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けものみち・4b

 王からの言葉を伝えるなり、宰相は沈黙した。周りを取り囲む閣僚や騎士たちも、その護衛の兵士たちも、大広間の外で様子をうかがっている大勢の使用人たちも、自分が今聞いた言葉の意味をよく理解できずに呆然としている。


「あのう……」

 マーガレットが、なんだかとても自分たちがものすごい迷惑をかけてしまったような気がして、申し訳ない気持ちで胸をいっぱいにしながら尋ねた。「もしかして、王様は困ってらっしゃいます?」

「いえいえ、そんなことは……」

 そういって盛んに両手を振って否定する宰相の姿は、もはや演技をかなぐり捨てた普通のおじさんだった。


「それって、つまりは……」

 マーガレットは、もしかしたら自分の聞き間違いではないかという思いに囚われつつ、いや、むしろ聞き間違いのほうが助かるという思いすら抱きながら、さらに踏み込んで尋ねた。

「私たちが、その四人の拳法家を倒さなければ、王様にはお会いできないということですか?」


 宰相は声を潜めて、ものすごい小声になって、こう言った。

「いいえ、たぶん、これはジョークでございましょう。陛下はときどきそういう御冗談をおっしゃるようなことがございますのでございます」

 と言った瞬間に、宰相のネビュラには侍従長からの「ジョークではございません」という声が聞こえた。


「おい、まさかこんなくだらぬことを本気でやれと申しておるわけではあるまいな?」

 宰相はネビュラに向かって小声で話しかけたのだが、大広間にいる人間たちにすべて筒抜けだった。

 こんなことは前代未聞なことだ。ヴァルハラ・ランドで行われるイベントは、すべて数か月前からの綿密な準備を必要とする。それを、このほんの数分間で、たった今思いついたようなアイデアに基づいて実行されるというようなことは、本来あってはならないことだ。


「もう一度確認するが、それは陛下御本人が実際にそうおっしゃったことなのか?」

 ネビュラを使い、小声でしきりに運営に確認を取ろうとする宰相の姿に、アリア・ヴィアはとうとうしびれを切らした。

「あのさあ、おじさん、別に冗談でも本気でもいいんだけどさ、面白そうだから、その勝負、受けて立ってもいいよ」


 そうはっきりと言い切った幼い子供の姿に、その場にいた大人たちは驚きの声を上げた。この赤いボーダーシャツとデニムのサロペットを着た、黄金の眼を持つ子供は、実に立派で堂々として、いかにも噂通りの機械細胞(マシン・セル)の知性体だと思わせる説得力があった。


「こっちには強いお姉ちゃんたちがいるから、そっちの強い人たちと戦っても、きっと負けないと思うよ」

 その言葉を聞かされている宰相は、大理石の床にひざまずいて、顔中盛んに汗を流している。彼のネビュラには、続けざまに送られてくる新しいメッセージが渋滞を起こしていた。これら混雑した情報を整理するのもまた、宰相の大事な仕事だ。


「大変、畏れ多いこととは存じますが……」

 宰相は言葉を選び選び、さっきまで崩れかけていた威厳をなんとか取り戻しつつ、言った。「この催しは、王国の威信をかけた大イベントとして、全太陽系に同時中継される手はずとなっておりますが、それでも構いませんでしょうか?」

 それを聞いて相手が怯んでくれれば御の字だという計算も、宰相の中にはあった。


 しかし、アリアは顔色一つ変えない。

「いいよ、別に、どうせ私たちは最初から有名人だし、今さらどうなったところで大して変わらないよ」

 その開き直りは立派だ。フーリエ三姉妹も、それを横で聞いていて感服しきっていた。

「さすがは我が子(ミ・ニーニョ)だわ。よくぞ言ったと褒めてあげたい」

 マーガレットの親バカぶりも、ここまで来ると自分自身ですら呆れるほどだ。「アリアがその気なら、私はいつでもこの身を捧げるつもりだよ」そして、後ろの姉たちを振り返り、「姉さんたちはどう?」と訊いた。


 その肉感的な身体を赤い薄地のドレスで包んでいるだけのアレクサも、もはや動揺する素振りさえ見せない。

「そうね、どうせ、私たちは昨日で運命が塗り替わっちゃったんだから、ここまで来たら行くところまで行くだけだわ」

 エウメニデス(慈しみの女神たち)と警察からあだ名をつけられ、これまで誰からも正体を知られることなくギャングとしての悪事を積み重ねてきたフーリエ三姉妹は、昨日のアリア・ヴィアによるシンギュラリティ宣言によって、もっとも大きく運命を変えられてしまった人々だった。


「どうせ、もう逃げも隠れもできないんだから、この際、私たちの魅力を存分に世界に見せつけてあげましょうよ」

 アレクサはやる気に満ちている。その華やかなラディッシュブラウンの髪をかき上げ、本当にその言葉通り、世界中を魅了する気満々だ。


 アリア・ヴィアは、その小さい胸を小さな手でドンと(実際にはポコッという感じ)叩いた。

「うちの二番目のお姉ちゃんは格闘技の達人なんだよ。きっとあっという間に四人抜きできちゃうよ」

 大広間の人々の目が、その「うちの二番目のお姉ちゃん」に一斉に注がれた。


 しかし、その二番目のお姉ちゃんは、今それどころではなかったのだ。

「ステファニーはどうなの?」

 そう妹に訊かれた当のステファニーは、さっき宇宙船の中でそうしていたように、太ももを擦り合わせてもじもじしている。丈の短い黒の皮ジャケットにぴったりとしたジーンズ、編み上げのロングブーツにほれぼれするようなブロンドの髪をなびかせた彼女は、なぜだかその見た目とは真逆の、ものすごく後ろめたく恥ずかしそうな様子でしきりに辺りをきょろきょろと見回している。まるでこれから一仕事片付けようとしているコソ泥のようだ。


「なにやってんのよ、ステファニー、しゃきっとしなさい」

 そう姉のアレクサに注意されても、ステファニーは伏し目がちにこう答えるのが精いっぱいだった。

「ごめん、アレクサ、マギー、私、もう我慢できないの」

 その顔は上気し、熱い吐息は湯気が立つようだった。彼女の美しい肉体を作り上げている三十七兆個の細胞すべての中で、機械細胞(マシン・セル)のミューオン触媒核融合体が激しく燃え上がっていた。その勢いは、彼女の中の一番強い欲望を刺激して、もはや理性を保っていられないレベルにまで達していた。


「あの、お取込み中のところ申し訳ないんだけど、ステファニー、少しだけでいいから、力を緩めてくれないかな。さっきから僕の首が締まって、息をするのが大変なんだ。ほんの少し緩めてくれるだけでいいからさ……」

 そう言って、遠慮がちにお願いしているマルコの首は、ステファニーに襟をつかまれているせいでぐいぐいと締まっていた。彼女の手は、何かをしきりに訴えかけるように汗でぐっしょりと濡れ、マルコのことを死んでも離さないという意志によって握りしめられている。


 アレクサは、妹がどのような状況に置かれているのかを素早く察した。二十年近い付き合いだ。そのくらいわからないはずもない。

「ごめんなさい、スタッフさん」

 アレクサは、大広間に集まっている城の人々に向かって声を掛けた。そのメタな呼びかけは、すぐに届いてほしい人物に届いた。


「どうかなされましたか?」

 その兵士の扮装をした人物は、ただの役者(キャスト)ではなく、このランドの運営スタッフだった。

 二人は小声で話した。

「ごめんなさい、どこかで休めるような部屋はないかしら」

「どういったお部屋がご所望ですか?」

「できたら、声が外に漏れないような、大きなベッドのある部屋がいいの……」


 その運営スタッフは、ステファニーとその連れのマルコにちらりと視線を走らせた後に、こう答えた。

「かしこまりました。すぐにご用意できますので、私の後について来ていただけるよう、妹様にお伝えしていただけますでしょうか」

 そういうことで、手はずは整い、ステファニーはマルコと一緒に別室へと連れて行かれた。


 それを見送るマーガレットは、心の底から呆れていた。

「終わるまで我慢できないの? もう、本当にしょうがないなあ……」

「マギー、どうしよう?」

 アリアも珍しく心配そうな顔をしている。ステファニーの強さは知っているが、残り二人のお姉ちゃんたちの強さは未知数なのだ。


 マーガレットは、そんなアリアの頭を優しく撫でた。

「大丈夫だよ、ニーニョ、私だって、強いんだから」

 そう言ってから、マーガレットは重い警察のベルトキットと、武器や無線機がたくさん詰まったベストを外した。「アレクサ姉さん、これを持っていて」


 マーガレットは、全身の骨をぽきぽきと鳴らすと、さっきから脂汗を流してひざまずいたままの宰相コンシリアリオスに向かって言った。

「さあ、大臣さん、最初の相手はどこかしら? その勝負、私が先鋒として戦ってあげる」


 その瞬間、どよめいたのは大広間だけではなかった。すでにこの様子はヴァルハラ・ランドどころか、全太陽系に向けて生中継されていた。


 ちょうどその頃、第一階層東区ファースト・フロアー・イースト第七十六分署の宿舎にいた新人宇宙消防士たちは、これからみんなで力を合わせて大量のちゃんこ鍋を作ろうとしているところだった。

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