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愛梨紗の冒険・4a

 スバルの声に気づいた愛梨紗は、初めて肉から目を離して顔を上向けた。そうして、にっこり微笑むと、自分の横の空いたスペースをぺちぺちと手で叩いた。このデッキチェアは、愛梨紗の身体には大きすぎた。

「スバルはこっちに座らなんとよ」


 その呼びかけは、おどおどと様子をうかがっていたスバルを驚かせた。

「いいんですか?」

「あんたは私の直接の後輩やけんね」

 チームの中で同じパイロットという役職を務める同士、愛梨紗とスバルはもっとも近しい関係にあった。


「それじゃあ、お言葉に甘えて……」

 スバルは顔をうつむけ、緊張の中に喜びを噛みしめながら、ぎこちなく愛梨紗のそばに近寄った。赤いビキニが間接照明を照り返して、彼女の顔をもぼうっと赤く染めている。


「いいなあ、スバルばっかり」晴香がみんなの気持ちを代弁した。

 他のメンバーもお互いを見合って、本当に羨ましそうな顔をしている。そこには尊敬する先輩であり、宇宙船に関わる者なら知らぬ者のいない伝説的なパイロットであり、愛らしい小動物のような存在である愛梨紗に対する溢れんばかりの感情が満ちている。


 みんなの陰に隠れるようにして、もう一人の新人パイロットである拓也は緊張に身震いしていた。そんな彼の肩を、和馬はリーダーらしく力強く叩いた。

「ここで待ってろ。俺がうまくタイミングを見計らってやる」

「ありがとう、リーダー」

 拓也にとって、和馬のことがこれほどまでに頼もしく思えたことは、これまでなかった。あのスペースデブリ回収前の大演説よりも、はるかに勇気づけられた。海パン一枚の彼の身体から、熱せられた汗が蒸発する湯気が立ち昇った。


 スバルは、両肩をぎゅっと縮めてガチガチに緊張しながら、愛梨紗の隣りに腰かけた。

「スバルはお腹はすいとらんと?」と愛梨紗。

 リーダーの沙織はすでに新しいお皿を持ってきて、すぐそばにニヤニヤしながらひざまずいている。まるで姫に仕える侍女のようなシチュエーションを彼女は楽しんでいた。


 愛梨紗はそのお皿を受け取ると、そのままスバルにすっと手渡した。

 スバルは、お昼はちゃんこ鍋、午後には牛のアバラ肉をたらふく食べた後だというのに、今もまたぐうぐうとお腹が鳴り始めていることに、自分でも驚愕しているところだった。

「実はお腹がぺこぺこで……」と、スバルはむき出しのお腹をさすった。


「ご飯はちゃんと食べんといかんよ」

 愛梨紗は、周りで固唾を呑んで見守っている新人たちと、ロジャー&しのぶのカップルの顔を見まわした。「あんたたちも、そげん見とらんでよかけん、ご飯ば食べりー」

 愛梨紗のその一声で、みんなはそーっと動き始め、肉が焼けている焚火台のそばに集まり始めた。それでもなかなか肉を取ろうとしないのは、愛梨紗が今まさに最初の一口を食べる瞬間を見逃したくないからだった。


 愛梨紗が戦闘機や宇宙船を乗りこなす雄姿は、宇宙消防士やパイロットを目指す者であるなら、もちろん誰もが何度も勉強のために見直したことがあり、消防学校やパイロット養成所の講義でもたびたび観せられたりすることがある。ところが実は、それと同じくらいに人々の注目を集めるもう一つの見どころを、愛梨紗は秘かに備えていた。


 それは、彼女がものを食べるときの姿だった。佐藤愛梨紗といえば、操縦のプロであると同時に食のプロであるということは万人の知るところだ。強いて言うなら、本人だけがそれに気づいていない。

 愛梨紗が食堂に現れれば、それを一目見ようと周りを大勢の人々が取り囲み、ひとたびそれが映像に捉えられたならばたちまちネビュラで数百万人が共有するほどの人気を彼女は持っていた。その人気の本質は、どちらかといえば猫や犬のかわいい姿を見て和む感覚に近い。


 そして、食べるだけでなく、愛梨紗は作ることにも強いこだわりがあった。

「ほら、そこ、もう焼けとるやなかね」

 網の端で肉汁を滴らせているロース肉の塊を、愛梨紗はまっすぐに指差した。興奮のあまりに半分腰が浮いたほどだ。「なんばぼーっとしよーとね。はよ、ひっくり返さなんたい」


「はいはい、ただいま」

 と、トングを持った暁しずくがどんどん肉をひっくり返していった。

「それはまだ早かたい。もうちょっと焼かなん」と、指摘する愛梨紗の声は鋭い。


 しずく一人では手が回らないので、すぐにジュウザが横に来て加勢した。彼はこの瞬間を待ち構えていたのだった。

「サンキュ、ジュウザ」と、しずくがウインクすると、ジュウザは肉から目を離さず照れくさそうに、

「いつでも困ったら手を貸すよ」と言った。


 美穂と晴香は二人がかりで肉を切り分けた。焼けたものはどんどん網から上げないと愛梨紗にどやされるので大忙しだ。


 スバルの木の皿には、切り分けられた牛肉がどんどん積み重ねられていった。

「はよ食わんね、スバル」

 愛梨紗は、横でじーっとスバルを見つめている。

「愛梨紗さんが先に召し上がってください」

「よかと、あんたが先に食べりー」

 愛梨紗は、後輩が美味しそうにご飯を食べる姿が見たいのだ。


 こうしてグズグズしている間にも、木の皿にはどんどん肉が放り込まれていく。その重さでスバルの手がだんだん震えてきた。

「ほら、はよ」

 愛梨紗は急かした。どう見ても子供みたいな見た目なのに、彼女の中には抑えきれない母性が満ち満ちているのだ。その二つの矛盾する属性が、愛梨紗という無二の存在に計り知れない深みを与えていた。


 実のところ、みんなが本当に見たいのは愛梨紗が肉を食べる姿なのだが、スバルが先に食べてくれないとそれも見られないとなっては、さっさとそれを済ませてもらわないわけにはいかない。

「早く食べなさいよ、スバル」

 沙織の口調にも少しばかり棘があった。


「じゃあ、いただきます」

 スバルが一口目を口に入れる瞬間を、ここにいる全員が見守っていた。肉を噛んだそばから肉汁が溢れ、皿の上に滴り落ちる様を、誰一人として見逃さなかった。


「ほんなら、私もいただきます」

 次に愛梨紗が肉を口に入れたときには、ここにいる全員がもはや瞬きすら忘れていた。ずっと彼女と一緒にいて慣れているはずのしのぶと健太郎ですら、その一瞬だけはなぜか釘付けになってしまうのだった。

 愛梨紗の小さな口に、大きな肉の塊が吸い込まれていく。さっきまであったはずの肉が、まるで魔法のように、瞬く間に消えてしまった(瞬きしていないのに)。


「おおっ」と小さなどよめきが上がったが、愛梨紗はそんなことには頓着しない。食べ始めた段階から、彼女は食べることにのめり込んでいく。このひとときこそ愛梨紗にとっての生きる喜びであり、幸福の絶頂なのだ。その幸福感は、周囲にもたちまち伝播する。たとえ無言で、一言の会話もなくとも、周りで観ている者はそこに無上の喜びを感じるのだった。


 一人、茂雄(ミスター)だけが、この先に待つ危機の気配を感じ取った。

「シェフ、肉がなくなりそうだ。一緒に下に行って追加の分を持ってこよう」

「誰がシェフだ」

 シェフと呼ばれた俊作は、文句を言いつつも下の階に繋がるハッチへと急いだ。そうしながら、彼は幸せそうに無言で食べ続ける愛梨紗の口元から目が離せなかった。俊作は特に愛梨紗のファンというわけでもなかったが、そんな彼をしてもこれほどの吸引力を愛梨紗の食事姿は持っていたわけだ。


 そうした一連の様子を、広報官の桃井翼は少し離れた場所で見ていた。

 翼は、みんなよりはほんの少し冷静だった。彼女は、自分の中で燃え盛る機械細胞(マシン・セル)から与えられるエネルギーをコントロールしようと、ちょっとした努力をさっきから始めていた。


 興奮に乗っ取られると、自分を見失ってしまう。恋にしろ食欲にしろかわいいものを愛でる気持ちにしろ、それに心を奪われてしまったのでは、真実を見通すことはできない。

 翼は、何かがもうすぐ始まろうとしているのを感じていた。

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