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デス・レース2071年・2a

 黒川スバルは、大ダコの足の先からジャンプして、帆船の前檣(フォアマスト)に飛び移った。すべてがビニール製の風船でできているバルーン・シップは、どんなに勢いよくぶつかっても柔らかく受け止めてくれる。スバルの身体は、縦に三つ連なっている見張り台のちょうど真ん中に転がり込んだ。


 高さ五十メートルの帆船には三本のマストが立っている。前から順番に前檣(フォアマスト)主檣(メインマスト)後檣(ミズンマスト)と呼ぶ。


 スバルが亡き者にしようとしている相手の落合茂雄は、真ん中のメインマストのてっぺんにいる。

 スバルが飛び移ったフォアマストと、茂雄がいるメインマストとの間には、二十メートルほどの距離がある。現在地と甲板との高低差も、ちょうど二十メートルくらいだ。スバルはほんの少し足がすくんで、見張り台の手すりの陰に隠れた。こうすれば下を見ないで済むからだ。タコの足の上を走っていたときには、全体がクッションのようなものだから怖くなかったし、落ちてもどこかの足に掴まれば大丈夫だという確信があったが、帆船のほうは勝手が違った。あまりにリアルな作りなので、本物と同じ恐怖を感じるのだ。


「さあ、あっちにどう飛び移ろうかね」

 いつの間にか一緒に来ていた暁しずくが、全身をぱちぱちと手の平で叩きながら気合を入れている。まるで試合の前の力士のようだ。


「もしかして、しずくさん、本気で言ってる?」

 スバルはおそるおそる手すりから外を覗き込んだ。帆船はどこもかしこもロープだらけだ。横静索(シュラウド)と呼ばれるロープは、マストと船体を斜めに繋いで、帆が風を受けても動かないように固定している。


 段索(ラットライン)という名前が付けられているロープは、幅の広い縄梯子のようなもので、甲板からマストによじ登るときに使う。よく海賊映画で登ったり下りたりしながら主人公と悪役が斬り合いを演じている場所だ。


 しずくは、メインマストから斜め下に張られているラットラインに目をつけた。

「あそこに飛び移れば、かなりのショートカットになると思うんだよね」

「飛び移れればの話だけどね」

 やはりスバルは慎重だ。「こんな高さからだと、海のほうへ跳ね飛ばされちゃうんじゃないの?」


「スバル、あんた、忘れたの? バルーン・シップは、高いところから落下すると、下から空気を噴射して速度を落としてくれるんだよ。つまりは、それでいくらか衝撃を軽減できるってこと」

「本当に大丈夫かなあ?」

「迷っている暇はないよ。あんたが行かないなら、私が先に行っちゃうよ」


 しずくは、見張り台の手すりに片足をかけて、ぐいと身を乗り出した。大胆に切り込みの入った彼女の競泳水着の下の筋肉が、力強く盛り上がった。あんな身体だったら、どんな危険な冒険でも乗り越えられるかもしれないと、スバルは思った。


 あと、一つ誤解を解いておかなければならないと思ったので、スバルはしずくを呼び止めた。

「ちょっと待って、しずくさん。一応言っておくけど、私はミスターのことなんかなんとも思ってないんだよ」

「じゃあ、どうして奴を追いかけてるの?」

「私は、もう放っておいてほしいだけなの。ミスターにはもう、私に関わってほしくないの。それをはっきり言っておかないと、向こうはずっと期待を持ったままになっちゃうでしょ」


「へえ……」

 しずくは、冷ややかな目でスバルを見た。まるで遠い外国からやって来た、言葉も文化もまるで違う、何を考えているのかわからない人を見るような目だ。「人の感じ方ってのは、本当に人それぞれなんだね」


 スバルのほうこそ、しずくが何を考えているのかさっぱりわからない。

「しずくさんが、ミスターを捕まえたいなら、好きにすればいいよ」

「後から文句は言いっこなしだよ」

「言うわけないでしょ」

「絶対だよ」


 しずくは強く念を押すと、あっという間に姿を消してしまった。その身体は、遠く離れたメインマストのほうへ、ムササビのように斜めに飛んでいった。

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