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デス・レース2071年・1b

「私とスバルで競争して、勝ったほうがミスターをもらえるってこと」

 (あかつき)しずくの力強い声が、ネビュラを通して茂雄(ミスター)の脳内に響き渡った。最後の「もらえるってこと」の部分が、何度も何度もエコーがかかったように茂雄の意識の中にまとわりついてくる。


 第十八小隊ブラボー・チームの男たちは、バルーン・シップの帆船に集まっていた。彼らはメインマストの一番上、高さ五十メートルの見張り台にいる。ここは西の衝突面から、摂氏百℃の熱風がもろに吹きつけてくる場所だ。


 リーダーの森崎(もりさき)和馬かずまは、ここでチームをいったん解散して下へ飲み物を取りに行くつもりだった。黒川スバルを追跡するのは、自分一人で十分だと、茂雄本人がそう言ったからだ。


 しかし、当のスバル自身がこちらに向かってきているとなると話が違ってくる。彼女は茂雄を亡き者にしようとしていた。好きでもない男に長いことつきまとわれるくらいなら、みずからその息の根を止めてやろうというつもりらしい。


 そして、さらに奇妙なことには、暁しずくがこんな提案をしてきたのだ。スバルよりも先に自分が茂雄を捕まえることができたなら、彼を自分のものにしてもいいか、と。


「もし、そうなったら、私があんたを守ってやるよ」

 しずくはネビュラを通して、そう付け加えた。彼女の声は激しく揺れていた。大ダコのほうから帆船へと乗り移るべく、彼女も全力で走っている最中のようだ。競争相手のスバルは、とっくにタコの足を伝って帆船のマストへ辿り着こうとしていた。


 茂雄は、見張り台の手すりにつかまったまま、微動だにしなかった。彼の頭の中では、さまざまな考えがぐるぐると回っていた。その中身がどのようなものであるかは、すぐそばにいる仲間たちにとってはあまりにも単純明快だった。


「おい、ミスター」

 和馬は、立ち尽くしている茂雄の背中に向かって言った。「お前、この期に及んで黒川さんと暁さんを天秤にかけているんじゃあるまいな? お前、黒川さん一筋じゃなかったのかよ」


 茂雄は返事もせず、背中を向けたままだが、その肩がぴくりと痙攣するように動いた。それがまさしく彼の中の葛藤を表していた。


「がっかりだよ。本当にがっかりだよ」

 これまで誰よりも茂雄のそばにいて、いろいろと助け船を出してきた救命医の足立(あだち)俊作しゅんさくも、すっかり呆れている。「結局、女なら誰でもいいのかよ」


 すると、茂雄は真顔で振り返った。彼の眼鏡の色は、表情を読み取られないように薄いブラックに調整されている。

「そうは言うがな、お前ら、考えてもみろ。どうあがいても振り向いてくれない女と、俺のことを好きだと素直に言ってくれる女と、どっちがありがたい存在かってことだよ」

「いかにもモテない男が言いそうなことじゃんか」俊作は間髪入れずに言った。

「そうやって、簡単に一般化するでない」

 茂雄はきつく叱りつけるように言った。しかし、その表情を読まれないようにレンズを暗くしているところが端から見ると情けない。


 パイロットの檜山(ひやま)拓也たくやと、宇宙船技師のジュウザこと桐野(きりの)十三じゅうぞうの二人は、床に胡坐をかいたまま黙って話を聞いている。

 拓也は高みの見物をするようにニヤニヤしていて、一方のジュウザは何か言いたげにそわそわしていた。その様子に、和馬が気づいた。


「どうした? ジュウザ、何か言いたそうだけど」

 そんな声を掛けられたジュウザは、急に緊張に顔をこわばらせて、自分の脛をぎゅっと両手で握りしめた。彼のがっしりした顎と立派な鼻、知的な少し垂れた目は、普段ならチームの中でも一番落ち着いて見えるのだが、今のジュウザはいかにも二十代になったばかりの青年といった初々しさを湛えていた。


「どうした? 遠慮しないで言ってみろ」

 そう和馬に促されて、いつも寡黙なジュウザからは想像もつかないようなことを彼は突然言い出した。

「ねえ、ミスター、迷っているなら、しずくさんは俺に譲ってくれないかな」


 そこにいる男たち全員が、耳を疑って固まった。

 手すりに寄りかかって、みんなを見下ろしている茂雄の表情は、次第に濃くなるレンズの向こうに隠れてしまっている。茂雄は震える声で言った。

「えっ? お前、暁さんのことが好きなの?」


 ジュウザは真剣なまなざしで、顔を上げたままうなずいた。

「しずくさんが君を捕まえに来たら、俺が横から彼女を捕まえるよ。そうすれば、君は黒川さんだけを見ていられるだろう?」

「そりゃあ……」

 茂雄は、明らかに動揺した声でつぶやいた。「そりゃあ、まあ、助かるけど……」


「お前、なんか惜しそうだな?」

 和馬は、心底呆れて吐き捨てるように言った。「俺たちは、お前が黒川さん一筋だと思ってきたから、これまで協力してきたんだぞ。そんなに簡単に気持ちが揺れるなら、お前なんか、もう一生信用してやるもんか」

「おいおい、そんなに話を大きくしないでくれよ」

 茂雄の眼鏡はすっかり漆黒に染まっている。その顔は冷や汗なのか脂汗なのか、よくわからない液体でぐっしょり濡れていた。


 和馬は、ふいに拓也のほうを振り返った。

「ところで拓也、お前は好きな子はいないのか? この際だから競争に参加してみろよ」

 しかし、ブラボー・チームで一番のハンサムガイであるパイロットの拓也は、不敵な笑みを浮かべたまま黙っている。


「自分はモテるから余裕だってか?」

 今度は茂雄が吐き捨てるように言った。モテる男は全世界から一人残らず排除すべきと考える危険思想の持ち主のように、彼の黒い眼鏡はギラギラと輝いている。


 拓也は、肩をすくめて言った。

「そんなにひがむなよ」

「ひがんでなんかないやい」茂雄は、少年のように叫んだ。

「いいから、教えてくれよ、拓也」和馬は懐柔するように、馴れ馴れしく笑いかけた。


 すると、拓也は今の今まで見せていた余裕をほんの少し打ち消すような、弱気を帯びた目になって、こんなことを言った。

「俺の相手は、ものすごい高嶺の花だから、気安くその名を呼ぶわけにはいかないんだ」

「へえ」

 和馬は気の抜けた相槌を打ったが、さらにしつこく食い下がった。「で、誰なの? その相手って」


 拓也はきつく口をつぐんだまま、答えようとはしなかった。彼の目は虚無を湛えて、はるかかなたの空へと向けられている。

「第十七小隊ブラボー・チームの五人の中にはいないってことだな? あと、十八小隊の翼ちゃんも」

 和馬が念を押すと、拓也は小さくうなずいた。

「少なくとも、その中にはいないよ」


「じゃあ、愛梨紗さんか」

 俊作が、横からその名をいきなり出すと、拓也の顔は大ダコのように真っ赤になった。

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