十一話 街への道
「にゃあ、やっと着いたにゃ。」
御者台から地平線から顔を出したグランツァの城壁が見えてくるとようやく着いたのかと肩の荷が降りる。ぱかぱか引っ張るのは馬の仕事とはいえ、なんでもない道を襲撃に遭わないか警戒しながら進むのは精神的な疲労がすごい。
「二人とも、もう見えて来たにゃんよ。」
「そうか。ありがとうミー。」
気持ち大きめの声でキャビンの中まで聞こえるようにそう言うと、窓から顔を出してアカネが礼を告げる。そのまま先の方を眺めると、グランツァの重厚な城壁が聳えている。しかしその手前の平原では先日の侵攻の跡が所々に垣間見える。
前回は相手にとっては小手調べだったかもしれないが、その成果が発揮されることは金輪際ない。
「ということでアドラ殿、そろそろ着きますよ。」
「ええ、ええ。ありがとうございます。」
馬車の中だと言うのに、用意されたテーブルにクロスを敷き紅茶を楽しんでいる。アカネの荷物を置くために広くとっている車内は高貴な存在を運ぶのにも役にたつ。加えて命を狙われる可能性のあるような人間にとって、逃げ場がないように見える空間でもむしろ安心感が勝る。
「グランツァにいても、こうも気を抜いて過ごせることはなかなか無いですから。」
確かに普段過ごすような屋敷の一室と比べれば使用人でさえマシな部屋を使っているかもしれないが、その分誰かしらの目がある。余計なことをして足を引っ張られるような愚かな真似はできないので日頃の行いどころか姿勢一つとっても気をつけなければならない。それを思えば多少狭くとも振る舞いに気を張る必要がないのは決して贅沢ではないが貴重な時間だった。
「グランツァ侯の屋敷ならそのような噂好きも少ないだろうに。」
「それでも古今東西口の軽い人間は絶えませんから。」
どこか苦労の滲む表情で笑いながら答える。まあ、侯爵の代理を任されるような存在なのだから、一騎士とは比べものにならない重積があるのだろう。アカネは特に気を使うようなことはしないが、それでも一般的な振る舞いというのは身についている。どこぞのにゃんことは違うのだ。
「へっくち!うう、だいぶ寒くなって来たにゃ。」
ぶるぶると毛並みを揺らし、一刻も早く暖かいところに入りたいと馬を飛ばす。もうグランツァは目と鼻の先、馬も早く休みたいので協力してくれるはずだ。
「着いたらご褒美もあげるにゃんね。」
ミーの言葉を理解したのか合図に反応したのか、ぱからぱからと駆け足で進んでいく。そんなことをしたところで門に近づいたらスピードを落とさざるを得ないのだが。
良い子にゃんと感心しながら、ついこの前潜って来た森の中をちらりと観察する。日が暮れ始め、既に真っ暗になった森の中は風に流され静かに蠢いている。その奥には木々どころか城壁でさえ比べ物にならない雄大な山が座っている。隆興の中でグランツァは人間も建物も増え、今ではその土地を借りるのにも金貨が何枚必要かわからない。この外壁を広げる計画も、まだまだ単なる案でしかないが進んでいると聞く。そうなればいつしかこの森を切り開く時もくるかもしれない。
「まあその時にはもうミーはぽっくりいってると思うけどにゃ。そこまで開発されるのにどんだけ時間がかかるか分かったもんじゃないにゃ。」
それもこれも今回の事がうまく進んだらにゃんねと、手綱をぎゅっと握る。ミーが関わっていることはほとんどないが、それでも何かあった時のバックアップとして備えておかねばならない。
「ミー、帰ったら先に訓練所に寄ってくれ。」
「侯爵のとこじゃなくていいにゃん?」
物思いに耽ていると後ろからアカネが声をかけてくる。別にどこに行こうがミーとしては問題ないが、グランツァ侯爵のところに行くのが礼儀としては正しい。それに今回はアドラさんも乗っている。まずは屋敷に送り届けてからの方がいい気がするが、わざわざ言ってくるなら理由があるんだろう。
「ああ。どうせグランツァ侯爵ならレオのところにいるさ。あの人の面倒見の良さは伊達じゃないからな。」
「あー...今頃レオと一緒に剣振ってる姿が目に浮かぶにゃん。」
何かあった時に戦えた方がいいからとか言って自分の鍛錬している姿が容易に想像つく。歳が歳とはいえこれまでに培って来た経験はレオより遥かに多いため、下手をしたらレオより先に岩を割る可能性すらある。流石にそんなことをしたら身体中が筋肉痛でこれからしばらくまともに動けなさそうだけど。
「ライル殿も戻って来ているでしょうし、理論的な部分を詰めているかもしれませんね。」
アカネとは違い窓から顔を出すようなことはしないが、自分の側の窓を開けてアドラも会話に加わってくる。一応護衛の立場としては、窓でも矢の勢いを多少は落とす事ができるのでその壁を一枚自分から無くすというのはあまり好ましいことではないが、まさかここまでグランツァに近づいてそんなことしでかすやつがいたらむしろその度胸を買いたいところである。一瞬で門から兵が出て来てぼこぼこにされるだろう。
ぽくりぽくりと少しずつ速度を落としながら門に近づいていく。もう日が暮れるというのに未だにいくらか残る列を素通りすると一瞬こちらに顔を向けてくるもののすぐさま顔を逸らす。列に並ばない人間なんて相当な馬鹿かそれが許されているかの二択であり、どちらにしても関わったら損をする可能性がとても高い。何か目的がないなら大人しく目を背けるのが賢い対応なのだ。
「規定により、通行証又は身分の確認できるものを御提示願います。」
それは門兵とて同じで、まずは万が一の時にも問題ない恭しい態度で尋ねてくる。馬車の作りは高価ではあるが紋章が入っているようなものではない。馬の毛並みは艶も出て一級品であるためそれなりの身分にあることは察せられるが、それにしたってどこかから盗んできたという可能性が捨てられるわけではない。
門兵として数十年の人生の中で、そのような本当の愚者に出会ったことは数度ある。せっかく高価な馬が盗めたのだから大人しく外で売れば良いものを、自分から目立って捕まりにくるのだからとんでもない阿呆だ。
目の前の御者は猫獣人と珍しい存在な上、ちらりと覗けた車内の人間の身なりも相当値の張るものに見えた。これで頭のおかしい人間だった場合は周りに待機する同僚と共に留置所に連れて行くだけである。
「はいはいこれでいいにゃんね。」
首から下げた金属製の紋章を取り出すと、慌てて態度を改める。
「グランツァ侯爵のお身内の方でしたか!」
「そうにゃん。これで問題ないにゃん?」
「はい、グランツァへようこそお越しくださいました。」
門と接続する大通りなだけあって馬車が何台も横に並べるような道路だが、それもこの時間ではそれほど往来は多くない。グランツァに来た時には侵攻のどたばたで全く進まずに御者台でふて寝でもしてやろうかと思ったほどだが、このくらいの時間なら快適なものである。
「この時間でも兵士は訓練を?」
馬車の中のアカネとアドラはそんなミーの心境も知らずにのんびりと会話を交わしている。
「いえ、流石にもう終えていると思いますよ。夜番と家に帰るものに分かれて、かろうじて訓練所内の物資の見張りがいるぐらいですか。」
「そうか。...レオはどのくらいやれるようになっているか楽しみだ。」




