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神々の戯れ・1a

「私の相手はどこにいるの?」

 装備品をすべて外し、身軽になったマーガレットは、その場でぴょんぴょん飛び跳ねた。今、彼女が身に着けているのは、半袖のワイシャツと黒いショートパンツだけだ。つま先に鉄板が入っているロングブーツは、後から文句を言われる前にさっさと脱いでしまっていた。

 大理石の床に裸足で立つと、その冷たさが直に伝わってくる。


 宰相のコンシリアリオスが、なんとか威厳を取り戻しつつ、その両手を広げて、こう案内した。

「これより、上の階で試合が執り行われるよう、ただ今準備を進めているところでございます」

「どういう感じの試合場なの?」

 マーガレットのその問いに、宰相は小さく「うーん」と唸ってから、ネビュラで運営に確認を取った。すべてが後手後手だった。


「総合格闘技用のリングになっております」

 やっと確認が取れた宰相は言った。「一応、小さな指ぬきのグローブを着用していただきます」

「オープンフィンガーグローブね」と、マーガレットは言い直した。「それなら使ったことあるよ」


「ねえねえ」

 と、アリア・ヴィアがマーガレットのパンツの裾を引っ張った。「もう上に行っちゃおうよ」

「そうね」

 マーガレットは、アリアをひょいと抱え上げると、自分の胸の前でぎゅっと抱きしめた。アリアは彼女の首に小さな腕を回して、頬と頬が擦り合うほどに顔を寄せた。


「あああ、いや、まだ会場は出来上がっておりませんので……」

 うろたえて追いかけてくる宰相に、すたすたと歩いていくマーガレットは答えた。

「大丈夫だよ、控室で待ってるから。ちょっとお腹も空いてるし、食べるものとかある?」


 四人の拳法家たちが待ち構えているという五重の塔が、宮殿の脇にそびえ立っている。そこが今回、急ごしらえの試合会場として選ばれた。その塔は各階の広さが四十八フィート(およそ十五メートル)四方しかないために、ここに入れるのは一部の関係者に限られた。その関係者とは、会場の設営スタッフ、撮影班、照明班、医療班、そして、試合に出る選手とそのセコンドたちだ。


 部屋の中央を三十フィート(およそ九メートル)四方のリングが占めており、設営スタッフの人数と比べて通路が狭いために人の往来は困難を極めた。床の上を資材や道具類や太いケーブルが埋め尽くしていて、気をつけて歩かないと怪我をする恐れもあった。


 そんな大勢がごった返している横を、マーガレットとアリアは運営スタッフに案内されて、なんとか通り抜けた。途中何度も「ごめんなさい」と謝らなければならないほどの狭苦しさだった。


 作りかけの会場を抜け出し、控室に入ってみると、そこは一転してとてつもなく快適だった。すべてが艶々した石造りの部屋の中に、必要なものがすべてそろっている。

 清潔なバスルーム、思いっきり身体を預けられる天蓋付きのソファー、世界中の美食を取りそろえた小さなビュッフェ、窓の外には美しい古き良きヴァルハラの風景――


 そして、床にはイギリス製のウィルトン織りの絨毯が敷かれており、そのふわふわの肌触りにアリアはたちまち夢中になった。

坊やニーニャ、そんな床に転がったりしたら汚いよ」

「汚くなんかないもん」

 アリアは絨毯に顔を擦りつけ、柔らかい洗い立てのタオルのような感触を味わっている。


「まあ、あんたが言うんならそうなんでしょうね」

 マーガレットは変に納得して、それ以上は何も言わなかった。おそらくアリアが「汚くない」と言うのなら、それは本当に汚くないのだ。

 たとえ絨毯に汚れが付いて雑菌まみれだったとしても、彼/彼女が「そうあれレット・イット・ビー・ソー」と思えばたちまちその一帯にある機械細胞(マシン・セル)たちが働いて、すべてを浄化してしまう。


 アリアがその気になれば泥水だって飲み水になるし、そこらへんの土くれを黄金にすることだってできる。これまで必死でしがみついていた富の形が、ここでは定義を失ってしまう。

「もう、私たちは今まで通りの価値観では生きていけないんだな」

 マーガレットはため息をついたが、意外に悪い気はしなかった。通り過ぎた過去より、これから待ち構えている未来のほうが、少しはマシなような気がするのだ。


 ひとしきり絨毯を満喫したアリアが、今度は急に立ち上がると、マーガレットに抱っこをせがんできた。それを拒否する理由がこの世にあるのなら、教えてほしいとマーガレットは思った。

「本当にあんたは、大人なんだか子供なんだかわからないね」

 ときおり顔を出す、神のような振る舞いをするアリアと、たった今見せている甘えん坊のアリアとの間に共通点を見つけ出すのは難しい。


 アリア・ヴィアは清潔そのものだ。鼻をぴったりくっつけて匂いを嗅いでも嫌な感じはまったくしないし、肌はいつもサラサラで、もちもちふわふわとどこに触れても気持ちよさしかない。くるくると巻いた漆黒の髪は綿毛のようで、こんなにも軽くて柔らかいものがこの世にあるのかと驚かされる。


「マギー、お腹空いてる?」

 アリアの琥珀色の瞳が、まっすぐにこちらに向けられている。

「なんだか胸がいっぱいで食べられる気がしないけど、何か食べなきゃね」

「私が取ってきてあげる!」

 アリアはぴょんと床に飛び降りると、部屋の端に並べられている豪華なビュッフェのほうへと走っていった。「マギー、何が食べたいの?」


 振り返ってそう呼び掛けてくるアリアは、まさしく天使そのものだった。強いて言うなら、十九世紀のフランスの画家ブグローが描いた天使の絵にそっくりだ。

 機械細胞(マシン・セル)とはいったい、人間が作り出したものなのか、それとも神からの贈り物なのか、どちらとも判断がつきかねる存在だ。


 そうやってうっとりしているマーガレットに向かって、じれったくなったアリアは叫んだ。

「もう! 何が食べたいのかって訊いてるの!」

「ごめんごめん、一緒に選ばせて」


 マーガレットはソファーから立ち上がると、大急ぎでビュッフェへと駆け寄った。このかけがえのない時間が永久に続けばいいと祈りながら。

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