろうか。
そんな自信があれば初めから自分で戦えばいい。
結局、人間に確実に勝てる自信がないからこそそのような迂遠なやり方をとっているのだ。
であればやはり初めから目的は儀式の達成。
そう読んだアカネはレオの下へアカネに化けたミーを付けていた。
ゴブリンの長程度であればミーでも問題はないし、剣の腕は遥かに及ばないが魔法の多彩さでアカネがいるように見せかけることはできるはずだ。
そして目標が自分ではないと安心した悪魔は儀式を開始するだろう。
「だが私がいなければその博打は!」
「だからこちらも偵察させてもらった。」
金髪が半歩引いて開けた直線上にはあのゴブリンの死体があった。
いや、あったはずだ。
確かに血は残っているが燃え滓が消えている。
「あんのクソ猫!」
逃げていくゴブリンの影に忍ばせた魔法でずっと状況を把握していた。
頃合いを見て魔法で位置を入れ替えたのだ。
ミーに二回もしてやられた悪魔はそう罵った。
だが怒り狂っているように見えて頭の中は冷静だった。
もはや他に何を仕掛けられているか分からない。
こうなった以上作戦は放棄して身の安全を優先させる。
「逃がさないさ。悪魔を逃して命を付け狙われるのは嫌なんでな。」
「逃がしてくれるのであればもう関わらないと」
「あ、いや。」
一縷の望みを見出した彼女の言葉を止めて、短く言った。
「もう斬った。」
体を確認した。
緩やかに視界が上を向いていく。
胴が見える。
目が閉じる。
意識が消える。
「ああ...意地を張って逃げ出さなかった時に負けていたのね...」




