十三話 強行偵察
「全く猫使いが荒いのにゃ。」
新月の夜、月明かりすらない暗闇の中を物音ひとつ立てずに進む影がある。
「これは明日は一日休暇を貰うしかないのにゃん。一日中眠ってやるにゃん」
ぶつくさと文句を言いながらもその足取りは非常に軽い。ともすれば、馬車なんかに乗るよりも自分で走った方が早いのではないかと思えるほどだ。まあ疲れるので絶対にそんなことはしないだろうが。
「...」
ぴたりと足を止め、射抜くような視線を向けた先には斥候役らしきゴブリンの姿がある。らしきというのは厳密には姿が異なるわけではないが、このような時間に少人数で周囲を警戒するように動いているところを見てそうであろうと考えられているだけだ。
ここで消してしまってもいいが、万が一にも取りこぼしがあると無駄に警戒させることになる。今は侵攻の準備をしてくれた方が都合がいいので無視することに決めた。
「ふう、行ったにゃんね。」
しばらく息を潜めて隠れていると、何事もなく去っていく。ゴブリンだけあって警戒能力はそれほど高くなく、じっと観察するミーの気配には気づきそうにもなかった。
「きちんと斥候を出しているのにゃ。」
通常の群れでは夜中にわざわざこうやって辺りを警戒させるようなことはしていない。せいぜいが集落に見張りを立てるぐらいである。それでさえ見張り役が寝ていることも多い。きちんと周囲を見張らせてるということはそれだけ頭が回るか、そう言い聞かせられるだけの武力があるかのどちらかだ。
「これはますます情報を持ち帰る必要があるにゃん。」
もし相手の総戦力がこちらの想定を超していた場合、アカネをレオにつけることができなくなる可能性がある。もしグランツァ自体が物量で押されれば長を討伐できたとしてもこちらの敗北になってしまうからだ。相手の戦力が分かっていれば初めからそのための配置ができるが、土壇場で配置を弄ることはなかなか難しい。ミーの持ち帰る情報次第で線局が変わる可能性がある。
森の中ではゴブリン以外の生物にほとんど出くわさなかった。下手に探知の上手い獣と出会い騒がれるよりかは遥かにマシであるし、ゴブリンが食料を求めて侵攻しているという仮説を補強する材料にもなる。討伐後に森で稼ごうとする人間が現れるかはわからないが、いるとしたら獲物を探すのに相当苦労することになるだろう。
時たま背の高い木の上に登り方角を確認しながらもどんどんと森の奥へと進んでいくと、ついに木の頭がない開けた空間が見えるようになる。
「あれが拠点にゃんか。」
今はまだ遠くに見えるだけだが、ここからはより一層注意していかなければならない。なにせ斥候を出すほどの余裕があるわけで、拠点に近づけばなおさら見張りが固いことは想像に難くない。ここにきて見つかればここまでの苦労が水の泡である。主に、じゃあここまで走ってきても変わらなかったじゃないかという点で。そんなことになったら心がもたない。なんのためにえっちらおっちら忍足で歩いてきたと言うのか。
「にゃん。」
くるっと回転した後にはそこに人間の姿はない。視線を落とすと、黒猫が四つ足で立っている。
ここまでは速度重視で人型で歩いてきたが、猫であることの利点その一に隠密性としては猫の方がサイズも小さく長けていることが挙げられる。移動にこそ時間はかかってしまうが背に腹はかえられぬ。ここは大人しくこの肉球で地面を踏み締めてやるにゃ。
利点そのニ、猫であれば不安定な足場もすいすいと歩ける。まあこれは人間でもできなくはないが、猫の方が遥かに安定性がある。木から木へと、ひょいと飛び移り全く地面を歩むことなく進んでいけば遠くに見えていた拠点もいつの間にかすぐそこにきている。
「とりあえず、前回から変わったところがないかだけ見とくにゃん。」
ついこの前この拠点を見にきた時には侵攻のためにかなりの数が出払っており、斥候に出会うことはほとんどなかった。そのためにスムーズに移動ができたのだが馬を外に置いていたのであまり長い時間離れるわけにもいかずひとまず地図に位置と、かるく風景を描くに留めていた。
はらと風景画を開いて見比べると、おおよそのサイズは変わらないように見えるが拠点の中心部にあった建物が須く取り壊され、代わりに仄かに赤黒い光を放つ円が描かれている。
「あー、絶対やばいにゃんね。」
尻尾がぴりぴりと震えて告げる。あれはこの世の物ではないと。
「はあ、見にいくしかないにゃんか。」
遠目で見た限りは円の中にも書き込みがあったようだが、流石にここからその詳細までは覗けない。それに、もし壊せそうなら今すぐにでも壊してしまった方がいい。となると自らの足で近くに寄る必要がある。
「ふん。」
人間の姿の二、三倍はあろうかという堀と塀を軽々と飛び越え、建物の屋根に乗る。木や土で作られた古い作りの建物ではあるが、これだけの数の建物を建てているとなるとその人口は考えたくもない。中から聞こえてくる寝息の主人を起こさないように慎重に、しかし軽い足取りで屋根を伝って移動していく。
「うにゃあ。よくない気配しかしないのにゃ。」
禍々しい気配は中心部に近づくにつれて増していく。と同時に、今回の一件が単なる肥大化したゴブリンの群れの討伐では済まないだろうと言う予感が確信に近づいていく。あの時中心に見えたのは恐らく何らかの魔法陣。しかしまさかゴブリンの長が自力で魔法陣を開発したとは思えない。何者かの入れ知恵が働いているはずだ。
ある程度の距離をとった状態で再び紙とペンを取り、さささと魔法陣を記録していく。ミーもアカネも魔法陣の解析は得意な方ではないが、グランツァ侯爵がそういう人材を持っている可能性はあるし、そうでなくとも記録しておいて損はない。
「...壊しておくにゃ。」
眼前にマナを集めていく。地面になんらかの方法で描かれた魔法陣となれば、地面ごと破壊するのが一番いいだろう。溜まったマナを地面へと流しこみ、内部から爆発しようとした。
「邪魔をしないでくれる?子猫ちゃん。」
ふっとかき消されたマナは、それだけで相手の方が魔法操作で上手であると悟らされる。相手にとって有利な条件下であるとはいえ、こちらも本気で破壊しにかかっていた。その魔法を発動する前に止められるのは並大抵の実力ではない。その上最悪なことに、マナを集めたことでこちらの存在に気づかれている。
「にゃー、猫にゃー」
猫の姿であることの利点その三。相手が猫だと勘違いしてくれるかもしれない。
「んにゃー...あぶにゃ!」
「馬鹿にしているのかしら?」
飛んできた火の玉を別の建物に飛び移ることで避けるが、元いた建物はその衝撃でばらばらに崩れて燃えている。直撃していたらぷりちーな毛並みが丸焦げになっちゃうにゃん。恐ろしや。
「これは逃げるが勝ちってやつにゃんね。」
「あら、逃げれるとでも。」
次から次へと魔法を放っては建物を破壊していく。別にゴブリンの棲家なのでどうでもいいのだが一応味方じゃないのか。
「どこまでもついていくわよ。」
「ストーカーにゃ!」
こちらの魔法は無力化される以上、反撃の手段が著しく乏しい。せいぜいが瓦礫を無理やり吹っ飛ばすぐらいだが容易く障壁に止められている。
それでもなんとか集落を出ようと集落の端までは逃げ切ったが、飛び越えようとしたところで鼻っ面を壁にぶつける。
「逃すわけないじゃない。」
ぼとりと地面に落ち、塀を見上げると先ほどの高さからさらに土の壁がかなり高くまで続いている。少なくとも何の準備も無く飛び越えられる高さではない。壁はそのままミーを囲むように迫ってくる。
「これであなたは檻の中。大人しく私に飼われることね。」
「...ミーは野良猫にゃ。誰にも飼われないにゃんよ。」
「あら、それは残念。」
そう言うと右手を高くかざす。そこには小さな火種があった。
拍子抜けしたのはほんの一瞬、火種は集落全体から炎を集め見るみる間に巨大化していく。
「それで建物を燃やしてたにゃんね。」
「さようなら子猫ちゃん。」
右手をふいと動かすと炎は猫を包み込み、その勢いのままに集落の一角を食べ始める。瞬きする間に燃やせるものなど全て燃やし尽くしてしまったというのに未だに止まらない火の手の中を優雅に降りる。
猫がいた場所には焼け焦げて原型を留めていない何かがあった。
「...人形?」




