十話 昼ごはんを食べよう
「...まだ足りないか。」
アカネに指示されたのは訓練場に置かれた巨岩を一振りで両断できるようになるまでひたすら剣を振り抜くことだった。
極僅かな期間で真面に戦えるようにはならない。正面から討ちあったとて、相手の筋力に押されて叩き潰されるだけである。そのため普通に戦うことは諦め、一撃を通すことだけを目的とした訓練を課していた。
かといって簡単にできるようになるわけもなく。何十何百何千、もはや数えきれないほどに打ち続けても岩が欠けるだけで亀裂が入るなどということはない。剣の腕前は凡人であり、それを攻撃力だけに特化させるとは言え剣の達人並に引き上げようというのだからたったの数日ではまだまだ遠い。それでも太陽が昇る前には起き、誰よりも早く訓練所で剣を振り、月も沈む頃に寝る。
そんな生活を続けるレオをグランツァ侯爵も認識していた。
「精が出るな。」
「グランツァ侯爵!」
からんと巨岩からほんの一欠片が崩れ自らの目標への距離を再認識していたところ、背後からのっそりグランツァ侯爵が現れる。
「昼は済ませたのか?」
「いえ、まだです。」
太陽は直上にあり、グランツァ侯爵と向き合うにも目を細めねばならないほどの晴天だ。そんな中を今日も朝から剣を振り続けていた。
食事自体は使用人がここまで持ってきているが、キリのいいところまでとつい夢中になった結果いつの間にか時間が過ぎてしまっていた。そんなレオを見かねて声をかけたのだ。
「今から昼食を取ろうと思っていたところだ。レオ殿も一緒にどうかね。」
「...ありがたい申し出ですが、私には時間がありませんから。」
アカネが出たのは昨日のこと。予定通りに進んでいれば明日には帰ってくるはずである。それまでに岩を切り伏せる兆しだけでも見れるようにしておかなければせっかくのチャンスを掴み損ねることになる。
「そうか。」
グランツァ侯爵としては、レオが失敗しようがほとんど関係はない。アカネとの関係、アグリ商会との繋がりという仕掛けの中の一つに過ぎず、仮にレオが討伐に失敗してもアカネに仕留められるだけなので心配することもない。
そんな彼がわざわざレオの様子を見にきているのは偏に彼がおせっかいな性格だからであった。
これほどの力を持つ大貴族でありながら脛に持つ傷が限りなく少ないのは彼が黒いことを嫌う質であり、またそんな彼に救われた人間が彼のことを助けようとする人徳の現れでもある。
であれば、この目の前の思い詰めた、自分の半分どころか四分の一ほどしか生きていないちっぽけな青年も放っておけるわけがなかった。
「しかし、飯を食わねば碌に剣も振れまいて。それにただ振るだけが修行じゃない。」
右手を後ろに向けると、そこには一人の騎士が立っていた。
いつの間に居たのだろうか。グランツァ侯爵にばかり気を取られ気づいていなかったが、それほどまでに気配を消すことができるのだろう。そのような騎士がただ気配を消すことだけに長けているということもないはずだ。
「お初にお目にかかりますレオ様。私のことはライルとお呼びください。」
グランツァ侯爵騎士団の中でも指折りの実力者で、運悪くグランツァの外での任務に預かっていたところを侵攻に合い参戦叶わなかった。それを指示したのは他ならぬグランツァ侯爵であり、ライル自身には何の責任もないのだがアカネという幸運が舞い込んでこなければ危うい状況にあったことを悔いており任務期間後の休息を返上してこうして護衛についていた。
「ライル、この岩を...いや、あちらのものにしておこう。あれを斬れ。」
「承知。」
そう言うと、腰に携えた剣をするりと抜く。その所作一つとっても彼とレオとの実力の差はどれだけの断絶があるか、素人であるレオでも感じることができた。岩を剣で斬るというのにその体には全く力が入っていない。否、入っていることが分からないほどにその状態が自然なのだ。
そもそも岩を剣で斬ることは可能なのか。ひたすらに斬りつけながら考えていた。
現状その目処は立っていないが、可能かどうかではなくやれと言われたので無心でやっていただけだ。しかしこうもうまく行きそうもないと流石に考える。
剣を岩に打ち付ければ当然刃溢れする。時には力に負け根元からポッキリ折れることもある。当然だ。相手はぴくりともしない巨岩であり、対するハンマーでもない細い剣なのだから。
「普通、剣で岩を割るなどできん。しかしできる事は知っている。出來る人間を何人も見てきた。」
レオが試みていた岩よりも少し小さい、それでもなおレオの何倍もあろう巨岩へと向かうライルの背中を見てグランツァ侯爵がつぶやく。それはレオへのメッセージだった。
彼の人生の中で、腕の立つ人間は何人も見てきた。剣だけではない、弓や短剣、それが何であろうと唸らざるを得ない妙技を繰り出す者達がいる。だから知っていた。剣で岩を斬ることなど大したことではないと。
できないと思っていることを実現させるのは難しい。もし彼がレオほどの年齢であれば化け物達に追いつかんと剣を極めることもできたかもしれないが、如何せん歳をとりすぎた。今更剣を振ったとて一瞬で腰をやることは目に見えている。
「行きます。」
剣を上段に構える。
レオが心身を賭して剣を振ったこの二日、それを生まれてからほとんどの時間行ってきたような化け物の一人。
剣を振った。今、と思った時には振られていた。起こりは見えなかった。
「流石だ。」
岩は自分が何者であったかも忘れ右へ左へゆらりと倒れる。地面を叩く音が遅れてやってくるが、まさか人間がやったとは思えないほどの重たい地響きが体を揺らす。
「ありがとうございます。」
「さあ、昼食といこう。頭を整理したほうがいいだろう?」
呆然と立ち尽くすレオもその一言で気を取り直す。確かに、今は時間が欲しかった。
「そうさせていただきます。」
「ついて来なさい。」
その衝撃はレオの中にあった疑念を消し飛ばした。あの光景を忘れる事はないだろう。
岩を斬るだなんてそんなことできるわけがないだろうと、僅かに思ったその心はとんでもない間違いであった。
「...ライル殿。私にもできるでしょうか。」
呼ばれたライルは足を止めて振り向く。
「できるでしょう。私にできて、誰かにできないなんて事はありません。」
彼もまた、化け物を見て育った一人だった。容易く、息をするように地を割る人間を見た時は同じ人間ではないと感じた者だ。それと比べれば、ただの岩を割る程度鍛えれば誰でもできるようになると言うのが彼の考えだ。そこに至るまでの彼の血反吐を吐いた努力も、ただそれだけのこと。同じように努力をすれば、彼と同じ技量に至る事はできるはずだ。少なくともレオは良くも悪くも普通であり、できない理由は何一つとしてない。
「精進します。」
そんな思いが伝わったのか、覚悟の決まった表情で返す。アカネが帰ってくるまで残り一日しかない。だが残された時間は、彼がこれまでに生きて来た中で最も色濃い時間になるだろうと言う確信がある。
「いい経験が得られたのなら良かったよ。」
「グランツァ侯爵も、ありがとうございました。」
そのためにも、まずは昼ごはんだ。




