第61話 “ちょっと頼まれる側”になった子は、もうだいぶ教室に馴染んでいる
教室に馴染んだかどうかを測る方法は、たぶんいくつかある。
朝の「おはよう」が自然か。
席の近くで立ち止まる時間が長いか。
会話の切れ目で無理に出ていかないか。
そういうのも大事だ。
でも最近の真白は、それより少しだけ確かな指標を見つけた気がしていた。
“ついでにこれもお願い”が成立するかどうか。
それが成立する相手は、たぶんもう“来客”ではない。
その場の流れの中に、少しだけ足場ができている人だ。
そしてその日の放課後、2年A組ではまさにその瞬間が起きた。
◇
文化祭前の教室は、どうしてこうも紙が増えるのだろう。
ポスター案。
提出用紙。
連絡票。
係の一覧。
仮のタイムテーブル。
そして、なぜか毎回どこからともなく増殖するメモの切れ端。
その日もA組の机の上はだいぶ雑然としていた。
「これ、色別に分けた方がいいかな」
と、ひかり。
「何を」
とさやか。
「掲示用の紙。クラス紹介と文化祭案内と注意事項」
「分けた方がいい」
「ですよね」
「何その、“最初から答え知ってました”みたいな確認」
真白が言うと、
「委員長に一回聞くのも儀式」
ひかりが笑った。
澪は部活前なのにまだいる。
木乃葉は机に伏しながらも、今日は会話参加率が少し高い。
絵麻はノートではなく、珍しくハサミで紙を揃えている。
音々は窓際で静かにしているが、必要になると急に本質だけを言う顔だ。
そのとき、ドアのところにまた二つ影が差した。
「うわ、また来た」
ひかりが言う。
「何その“うわ”」
長谷川琴葉が笑う。
「いや、最近のB組、来る頻度がわりと高い」
「褒めてる?」
「半分くらい」
「便利だなあ」
と鳴海詩音が言う。
「もうその言い方もだいぶ自然」
真白が言った。
実際そうだった。
長谷川も鳴海も、もうA組のドアの前で変に身構えなくなっている。
◇
「どうしたの?」
さやかが聞く。
「B組の掲示、先生に“画鋲の位置ずれてる”って返された」
長谷川が言った。
「学校だ」
真白が即答する。
「うん、かなり学校」
澪も頷く。
「そこを返されるの、だいぶ学校」
絵麻も笑う。
長谷川は少しだけ肩を落とした。
「で、A組って掲示うまそうだから」
「それで来た?」
ひかりが楽しそうに聞く。
「来た」
「雑に信頼されてる」
とさやか。
「でも間違ってない」
木乃葉が伏せたまま言う。
「A組、こういう“地味に整える系”は強い」
「何その評価」
ひかりが言う。
「褒めてる?」
「かなり」
木乃葉。
鳴海はその横で、少しだけ補足するように言った。
「あと」
「何」
真白が聞く。
「長谷川さんが、“A組ならこの手の細かい学校案件に強い”って」
「うわ」
ひかりが笑う。
「委員長、完全にブランド化してる」
「やめて」
さやかが本気で言う。
「そんなところで有名になりたくない」
「でも事実」
絵麻が頷く。
「かなり」
真白も言う。
◇
結局、その場でA組とB組の即席掲示修正会が始まった。
「まず画鋲の間隔」
さやか。
「均等」
「はい」
長谷川。
「文字列の高さ」
ひかり。
「揃える」
「はい」
鳴海。
「端、少し切れてる」
絵麻。
「そこ貼る前に切る」
「はい」
長谷川。
「タイトルだけ、少し上」
木乃葉。
「何で伏せたまま見えてるの」
真白が言うと、
「概念的視力」
木乃葉。
「便利だね」
鳴海が返す。
「そこ便利で返すの、もう完全に染まってる」
澪が少し笑った。
真白はそのやりとりを見ながら、なんだか少しおかしくなる。
A組とB組。
アイドル。
声優疑惑。
VTuber。
歌。
創作。
いろいろ外側は濃いのに、今やっていることは
画鋲の間隔を揃える
である。
やっぱり学校は強い。
◇
「これ、鳴海さん持って」
ひかりが何気なく一枚の紙を渡した。
「え」
鳴海が受け取る。
「その位置で固定。長谷川さん、もうちょい右」
「こう?」
「もうちょい」
「こう?」
「そこ」
「……」
「何その顔」
真白が聞く。
「いや」
鳴海は少しだけ目を丸くして言った。
「今、普通に持ってって言われたなって」
「持ってもらうでしょ」
ひかりが言う。
「そこにいたし」
「……」
「何その、“それがちょっとうれしい”みたいな顔」
絵麻が笑う。
「顔に出てる?」
鳴海。
「今日は二ミリくらい」
真白が言う。
「最近ほんとにその単位使うようになったね」
さやかが呆れたように言う。
でも、たしかに真白にもわかった。
今の“普通に持って”は大きい。
手伝いに来た人としてではなく、その場の流れの一部として自然に頼まれた。
それはたぶん、“来客”からもう一歩進んだ扱いだ。
「……」
「何その顔」
今度は澪が真白を見る。
「いや」
真白は少しだけ考えてから言った。
「やっぱり、ちょっと頼まれる側になると違うんだなって」
「……」
「うわ」
ひかりが言う。
「何その“うわ”」
「今の、かなり本質」
「褒めてる?」
「かなり」
と絵麻。
真白も少しだけ笑う。
そうだ。
居場所って、歓迎されるだけではなく、“流れの中で普通に使われる”ことでもできるのだ。
◇
掲示を整え終えると、長谷川が少しだけ息を吐いた。
「うわ、ちゃんとしてる」
「当たり前」
さやかが言う。
「学校掲示なんだから」
「委員長のその、学校に対する信頼の置き方すごい」
長谷川が笑う。
「褒めてる?」
「かなり」
「最近そこだけは気持ちよく受け取れるようになってきた」
さやかが言うと、教室に小さく笑いが落ちる。
鳴海は整った掲示を見て、少しだけ目を細めた。
「こういうの」
「うん?」
と絵麻。
「A組、ほんとにうまい」
「何が」
真白が聞く。
「大げさに助けるんじゃなくて、普通に“そこ持って”“ここ揃えて”で終わるとこ」
「……」
「何その顔」
「いや」
真白は少しだけ息を吐く。
「それ、ちょっとわかる」
「一ノ瀬さんも?」
長谷川が聞く。
「うん。そういう方が居やすいときある」
「……」
「何その、“またかなりわかる側から来たな”みたいな空気」
ひかりが言う。
「だって来たし」
木乃葉が伏せたまま返す。
「最近の一ノ瀬さん、そこもう隠してない」
「隠してるつもりはある」
真白が言うと、
「その“つもりはある”がもう弱い」
澪が静かに言った。
真白は少しだけ肩をすくめた。
たしかに、弱いのかもしれない。
でもそれでいい気もしてきている。
◇
掲示を持っていく流れになり、さやかが言った。
「じゃあ、B組に返すのお願い」
「はい」
長谷川。
「あとついでに、これ職員室前の箱にも」
「はい」
長谷川は受け取る。
そこでさやかが、ほとんど無意識みたいな顔で続けた。
「鳴海さん、もう一枚持てる?」
「持てる」
鳴海が答える。
その瞬間、真白はまた少しだけ思った。
来た。
また自然に頼まれてる。
しかも、今回はB組の用事だけじゃない。
A組の流れのついでに、職員室前の箱まで含めた“学校の小さい仕事”へ、鳴海が普通に組み込まれている。
「……」
「何その顔」
絵麻が聞く。
「いや」
真白は少しだけ笑った。
「今の、かなり馴染んだなって」
「うん」
絵麻も頷く。
「わかる」
「もう“いても変じゃない”を越えてる」
ひかりが言う。
「“ちょっと働く人”」
「その言い方ひどい」
鳴海が笑う。
「でも、たぶん褒めてる」
「かなり」
長谷川が言った。
鳴海は少しだけ照れたように、でもちゃんと笑った。
◇
長谷川と鳴海が紙を持って出ていったあと、教室には少しだけ静けさが戻る。
「……」
「……」
「何その、全員ちょっと満足したみたいな空気」
真白が言う。
「いや」
さやかが言う。
「なんか、自然だったなって」
「うん」
絵麻が頷く。
「最初の頃の“来てもいい?”からだいぶ違う」
「今はもう、“持てる?”で済む」
澪。
「それ、かなり大きい」
真白も言った。
そしてそこで、自分の中にも何かが少しだけ重なるのを感じる。
自分もたぶん、A組の中でそうやって少しずつ居場所を作ってきた。
いきなりではなく、何かを持つとか、返すとか、ひとこと言うとか、そういう小さい流れの中で。
「……馴染むって」
真白がぽつりと言う。
「うん?」
と絵麻。
「歓迎されることじゃなくて」
「うん」
「流れの中で普通に“これお願い”って言われることかも」
「……」
「何その顔」
ひかりが言う。
「いや」
絵麻が少しだけ笑う。
「今の、かなり好き」
「褒めてる?」
「かなり」
澪も頷く。
「わかる」
真白は少しだけ照れたように視線を逸らした。
でも、たしかにそうなのだと思う。
教室に馴染むというのは、特別扱いされないことなのかもしれない。
来客じゃなくなる。
“ちょっと頼まれる側”になる。
それでようやく、教室の空気の中に足場ができる。
◇
少しして、長谷川と鳴海が戻ってきた。
「終わった」
長谷川。
「箱も入れた」
鳴海。
「えらい」
さやかが言う。
「褒めてる?」
長谷川。
「かなり」
「やった」
「何その喜び方」
真白が笑う。
鳴海はその横で、少しだけ考えるような顔をしてから言った。
「A組って」
「何?」
絵麻。
「気づいたら普通に仕事くれるね」
「……」
「何その、“それはかなり褒め言葉だな”みたいな沈黙」
鳴海が言う。
「いや」
真白が言う。
「かなり褒め言葉」
「うん」
絵麻も頷く。
「それ、だいぶ馴染んだ人の感想」
「褒めてる?」
鳴海。
「かなり」
と、今度はA組の数人がわりと綺麗に頷いた。
その光景に、また小さく笑いが落ちる。
◇
その日の帰り際、真白は少しだけ思った。
人はたぶん、教室で“ちょっと頼まれる側”になると馴染んでいく。
それは消しゴムよりもう少し先の段階で、でも大事件というほどではない。
今日の鳴海は、たぶんそこまで来た。
そして自分もまた、その流れを見ながら、前よりちゃんと教室の内側から考えている。
「……少しずつ、ちゃんと変わるんだね」
真白が小さく言うと、
「うん」
澪が頷く。
「大きくじゃなくてね」
「その方がいい」
絵麻が笑う。
「自分のままでいられるから」
「何その、また急にいいこと」
ひかりが言う。
「褒めてる?」
絵麻。
「かなり」
ひかり。
また教室に、小さな笑いが広がった。
その笑いの中で、真白は思う。
このクラスは、やっぱり少し変だ。
でも、変だからこそ、小さい居場所の作り方がうまいのかもしれない。




