表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『学校では誰にも知られずに卒業したい 〜うちのクラス、隠し事が多すぎる〜』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
58/75

第58話 消しゴムひとつで、人は案外ちゃんと馴染んでいく

人が教室に馴染んだかどうかは、たぶん大きな出来事ではわからない。


 感動的な会話とか、特別な事件とか、そういうものではなくて、もっとどうでもいいところに出る。


 たとえば、

 席に座る位置に迷わなくなるとか。

 会話の終わりで変に立ち去らなくなるとか。

 そして何より、

消しゴムを借りるときの遠慮が少し減る

 とか。


 真白は、そういうどうでもいい変化を、最近よく見ている。


 それはたぶん、自分自身も少し前まで、そういう小さなところで教室との距離を測っていたからだろう。


     ◇


 その日の四時間目の前。

 教室は、いつものように静かなのに会話の密度だけ少し高い感じで回っていた。


 ひかりが次の授業で使うプリントをどこへ置いたかわからなくなっている。

 さやかが「机の右」と即答する。

 木乃葉は机に伏しながらも、なぜかそのやり取りだけは聞いている。

 絵麻はノートの端にまた横顔を描いている。

 音々は窓際。

 澪は教科書を出している。

 真白は、その全体を見ながら、自分でもずいぶんこの教室の中に慣れたなと思っていた。


 そのとき、ドアが少しだけ開いた。


「……あ」

 と、ひかり。

「何」

 真白が見る。


 鳴海詩音だった。


 ノックはない。

 そこが、もう少しだけ前と違う。


 もちろん、勝手にずかずか入ってくるわけではない。

 でも、“今ここに入ってもたぶん大丈夫”という判断が、前より少しだけ自然になっている。


「長谷川さん、いる?」

 鳴海が聞く。

「今日まだ来てない」

 と絵麻。

「そっか」

 鳴海は一歩だけ中へ入って、それから少しだけ困った顔をした。


「何?」

 と真白。

「消しゴム、忘れた」

「……」

「……」

「うわ」

 ひかりが言う。

「何その“うわ”」

 鳴海が少し笑う。

「いや」

 ひかりは机に頬杖をつく。

「今日の入口、だいぶ学校の小物」

「今までで一番小さいかも」

 絵麻も笑う。

「プリント、ホチキス、ノート、下書き、今回は消しゴム」

 木乃葉が机に伏せたまま列挙する。

「入口のスケールがどんどん縮んでない?」

 さやかが呆れたように言う。

「でも、すごく学校」

 真白が言った。


 鳴海はそこで少しだけ目を細める。


「褒めてる?」

「かなり」

 と真白が返すと、教室に小さく笑いが落ちた。


     ◇


「はい」

 真白は自分の筆箱から消しゴムを差し出した。

「え」

 鳴海が少し驚く。

「どうぞ」

「ありがとう」

「学校では消しゴムが一番強い」

「何その格言」

 と澪が笑う。

「でもわかる」

 と絵麻。

「一番平和な助け合い」

「委員長としても推奨しやすい」

 とさやか。

「推奨って何」

 ひかりが言う。

「教室内の治安維持?」


 また少し笑いが起きる。


 鳴海は受け取った消しゴムを見て、それから真白へ視線を戻した。


「一ノ瀬さんって」

「何」

「前より、こういうのすぐ出すよね」

「……」

「何その顔」

「いや」

 真白は少しだけ言葉を選んでから言った。

「前は、たぶん、もう少し様子見してたかも」

「うん」

「今は、まあ、消しゴムくらいなら」

「消しゴムくらいなら、って」

 ひかりが笑う。

「だいぶ教室に慣れた人の発言」

「最近もうそういうの隠さないよね」

 絵麻も頷く。

「隠してはいる」

 真白が言うと、

「その返し、もうだいぶ弱い」

 澪が静かに言った。


 真白は少しだけ肩をすくめる。


 たしかに、弱いのかもしれない。

 前ならもっと、教室の中での自分の動きに慎重だった。

 今は違う。

 消しゴムを貸すとか、ひとこと返すとか、そういう小さい動きがずいぶん自然になった。


 そして今、その自然さを鳴海に向けても出せている。


「……」

「何その顔」

 今度は鳴海が聞く。

「いや」

 真白は少しだけ笑った。

「鳴海さんも、前よりそういうの受け取るの自然になったなって」

「……」

「何その、急に照れるみたいな顔」

 ひかりが言う。

「いや」

 鳴海は小さく息を吐いた。

「それ言われるとは思ってなかった」

「でもそうでしょ」

 絵麻がやわらかく言う。

「前よりずっと、“ちょっと借りる”とか“少し待つ”が自然」

「……うん」

 鳴海は少しだけ頷いた。

「たぶん」


 その“たぶん”は、かなり本音に近かった。


     ◇


 消しゴムを借りたまま、鳴海は帰るのかと思った。

 だが帰らない。

 そこがもう、前とは違う。


「使ってから返す」

 と言って、鳴海はドアのそばではなく、いつもの空いている席へ座った。


「もう完全に“返すまでここにいる”の人」

 ひかりが言う。

「だめ?」

 鳴海が聞く。

「だめじゃない」

 真白が答える。

「かなり自然」

「褒めてる?」

「かなり」


 鳴海は少しだけ笑って、消しゴムでノートの端を消し始めた。

 たぶん授業前のメモだろう。

 その手つきも静かだ。

 やっぱりこの人は、動きの音量まで少し小さい。


「鳴海さんって」

 音々が静かに言う。

「何」

「消すときも音小さい」

「……」

「うわ」

 真白が言う。

「今の瀬川さん、また妙なところ拾った」

「でもわかる」

 と絵麻。

「静かな人って、消しゴムの使い方まで静か」

「その観察、だいぶ教室にいる人のやつだなあ」

 ひかりが笑う。

「何か悪い?」

 と絵麻。

「褒めてる」

「かなり?」

「かなり」


 鳴海は少しだけ困ったように笑った。


「そこ見るんだ」

「見る」

 音々が言う。

「音だから」

「その返し、強いなあ」

 真白が言う。

「褒めてる?」

「かなり」


 また小さな笑いが起きる。


 真白はその光景を見ながら、少しだけ不思議な気持ちになった。


 この教室は、人の馴染み方すら、こういうどうでもいい細部で見てしまう。

 でも、それが嫌じゃない。

 むしろ、丁寧に見ているからこそ、少しずつ自然に受け入れられるのかもしれない。


     ◇


「そういえば」

 ひかりが言う。

「何」

 鳴海が顔を上げる。

「B組でも、そういう感じなの?」

「どういう」

「“ちょっと借りるから少し居る”みたいな距離」

「……」

 鳴海は少しだけ考えた。

「B組だと、もう少し説明がいるかも」

「うわ」

 真白が言う。

「何その“うわ”」

「いや」

 真白は素直に言う。

「A組でそれが説明なしで通るの、やっぱり少し変なんだなって」

「変ではある」

 さやかが言う。

「でも、それがうちのクラス」

「沈黙が自然」

 木乃葉が伏せたまま言う。

「そう」

 鳴海が頷く。

「A組って、“少し居る”の理由を、いちいち説明しなくていい感じある」

「……」

「何その顔」

 絵麻が聞く。

「いや」

 鳴海は少しだけ目を細めた。

「それ、ちょっと楽」

「……」


 真白はその言葉に、少しだけ胸の奥があたたかくなるのを感じた。


 楽。

 それはたぶん、居場所のかなり大事な条件だ。


 いても変じゃない。

 少し黙っていても大丈夫。

 理由を全部説明しなくていい。

 その全部が揃うと、人はたぶん“楽”になる。


「A組って」

 ひかりが言う。

「何」

「教室そのものが、ちょっと休憩所っぽいのかもね」

「何その言い方」

 真白が言う。

「だってさ」

 ひかりは笑う。

「みんな外でいろいろやってるけど、ここでは一回“ただの同級生”に戻るじゃん」

「……」

「何その、“今ちょっといいこと言ったな”みたいな顔」

 さやかが言う。

「褒めてる?」

 ひかり。

「かなり」

 と絵麻。

「わかる」

 と澪。


 真白も、少しだけ頷く。


 たしかに、そうなのかもしれない。

 歌う人も、書く人も、描く人も、声の人も、アイドルも。

 ここでは一回、“ただの同級生”に戻る。


 だから、少し居ることが許される。

 少し黙っていても変じゃない。


     ◇


 長谷川が遅れてやって来たのは、ちょうどそのときだった。


「いた」

「いた」

 鳴海が返す。

「何その会話」

 長谷川が笑う。

「消しゴム待ち」

 とひかり。

「消しゴム待ち?」

「返すまで少し居た」

「うわ」

「何その“うわ”」

 鳴海がまた言う。

「いや、だいぶ馴染んだなって」

「その感想、みんな共有しすぎ」

 真白が言う。

「でも事実」

 絵麻。

「かなり」

 澪も言う。


 鳴海は真白へ消しゴムを返した。


「ありがとう」

「どういたしまして」

「学校では消しゴムが強いんでしょ」

「何その覚え方」

 真白が言うと、

「気に入った」

 鳴海が少し笑う。

「褒めてる?」

「かなり」

「その使い方、もうだいぶ自然」

 ひかりが言って、また笑った。


     ◇


 チャイムが鳴る少し前、二人はB組へ戻っていった。


 長谷川が先に出て、鳴海がそのあとに続く。

 でもドアのところで一度だけ振り返る。


「また」

 鳴海が言う。

「うん」

 絵麻。

「また」

 真白も返す。

「次は消しゴム以外で」

 ひかりが言う。

「でも学校では、そういうのでいい」

 鳴海は少しだけ笑った。

「……」

「何その顔」

 真白が聞く。

「いや」

 鳴海はほんの少しだけ目を細めた。

「そのくらいが、今はちょうどいい」


 ドアが閉まる。


 その一言が、教室に少しだけ残った。


     ◇


「……今の、よかったね」

 絵麻がぽつりと言う。

「うん」

 真白が頷く。

「“そのくらいが、今はちょうどいい”」

「だいぶ本質」

 澪が言う。

「何の」

 真白が聞く。

「距離感の」

「……」

「何その顔」

「いや」

 真白は少しだけ考えてから言う。

「たしかにそうかも」

「大きく仲良くなるとかじゃなくて」

 絵麻が言う。

「消しゴム借りて、少し座って、また戻る」

「うん」

「そのくらいが、今はちょうどいい」

「……」

「何その、“またちょっと刺さった”みたいな顔」

 ひかりが笑う。

「最近ひかりちゃん、そういう観察ほんと早い」

 真白が言う。

「褒めてる?」

「かなり」

「やった」


 教室にまた、小さな笑いが広がる。


 真白はその笑いの中で、少しだけ思う。


 人が教室に馴染むのは、たぶんこういう小さい行き来の積み重ねなのだ。

 大きな告白とか、劇的な出来事じゃない。

 消しゴムを借りる。

 少し座る。

 雑談に一言だけ混ざる。

 そのくらいで、十分なのかもしれない。


「……少しずつだね」

 真白がぽつりと言うと、

「うん」

 澪が頷く。

「でもその方が、たぶん長持ちする」

「うわ」

 ひかりが言う。

「何その、今日ちょっと大人っぽい台詞」

「褒めてる?」

 澪。

「かなり」

 と、ひかり。


 また笑う。


 声の人は、少しずつ教室の雑談にも混ざってくる。

 その変化は小さい。

 でも、小さいからこそ大事なのだと、今日の真白は少しだけ思っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ