表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『学校では誰にも知られずに卒業したい 〜うちのクラス、隠し事が多すぎる〜』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

73/75

第73話 秘密を守る日ほど、教室の“おはよう”が大事になる

午後の文化祭は、午前より少しだけ騒がしかった。


 昼食を終えた来場者が増え、廊下の声は一段高くなっている。

 焼きそばの匂い。

 紙コップの飲み物を持って歩く人。

 呼び込みの声。

 誰かが階段で笑う声。

 先生に注意されて慌てて走るのをやめる生徒。


 全部、文化祭らしい。


 その中で、真白はA組の入口近くに立っていた。


 午前中、鳴海の声に来場者が反応しかけた。

 長谷川も、学校の中で“アイドルとして”見られた。

 真白自身も、一瞬だけ誰かに気づかれそうになった。


 けれど、まだ壊れてはいない。


 教室は教室のまま。

 文化祭は文化祭のまま。

 鳴海はB組へ戻り、長谷川はまた笑って来場者に対応している。

 澪も自然な位置で動き、ひかりは相変わらず会話を軽く転がし、さやかは廊下と教室を行き来している。


 すべてが無事、とは言えない。

 でも、守れている。


 真白はそう思った。


     ◇


「一ノ瀬さん、これお願い」


 さやかが紙の束を持ってきた。


「何?」

「午後の案内。入口のところに追加で置いて」

「わかった」


 真白は受け取って、入口横の机に並べる。


「この位置でいい?」

「もう少し右」

「こう?」

「そう。ありがとう」

「委員長、声が少し枯れてる」

「言わないで」

「休んだ方がいい」

「休みたいけど、休んだら何か崩れそう」

「それ、休んだ方がいい人の言い方」


 真白が言うと、さやかは小さく笑った。


「一ノ瀬さんにそれ言われるようになるとは思わなかった」

「どういう意味」

「前なら、自分も休まずに静かに無理する側だったから」

「……」

「何その顔」

「いや」

 真白は案内紙の端を揃えながら言った。

「それは否定できない」

「今は?」

「今は、少しなら人に言える」

「かなり進歩」

「褒めてる?」

「かなり」


 さやかはそう言って、また廊下へ戻っていった。


 その背中を見送りながら、真白は思う。


 今日、自分はちゃんと教室の中にいる。

 見られたくないから奥へ隠れているだけではなく、必要な紙を置き、来場者に説明し、誰かに声をかけている。


 それは少し前の自分なら、考えられなかったことだ。


     ◇


 午後一番の混雑が少し引いたころ、B組から長谷川がやって来た。


「休憩いい?」

「どうぞ」

 ひかりが椅子を引く。

「息抜き席、午後も営業中」

「その店名、そろそろ正式採用されそうで怖い」

「店長は鳴海さん?」

「何で」

 ちょうど後ろから来た鳴海が、静かに突っ込んだ。

「いるんだ」

 真白が言う。

「いる」

「大丈夫?」

「大丈夫ではないけど、戻れる」

「……そっか」

「午前と同じ答え」

「それで十分」


 鳴海は長谷川の隣に座った。


 午前中より顔色は戻っている。

 けれど疲れは残っていた。

 声の出し方も、いつもより慎重だ。


 音々が近くに来て、鳴海を見る。


「鳴海さん、午後は声を減らした方がいい」

「うん」

「案内、紙を指すだけでもだいたい伝わる」

「そうする」

「水も飲んだ方がいい」

「うん」

「あと、深呼吸」

「瀬川さん、今日けっこう世話焼き」

「音だから」

「それ理由になってる?」

「なってる」

 ひかりが即答した。

「かなり」


 鳴海は少しだけ笑った。

 声のない笑い方だったけれど、午前中よりずっと柔らかい。


 長谷川は机に肘をつき、廊下の方を見た。


「午前中、ちょっと嫌だったけど」

「うん」

 真白が返す。

「でも、午後になって思った」

「何を?」

「ひとりじゃないと、だいぶ違う」

「……」

「視線が来ても、隣に誰かいると、まだ学校に踏みとどまれる感じ」

「わかる」

 鳴海が静かに言った。

「ひとりだと、ただ見られる人になる」

「うん」

「誰かといると、同級生になる」

「……」

 真白は、その言葉をしばらく胸の中で転がした。


 誰かといると、同級生になる。


 それは今日の文化祭をそのまま表していた。


     ◇


 澪が、手に紙コップを持って戻ってきた。


「水、追加」

「ありがとう」

 鳴海が受け取る。

「長谷川さんも」

「助かる」

「真白も」

「私も?」

「顔が少し疲れてる」

「出てる?」

「出てる」

「何ミリ?」

 ひかりが聞く。

「今日は五ミリ」

「高い」

「文化祭だから」

「単位が文化祭仕様」


 小さな笑いが起きる。


 真白は紙コップを受け取った。

 冷たい水が、思っていたよりありがたかった。


「朝倉さん、午前中ずっと動いてたよね」

 長谷川が言う。

「少しだけ」

「少しじゃない」

 鳴海。

「私、かなり助かった」

「ならよかった」

「褒めてる」

「かなり?」

「かなり」


 澪は静かに笑った。


 その笑い方は、いつもの澪より少しだけ力が抜けている。

 今日一日、澪もずっと気を張っていたのだろう。


「朝倉さんも休んだ方がいい」

 真白が言うと、澪は少し驚いたようにこちらを見た。

「真白がそれ言う?」

「言う」

「……」

「何その顔」

「いや」

 澪は小さく笑った。

「言われる側になると思わなかった」

「今日はみんな言われる側」

「文化祭ってそういう行事?」

「たぶん」


 また笑う。


 少しずつ、空気が戻っていく。


     ◇


 午後の来場者の流れは、完全に穏やかになったわけではなかった。


 ときどき、長谷川を見る視線がある。

 鳴海の声に反応しかける人もいた。

 真白も、一度だけ展示説明をしている最中に「動画で聞いたことある声に似てる」と言われ、ひかりに「今の時代、みんな動画で何かしら聞いてますからね」と流してもらった。


 それでも午前中より、みんなの動きが自然になっていた。


 長谷川が疲れたらA組に来る。

 鳴海が声を使いすぎそうになったら、澪や音々が別の動きを作る。

 さやかが導線を調整する。

 風間先生が廊下の流れを見ている。

 ひかりが会話を明るい方へ逃がす。

 絵麻が、誰かの表情が沈みすぎる前に小さな言葉を置く。

 木乃葉は、なぜか必要なときだけ起きて「そこ危ない」と言う。


 誰も完璧ではない。

 でも、ちゃんと回っている。


 それが少し、文化祭らしかった。


     ◇


 夕方近くになり、一般来場者の数が減り始めた。


 廊下の騒がしさが少しずつ遠のいていく。

 展示を見に来る人もまばらになり、呼び込みの声もどこか疲れたものになる。


 A組の中も、少し空気がゆるんだ。


「終わった……?」

 ひかりが机に手をつく。

「まだ片づけがある」

 さやかが言う。

「委員長、そこは一回夢を見せて」

「片づけまでが文化祭」

「現実が強い」

 木乃葉が伏せたまま言った。

「今日は木乃葉さんもけっこう働いたよね」

 絵麻が言う。

「概念的には」

「物理的にも少し働いてた」

「じゃあ褒めて」

「かなりえらい」

「受け取る」


 教室に笑いが落ちる。


 そこへ、長谷川と鳴海がやって来た。


「B組も一段落」

 長谷川が言う。

「お疲れ」

 真白が返す。

「そっちも」

「疲れたね」

「疲れた」

 鳴海が短く言う。

「でも、終わった」

「一日目は」

 さやかが訂正する。

「明日もある」

「言わないで」

 長谷川が机に突っ伏す。

「それ、B組でやらなくていいの?」

「今はA組の方が静かだから」

「褒めてる?」

 ひかり。

「かなり」


 鳴海は、いつもの席に座った。

 もう誰もそこを不思議がらない。


 真白はそれを見て、少しだけ笑った。


「何?」

 鳴海が聞く。

「いや」

「また何か考えてる」

「うん」

「何を?」

「今日、ちゃんとここが避難場所になってたなって」

「……」

「避難場所」

 長谷川が顔を上げる。

「うん」

「たしかに」

 鳴海も小さく頷いた。

「A組、今日はかなり助かった」

「それは」

 ひかりが言う。

「褒めてる?」

「かなり」

 長谷川と鳴海が、ほぼ同時に答えた。


 その重なり方が少しおかしくて、教室が笑った。


     ◇


 片づけが始まる前の、ほんの短い休憩時間。


 誰も大きな話はしなかった。


 ただ、疲れた顔で水を飲んだり、椅子にもたれたり、机に突っ伏したりしていた。


 でも、その沈黙が心地よかった。


 今日一日、みんな何かを守っていた。

 大げさに言えばそうなる。

 けれど本人たちにとっては、たぶんもっと小さい。


 隣に立つ。

 声を流す。

 紙を渡す。

 椅子を引く。

 水を置く。

 先生を呼ぶ。

 目立たない位置へ移動する。

 見られすぎないように、ただの同級生として話す。


 その積み重ねで、一日目は何とか守れた。


「ねえ」

 絵麻がぽつりと言った。

「何?」

 真白が見る。

「明日の朝も、普通におはようって言えたらいいね」

「……」

 誰もすぐには返事をしなかった。


 でも、その沈黙は同意だった。


 文化祭はまだ明日もある。

 危うい場面はまた来るかもしれない。

 今日よりもっと近いところまで、外の視線が入ってくるかもしれない。


 それでも、明日の朝、この教室で普通に「おはよう」と言えたなら。


 それはきっと、かなり強い。


「うん」

 真白は小さく頷いた。

「明日も、おはようから始めたい」

「それ、いいね」

 長谷川が言う。

「明日もそれでいこう」

「うん」

 鳴海も頷く。

「おはようから」


 澪が真白の方を見る。


「真白」

「何」

「明日も早めに来る?」

「来る」

「じゃあ、私も」

「……」

「何その顔」

「いや」

 真白は少しだけ笑った。

「それも、ちょっと安心する」

「褒めてる?」

「かなり」

「受け取る」


 教室にまた小さな笑いが落ちた。


     ◇


 そのあと、片づけが始まった。


 紙コップを捨てる。

 入口の案内を明日用に直す。

 倒れかけた飾りを補強する。

 不要な紙をまとめる。

 机の位置を少しだけ戻す。


 疲れているのに、みんな手は動いた。


「このテープ、まだ使う?」

 鳴海が聞く。

「使う」

 さやかが即答する。

「文化祭二日目の朝、絶対どこか剥がれてる」

「経験則?」

「学校の法則」

「また出た」

 長谷川が笑う。


 ひかりが入口の紙を見ながら言う。


「明日は、今日より混むかな」

「たぶん」

 澪。

「午前より午後が怖い」

 音々。

「音で?」

「人の流れで」

「やっぱり音なんだ」

「うん」


 真白は、その会話を聞きながら紙をまとめていた。


 明日への不安はある。

 でも、今日の朝ほどではない。


 一日目を越えたからだ。

 誰かが危うくなっても、完全には壊れなかったからだ。


 そして何より、自分たちはもう、守り方を少し知っている。


     ◇


 帰り際、教室の電気を消す前に、真白は一度だけ振り返った。


 文化祭仕様のA組。

 少しだけ乱れた机。

 壁の掲示。

 入口の案内。

 端に置かれた椅子。


 そこには、今日一日の疲れと、守れたものの跡が残っていた。


「どうしたの?」

 澪が聞く。

「いや」

「うん」

「今日、ここがあってよかったなって」

「……」

「何その顔」

「今の、かなりわかる」

 澪が言う。

「私も、そう思う」


 廊下の向こうから、長谷川の声がした。


「明日、遅れないでよー」

「そっちこそ」

 鳴海が返す。

「私は起こす側」

「怪しい」

「ひどい」


 その会話が遠ざかっていく。


 真白は小さく笑った。


 秘密を守る日ほど、教室の“おはよう”が大事になる。

 今日、それが少しだけわかった。


 外の視線が入ってきても。

 見られたくない人が廊下にいても。

 それでも、朝に戻れる場所があれば、たぶん人は少し強くいられる。


 明日もまた、おはようから始めよう。


 真白はそう思いながら、A組の電気が消えるのを見届けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ