デス・レース2071年・3a
スバルたちのネビュラを使ったやり取りは、新人宇宙消防士十一人全員が共有しているオープンチャンネルで行われた。
だから、メインマストのてっぺんにいる茂雄のネビュラにも、当然ながらその内容がすべて筒抜けだった。
黒川さんの中の俺の印象が、これまでとは違ったものになっているらしい――茂雄はそのことをじっくり噛みしめるように考えた。そうするうちに、胸が弾むように高鳴るのを感じた。
茂雄は見張り台の手すりから、隣りのマストの真ん中の段に座り込んでいるスバルの姿を見下ろした。彼女はさっきまで両ひざを抱えてうつむいていたが、少しずつ、彼女の顔が上向き始めている様子がうかがえた。もう少し上を向いてくれれば、その素敵な顔が拝めるのにと、茂雄は祈るような気持ちで見つめていた。
そんな茂雄の背後から、救命医の俊作が声を掛けた。
「今、何を思っているんだ? ミスター」
茂雄は、スバルから目を離すことができず、背中を向けたままで答えた。
「やっぱり俺は、黒川さんが好きだ」
「好きでも嫌いでもないって言われて、その気になったのか?」
「いや、むしろ好き寄りだろ」
「お前も調子のいい奴だな。ころころ考えを変えやがって」
「俺は考えを変えたつもりはないぜ」
そう言って振り返った茂雄は、さっきまで真っ黒だった眼鏡のレンズを透明に戻していた。その鋭く睨むような目は、真剣そのものだ。
俊作は言った。
「それじゃあ、今すぐそこから飛び降りて、黒川さんのところへ行ったらどうだ? 今なら殺されずに済むかもしれないぞ」
すると、茂雄の眼鏡はたちまち黒く変わった。
「いや、まだ、暁さんがこっちに来てくれているから、置いてきぼりにしちゃかわいそうだし、もう少し待つよ……」
「お前さあ……」
人が人を信用できなくなるときの気分とは、こういうものなのだと、俊作は二十年余り生きてきて、初めてその感情をリアルに味わった。
リーダーの和馬は、メインマストの真下を見張っていた。今まさに、暁しずくがこの場所を目指して駆け上がってきているところだ。彼女が登っている段索の後ろから、彼女を追いかけて集まってきた子供たちの群衆が続いていた。しなやかな筋肉と見事なボディラインを持つしずくの姿は、まさしく民衆を導く自由の女神のようだ。
「暁さんが二段目の見張り台を越えたぞ。どうするんだ? ミスター」
和馬は、身を乗り出していた手すりから身体を起こして、茂雄のほうを振り返った。
茂雄はまだ、眼鏡のレンズを白黒させながら迷いの只中にあった。
「早く飛び降りろ、ミスター。今、本気のお前を見せたら、黒川さんもきっとお前を見直すぞ」
俊作がそう言ってせっついても、茂雄はグズグズするばかりだ。
一方、しずくに思いを寄せている宇宙船技師のジュウザは、それとは逆のことを言った。
「ミスター、もう少し待ってほしい。君が向こうに行ってしまうと、暁さんも追いかけてそっちへ行ってしまうかもしれないから」
そう言われた茂雄は、「ほらね」と得意げな顔になった。
「ほら、ジュウザもああ言っているだろ。俺はここにいなきゃいけないんだ」
俊作は心の底からの深いため息をついた。
「お前、そうやってギリギリまで時間を稼いで、どっちか都合のいいほうを選ぶつもりなんだろ……」
「何とでも言え」
茂雄はすっかり開き直っている。そこにはモテる男の優越感があった。今の彼は、二人の女性から同時に関心を向けられている、いわば勝者の側にいる人間なのだ。
一人、そういった騒ぎから距離を置いているパイロットの拓也は、見張り台の手すりに顎を載せて、他の女子たちの動きをのんびりと眺めていた。
沙織は、しずくの後ろから子供たちにまぎれてメインマストをよじ登っている。美穂は、もうすぐスバルのいるフォアマストの二段目の見張り台まで辿り着こうとしているところだ。帆船から少し離れた海上では、ボートに座り込んでいる桃井翼と浅倉晴香の姿も見える。
「もういい、勝手にしろよ、バーカ」
呆れかえった俊作は、ビニールの床に寝転がった。そこは日に焼かれてアチアチだったが、そんなことがどうでもよくなるくらい、彼はやけっぱちな気分だった。
茂雄は完全に迷っていた。自分が情けないことをしていることくらい、彼にだって少しは自覚がある。だが、どうしてもすぐに行動に移すことができないでいた。
もし、黒川さんのほうからもう少し何か動きを見せてくれたら、こちらも判断がしやすいのに……と、茂雄がそんな都合のいいことを考えているときだった。
唐突にスバルが立ち上がり、はるか頭上にいる茂雄のほうを振り返った。
茂雄はばっちり彼女と目が合ってしまった。
スバルの青い目が、潤んだようにキラキラと輝くのが、茂雄の目にはっきりと見えた。その瞬間、茂雄の心臓は張り裂けそうなほどに鼓動した。




