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『学校では誰にも知られずに卒業したい 〜うちのクラス、隠し事が多すぎる〜』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第72話 それでも“ただの教室”を守りたい

 危なかった。


 それは、誰かが口にしたわけではない。


 けれど、そこにいた何人かは、たぶん全員同じことを思っていた。


 鳴海詩音のたった一言に、来場者の男が反応した。


 もしかして――。


 その先が続く前に、風間先生が廊下の流れを動かした。

 長谷川琴葉が前に立った。

 澪が鳴海を奥へ下げた。

 ひかりが真白を止めた。


 たぶん、全部が一秒か二秒の中で起きた。


 文化祭の廊下は、何も知らない人たちの声でまだ騒がしい。

 A組の展示にも人は入ってくる。

 B組の前にも人がいる。

 どこかのクラスが呼び込みをしていて、階段の方から笑い声も聞こえる。


 世界は止まっていない。


 でも真白の中だけは、一瞬だけ時間が遅くなったようだった。


「一ノ瀬さん」


 ひかりが小さく呼ぶ。


「うん」

「顔」

「……出てる?」

「かなり」


 真白は息を吐いて、表情を戻そうとした。


 A組の入口に立っている自分が固まれば、それも目立つ。

 今は、自分ができることをしなければならない。


 展示を案内する。

 来場者の流れを止めない。

 不自然にB組を見すぎない。

 鳴海のところへ行きたい気持ちを、一度だけ飲み込む。


「大丈夫」

 ひかりが言う。

「今は、あっちに澪と長谷川さんがいる」

「うん」

「先生もいる」

「うん」

「だから、こっちはこっち」

「……わかった」


 真白は頷いた。


 昨日の会議で決めたことは、こういう瞬間のためにあったのだ。


     ◇


「すみません、これってどういう展示ですか?」


 来場者の女性に声をかけられた。


 真白は一瞬遅れて、展示の方へ向き直る。


「はい。文化祭準備の記録と、クラス企画の紹介です」

「へえ、すごく丁寧ですね」

「ありがとうございます」


 言葉は出た。

 声も震えていない。

 たぶん、普通にできている。


 ひかりが横から補足する。


「このあたり、昨日ギリギリまで直してたんですよ」

「そうなんですね」

「文化祭前日って、だいたい紙とテープと委員長でできてます」

「委員長?」

「はい。うちの委員長、今日すでに三日分くらい委員長してます」

「何それ」


 来場者が笑う。


 真白も少しだけ笑えた。


 ひかりは本当にすごい。

 さっきまでの危うさを、そのまま重く残さない。

 けれど、なかったことにもしない。


 文化祭の空気を、文化祭のまま回している。


 それが今、いちばん大事だった。


     ◇


 しばらくして、B組の方から澪が戻ってきた。


 歩き方はいつも通りに見えた。

 でも、真白には少しだけわかった。

 気を張っている。


「鳴海さんは?」

 真白が小声で聞く。

「奥にいる。長谷川さんと一緒」

「大丈夫そう?」

「大丈夫とは言わない」

「……うん」

「でも、崩れてはいない」

「そっか」


 澪は少しだけ視線を廊下へ向けた。


「さっきの人、まだいる?」

「たぶん」

 真白は答えた。

「完全には離れてない」

「先生が見てる」

「うん」


 廊下の向こうでは、風間先生が来場者の流れをさりげなく整理していた。

 ただの通路整理にしか見えない。

 けれど、あの位置に立っていることで、B組の前に人が滞留しにくくなっている。


 先生は、やっぱり全部わかっている。


「風間先生って」

 真白が小さく言う。

「うん」

「ほんとに、先生なんだね」

「何その感想」

「いや」

 真白は少しだけ笑った。

「担任とか、大人とか、そういうのをちゃんとやってくれる人なんだなって」

「うん」

 澪は静かに頷いた。

「今日はそれがかなり大きい」


     ◇


 昼休みに入る少し前、来場者の波が一度ゆるんだ。


 そのタイミングで、長谷川が鳴海を連れてA組へ来た。


 鳴海は顔色が悪いわけではない。

 でも、いつもより声を出したくなさそうだった。


「こっち、座って」

 絵麻がすぐに椅子を引く。

「ありがとう」

 鳴海は短く言った。


 その声は、あえて平坦にしている感じがした。


 長谷川が隣に座る。

 ひかりは何か言いかけて、言わなかった。

 音々は少し離れた場所に立って、廊下の音を聞いている。

 木乃葉は机に伏しながらも、今日はちゃんと目を開けていた。


 真白は、鳴海の前に紙コップを置いた。


「水」

「……ありがとう」

「うん」


 それだけでいい。


 大丈夫? とは聞かない。

 昨日、そう決めたから。


 でも、何も渡さないのも違う気がした。


 鳴海は紙コップを両手で持ったまま、しばらく黙っていた。

 それから、小さく言った。


「やっぱり、近いね」

「……」

「外の人の視線」

「うん」

 真白は頷く。

「思ってたより近い」

「文化祭って、学校なのに」

「うん」

「学校の中なのに、外が入ってくる」

「……うん」


 鳴海は水を一口飲んだ。


「私、さっき」

「うん」

「声出した瞬間、あ、来たって思った」

「……」

「自分でもわかった」

「……」

「何その顔」

「いや」

 真白は少しだけ言葉を選んだ。

「それ、怖かっただろうなって」

「うん」

 鳴海は素直に頷いた。

「怖かった」


 その一言に、誰も茶化さなかった。


     ◇


「でも」

 長谷川が言った。

「止まったよ」

「……」

 鳴海が見る。

「全部は言われなかった」

「うん」

「先生もいたし、澪もいたし、A組もいた」

「……」

「だから、まだ学校の中に戻れてる」

「……」


 鳴海は長谷川を見て、少しだけ目を伏せた。


「琴葉って、たまにすごくまっすぐ言う」

「たまに?」

「たまに」

「毎回じゃないんだ」

「毎回だと疲れる」

「ひどい」


 そこで、少しだけ笑いが起きた。


 大きな笑いではない。

 でも、鳴海の口元もほんの少しだけ動いた。


 真白はそれを見て、少し安心した。


「ねえ」

 ひかりが控えめに言う。

「何」

 鳴海が見る。

「今、無理に元気づける時間じゃないのはわかってるんだけど」

「うん」

「一個だけ言っていい?」

「うん」

「鳴海さん、ちゃんと学校側に戻ってきてるよ」

「……」

「さっき、危なかったけど」

「うん」

「今ここで水持って、長谷川さんと普通に会話してる」

「……」

「それって、けっこう強いと思う」


 鳴海は少し黙った。


「褒めてる?」

「かなり」

 ひかりが言う。


 鳴海は小さく息を吐いて、今度はちゃんと笑った。


「じゃあ、受け取る」


     ◇


 その頃、B組の前にいた来場者の男は、風間先生に何か声をかけられていた。


 廊下の距離があり、内容までは聞こえない。

 けれど、風間先生の態度はあくまで丁寧だった。

 注意ではなく、案内。

 遮断ではなく、誘導。


 男は少し戸惑った顔をしたあと、風間先生に促されるように別の展示の方へ歩いていった。


「先生、流した」

 音々が言う。

「うん」

 真白も見ていた。

「すごいね」

「音も乱れてない」

「何それ」

「怒ってない。でも通したい方向へ動かしてる」

「……」

「瀬川さん、そういうのわかるんだ」

「声だから」

「強いなあ」

 長谷川が言った。

「褒めてる?」

 音々。

「かなり」

 長谷川。


 鳴海もその様子を見ていた。


「先生、すごい」

「うん」

 真白が頷く。

「たぶん、あれが大人の仕事なんだと思う」

「大人の仕事」

「学校を学校のままにすること」

「……」


 鳴海はその言葉を、静かに受け取ったようだった。


     ◇


 少しして、さやかが戻ってきた。


 実行委員の腕章をつけたまま、いつも以上に疲れた顔をしている。


「状況は?」

「さっき、ちょっと危なかった」

 ひかりが言う。

「でも先生が流した」

「鳴海さんは今A組で休憩中」

「長谷川さんも」

「了解」


 さやかはすぐに状況を把握した顔をした。


「B組前、少し導線変えた方がいいかも」

「できるの?」

 長谷川が聞く。

「実行委員に言って、廊下の片側通行を強める。人が立ち止まりにくくなる」

「うわ」

 ひかりが言う。

「委員長、実務で守りに来た」

「それしかできないから」

「いや、それが一番強い」

 真白が言った。


 さやかは一瞬だけ驚いた顔をして、それから少し照れたように眉を寄せた。


「褒めてる?」

「かなり」

「なら受け取る」


 そう言って、さやかはまたすぐに廊下へ出ていった。


 その背中が頼もしかった。


 今日のA組とB組は、誰か一人がヒーローになるわけではない。

 それぞれが、自分にできる小さな守り方をしている。


 ひかりは会話で流す。

 さやかは導線を変える。

 風間先生は大人として処理する。

 澪は身体の位置で守る。

 長谷川は前に立つ。

 音々は音を拾う。

 絵麻は空気の温度を見ている。

 木乃葉は必要なときだけ短く刺す。

 真白も、自分にできることを探している。


 それが、少しだけ心強かった。


     ◇


 昼休みが近づき、来場者の波がまた変わった。


 風間先生と実行委員の誘導のおかげで、B組前の人だかりは少し解消されていた。

 完全ではない。

 でも、さっきよりずっとましだ。


 鳴海はしばらくA組で休んだあと、立ち上がった。


「戻る」

「大丈夫?」

 真白は思わず聞いてしまった。


 言ったあとで、しまったと思った。

 無理に大丈夫を求める聞き方になっていないだろうか。


 鳴海は少しだけ真白を見て、それから言った。


「大丈夫、ではないけど」

「うん」

「戻れる」

「……そっか」

「うん」


 それでよかった。


 大丈夫ではない。

 でも戻れる。


 その言い方が、今の鳴海には合っていた。


「ひとりでは戻らない」

 澪が言う。

「うん」

 長谷川も立ち上がる。

「私も行く」

「私も少しだけ」

 真白も言った。


 鳴海が少しだけ目を丸くする。


「来るの?」

「うん」

「A組は?」

「ひかりちゃんと絵麻さんがいる」

「委員長も戻ってくる」

 ひかりが言う。

「行ってきなよ。ここはここで回す」

「……ありがとう」


 真白は鳴海たちと一緒にB組へ向かった。


     ◇


 B組の前に立つと、廊下の空気はまだ少しだけ張っていた。


 でも、さっきとは違う。


 人の流れが作られている。

 実行委員が通路を案内している。

 風間先生が少し離れた場所で全体を見ている。


 ここはまだ学校だ。


 真白はそう思った。


 鳴海も、同じことを感じたのかもしれない。

 少しだけ息を吸ってから、自分の位置へ戻った。


 長谷川が隣に立つ。

 澪が少し後ろ。

 真白は展示の端を整えるふりをして、その近くにいた。


 すると、B組のクラスメイトが鳴海へ声をかけた。


「鳴海、さっき大丈夫だった?」

「うん」

 鳴海は短く答えた。

「ちょっと休んだ」

「そっか。無理しないでね」

「ありがとう」


 その会話は、とても普通だった。


 でも、だからこそよかった。


 鳴海が学校側へ戻ってきたのが、真白にもわかった。


     ◇


 昼のチャイム代わりの放送が流れた。


 文化祭の案内。

 午後の企画紹介。

 注意事項。


 校内放送の声が廊下に広がる。


 鳴海がほんの少しだけ顔を上げた。


「放送の声」

 真白が言う。

「うん」

「今は、ただの放送だね」

「……」

 鳴海は少しだけ笑った。

「そうだね」

「学校の声」

「うん」


 その言葉を、鳴海は静かに受け取ったようだった。


 文化祭はまだ続く。

 午後には、もっと人が増えるかもしれない。

 また危うい瞬間が来るかもしれない。


 でも、少なくとも今は、守れた。


 ただの教室。

 ただの文化祭。

 ただの同級生。


 そういう時間を、まだ完全には失っていない。


     ◇


 真白はA組へ戻る途中、ふと廊下を振り返った。


 B組の前には、長谷川と鳴海が並んで立っている。

 澪も近くにいる。

 さやかが少し離れた場所で実行委員と話している。

 風間先生は、廊下の流れを見ている。


 みんな、それぞれの場所で守っている。


 真白は小さく息を吐いた。


「……ただの教室って、けっこう守るの大変なんだね」


 隣にいた絵麻が、少しだけ笑った。


「でも、守りたいんでしょ」

「……うん」

「それ、かなり大事」

「褒めてる?」

「かなり」


 真白も少しだけ笑った。


 そうだ。


 それでも、守りたい。


 外の顔がどれだけ近づいてきても。

 誰かが気づきそうになっても。

 学校の廊下に、見に来る人と見られたくない人が同時にいても。


 それでも、自分たちはここで、ただの同級生でいたい。


 その願いは、思っていたよりずっと強かった。

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